第十七キュン 中間テストよりキュン値が怖い
五月半ば過ぎ、寮のリビングには珍しく緊張感が漂っていた。
「来週から中間テストなんだよな」
「そう。しかも今回、範囲広すぎ」
水瀬が教科書を睨みつけながらため息をつく。
「じゃあ今夜から、寮全体で勉強会にしましょう」
理央が提案するなり、テーブルの上に参考書が積み上げられていった。
「まず担当を決めるわ。数学と理科は私が教える。国語と世界史は――」
「有馬先輩、お願いします」
「私、暗記系は得意だからね」
奏が軽い調子で引き受ける。
「じゃあ小松さんは」
「わ、私は……真面目に勉強するだけ、しかできないです」
「それでいいのよ。集中して取り組む姿勢が一番大事。小松さん、前よりノートの取り方もずっと分かりやすくなってるし」
「え……見てたんですか」
「教えてるんだから当然でしょう」
理央がめずらしく優しい口調で言う。
「寺坂くんは?」
「俺は、まあ、平均くらいだから、教える側というより」
「水瀬さんを担当してもらうわ」
理央がさらりと決めてしまう。
「え、ちょっと待って、なんで私」
「数学が一番苦手だからよ。それに、あなた一人だけ担当が決まってないと不公平でしょう」
「それにしたって、寺坂に教えてもらうのは」
「文句あるならこの場で理由を説明して」
理央に詰め寄られ、水瀬は言葉に詰まった。
「べ、べつに文句とかじゃないし」
「じゃあ決定ね」
☆
勉強会は、思っていたよりまともに機能していた。
理央がすずに数式の解き方を教え、奏が歴史の年号をリズムに乗せて暗記させている。
「先輩、それ歌にする必要あります?」
「覚えやすいでしょ」
「先輩の作った替え歌のほうが覚えにくいです」
すずが珍しく小さな抗議をする横で、俺は水瀬とテーブルの隅に向かい合っていた。
「じゃあ、この問題からやるか」
「うん」
方程式のノートを開いて、俺は問題を解説し始めた。
「ここ、両辺を同じ数で割ればいいだけだから」
「……あ、うん」
水瀬の返事が、心なしか上の空だった。
「聞いてるか」
「聞いてる、聞いてる」
もう一度説明を続けようとして、俺はふと自分たちの距離の近さに気づいた。
同じノートを覗き込む形になっていて、肩が触れそうな位置にいる。
「水瀬、もうちょっと離れて見た方が――」
「な、なんで急にそんなこと言うの」
「いや、近すぎて逆に書きにくいだろ」
「そ、そうだよね、うん」
水瀬がぎこちなく椅子を少しだけ後ろに引いた。
「じゃあ次、この三次式の因数分解」
「……」
「水瀬?」
問いかけると、水瀬はノートに視線を落としたまま、鉛筆を持つ手を止めていた。
「聞いてる?」
「あ、うん、聞いてる。えっと、その、xの二乗プラス」
「全然分かってないだろ」
「分かってるもん!」
むきになる水瀬に、俺は仕方なくもう一度説明を始めた。頭を寄せ合うようにしてノートを見ていると、水瀬の呼吸がわずかに浅くなっているのが分かった。
「なあ、大丈夫か」
「な、なんで」
「なんか、集中できてない感じだから」
「そ、それは、その」
水瀬が視線を泳がせる。
「近くで教えられると、その、なんか、落ち着かなくて」
小さな声で零れた言葉に、俺は一瞬何も言えなくなった。
「……それ、俺のせいってことか」
「言わせないでよ、恥ずかしい」
水瀬が両手で顔を覆う。
――ピコン。
『感情エネルギーを検出しました。二・八キュン』
「あ」
理央が即座にこちらを見る。
「今の、テスト勉強中には珍しい数値ね」
「見ないで理央!」
「見ないでと言われても、モニターに表示されてるから見えるわ」
☆
勉強会は日を追うごとに続いた。
水瀬の集中力は相変わらず不安定で、俺が近づくたびに小さな発電が続いた。
「これじゃ、テストの点数より発電量の方が伸びてるんじゃないのか」
「言わないで、それ一番言われたくない」
水瀬が机に突っ伏す。
「まあ、悪いことじゃないと思うけど」
「良くもないでしょ!」
テストの結果が出るのはまだ先の話だが、少なくとも寮の照明はここ数日、いつもより明るく灯っていた。
☆
テスト前日の夜、最後の追い込みをしていると、水瀬がふと手を止めて呟いた。
「私、これで点数悪かったら、絶対寺坂のせいにするから」
「なんでだよ、教えたの俺だぞ」
「教え方が悪いんじゃなくて、近すぎるのが悪いの」
「じゃあ離れて教えればよかったのか」
「それはそれで、なんか嫌」
矛盾したことを言う水瀬に、俺は思わず笑ってしまった。
「なんで笑うのよ」
「いや、べつに」
「感じ悪い」
文句を言いながらも、水瀬はまたノートに向き直った。
鉛筆を走らせるその横顔を、俺はしばらく見つめていた。
テストの結果がどうなるかは分からないが、少なくともこの数週間、寮の中で確かに何かが積み重なっているのを感じていた。
「嬉しくない!」
最後にもう一度、水瀬の発電通知が鳴った瞬間、そう叫ぶ声がリビングに響いた。




