第二十キュン 私、べつに一位になりたいわけじゃないから
ランキング騒動から数日、水瀬の様子は明らかにおかしかった。
「おはよう」
「……おはよう」
朝の挨拶すら、どこかぎこちない。
「今日も距離取るつもりか」
「べ、べつに取ってないし」
言葉とは裏腹に、水瀬は俺と一メートル以上の距離を保ったまま朝食を取っていた。
☆
「これ、絶対おかしいと思う」
その日の夕方、水瀬が突然リビングで宣言した。
「距離を取ろうとしても、意味ないの」
「どういうことだよ」
「試してみて分かった。あんたと話さなくても、あんたが誰かと話してるのを見ただけで発電するの」
水瀬はスマホの画面を突きつけてきた。今日の通知履歴が並んでいる。
「これ見て。今日、私、あんたとほとんど話してないのに」
通知は五件。それぞれ数値は小さいが、確実に反応している。
「離れてても発電する。話しても発電する。もう、何をしても数字にされるってこと!」
水瀬が悲鳴に近い声を上げた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「知らない! 私が知りたい!」
☆
その日を境に、水瀬は極端な行動に出た。
まず、共用のモニターにタオルをかぶせて自分の数値が見えないようにした。
「これでもう、誰にも見られない」
「見られなくても、発電自体は止まらないだろ」
「見えなければ、ないのと同じだから」
理屈になっていないことを堂々と主張する水瀬に、俺は何も言い返せなかった。
「白峯さん、これ、勝手にタオルかぶせていいものなんですか」
すずが心配そうに聞くと、理央は黙ってタブレットを確認しながら答えた。
「表示を隠しても、データの記録自体は続くわ。ただ、本人の精神的な負担は軽減されるかもしれないわね」
「そう、それでいい。データはどうでもいいから、私は見たくないだけ」
水瀬はきっぱりと言い切った。
☆
「なあ」
その夜、俺は洗い物をしながら、隣で皿を拭いていた水瀬に話しかけた。
「そんなに嫌なのか、一位になったこと」
「嫌っていうか」
水瀬は皿を拭く手を止めて、少し考え込んだ。
「私が何を感じてるかまで、数字にされて、みんなに見られるのが嫌なの」
「でも、みんなべつに、水瀬をからかったりしてないだろ」
「からかってなくても、知られてること自体が恥ずかしいの」
水瀬の声が徐々に大きくなっていく。
「勝手に測られて、勝手にランキングにされて、勝手に一位って決められて。私、べつに一位になりたいわけじゃないから!」
叫ぶように言った後、水瀬は自分の声の大きさに驚いたように口をつぐんだ。
「……ごめん、大きな声出して」
「いや、いいけど」
俺は少し戸惑いながらも、水瀬の言葉の意味を考えていた。
一位になりたいわけじゃない。
それはつまり、その感情自体を否定しているわけではなく、ただ「測られること」に抵抗があるということなのだろうか。
「なあ、水瀬」
「なに?」
「一位になったことが嫌なのか、それとも、その、感情自体を認めたくないのか、どっちなんだ」
水瀬は皿を拭く手を止めて、しばらく黙り込んだ。
「……分かんない」
小さな声だった。
「自分でもよく分かんない。ただ、機械に勝手に決められるのが嫌なだけかもしれない」
「機械にって」
「私の気持ちが、その、何キュンとか、そういう数字で表されるの、なんか違う気がするの」
水瀬はタオルをかぶせたモニターの方をちらりと見た。
「本当の気持ちって、そういうのとは違うものだと思うから」
その言葉には、これまでの水瀬の言動とは違う、静かな重みがあった。
「まあ、そうかもな」
俺はそれ以上何も言えず、ただ相槌を打つことしかできなかった。
☆
数日後、寮の共用モニターにはまだタオルがかかったままだった。
「これ、いつまでこのままにしとくの?」
奏が興味深そうにタオルをめくろうとすると、水瀬が慌てて止めに入った。
「触らないで!」
「べつに減るもんじゃないでしょ」
「私の精神的な平穏が減るの!」
言い合いをする二人を見ながら、理央はタブレットに黙々と記録を続けている。
「表示を隠しても、感情自体は変わらないみたいね。ただ、本人が数値を意識しなくなった分、少し自然体になってきているように見えるわ」
「それ、分析結果いちいち報告しなくていいから」
水瀬が半ば呆れたように言い返す。そして、話題を切り替えるように言った。
「そういえば、今度の日曜、練習試合あるんだけど」
「へえ。頑張れよ」
俺は特に深く考えず、いつも通りの調子でそう返した。
「地区大会の予選も近いから、その前哨戦みたいな感じ」
「ふうん」
会話はそれだけで終わり、水瀬もそれ以上は何も言わなかった。テニス部の話題自体、GWの合宿以来、寮ではほとんど出てこなかった気がする。




