第十四キュン 理央、たまには甘いもの食べます
その日の真夜中、俺はふと喉の渇きを覚えて目を覚ました。
時計を見ると、深夜一時を少し過ぎている。
麦茶を飲みに台所へ向かおうと廊下に出た時、リビングの方から、微かな物音が聞こえてきた。
「……誰かいるのか」
用心しながら覗き込むと、そこにいたのは理央だった。
理央はテーブルの上に広げたノートパソコンの前で、何かをこっそり口に運んでいる。
「白峯、こんな時間に何してるんだよ」
声をかけると、理央はびくりと肩を震わせて、慌てて何かを隠そうとした。
「……寺坂くん、起きてたの」
「喉渇いて水飲みに来ただけだけど。そっちこそ何してるんだよ」
「作業よ、データ整理の」
「それにしては、なんか隠すもの多くないか」
俺がテーブルに近づくと、理央の手元には、小さな箱と包装紙の残骸が散らばっていた。
「それ、チョコレートか」
「……」
「なんで黙るんだよ」
「べつに、たいしたことじゃないわ」
理央は珍しく、動揺を隠しきれない様子だった。
「白峯って、甘いもの食べるんだな」
「悪い?」
「いや、悪くはないけど。意外だと思っただけ」
「意外って、どういう意味」
「なんか、そういうの、興味なさそうなイメージだったから」
理央は少しむっとした表情を見せた。
「私にも、好みはあるわ。当然でしょう」
「じゃあ、いつもこんな時間に食べてるのか」
「毎日ではないわ。作業が長引いた時、糖分補給として摂取しているだけ」
「糖分補給って、なんか言い方が白峯っぽいな」
「事実を説明しているだけよ」
理央はそう言いながらも、箱の中身を隠すようにノートパソコンの陰に押し込んだ。
「隠さなくてもいいだろ」
「隠してないわ」
「今、めちゃくちゃ隠そうとしてただろ」
「気のせいよ」
理央の頑なな態度に、俺は思わず笑ってしまった。
「なんで笑うのよ」
「いや、白峯でもそういう反応するんだなと思って」
「そんなに変かしら、私が甘いものを食べることが」
「変っていうか、なんか親近感湧くっていうか」
「親近感って、失礼な言い方ね」
理央は少し不満げな顔をしたが、それ以上追及はしてこなかった。
「せっかくだから、俺も一個もらっていいか」
「……いいわ、べつに」
理央は渋々といった様子で、箱を差し出してきた。
中には、小さなチョコレートがいくつか並んでいる。
「これ、どこで買ったんだ」
「駅前のパティスリーよ。研究の合間に、たまに寄るの」
「意外と行動範囲広いんだな」
「私だって、たまには少し足を延ばすわ」
「イメージだと、ずっと部屋でデータ分析してる感じだったから」
「その印象、いつか改めてもらいたいものね」
俺は椅子を引いて、理央の向かいに座った。
「作業、まだ続けるのか」
「もう少し。この分析が終わったら、寝るつもり」
「こんな時間まで、何をそんなに分析してるんだよ」
「これまでの発電記録を、時間帯別に整理しているの。傾向が見えると、今後の予測がしやすくなるから」
「白峯って、なんでそんなに研究熱心なんだ」
俺が何気なく尋ねると、理央は少し手を止めた。
「……理由、聞きたい?」
「聞いていいなら」
理央はしばらく黙り込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「私、昔から、感情を表に出すのが苦手だったの」
「そうなのか」
「小さい頃から、みんなが自然にできることが、私にはうまくできなかった。喜んだり、悲しんだり、そういう反応を、どう表現すればいいのか分からなくて」
理央の声は、いつもより小さかった。
「だから、感情を数値やデータとして理解しようとするようになったの。目に見える形にすれば、少しは自分にも分かるんじゃないかって」
「なるほどな」
「この寮での研究も、最初はただの興味本位だったけど、今はもう少し、個人的な意味を持ち始めているわ」
「個人的な意味って」
「みんなの感情の動きを見ていると、自分にはない何かを、垣間見ている気がするの」
理央はそう言って、小さくチョコレートを一つ口に運んだ。
「甘いもの食べる時だけは、素直に美味しいって感じられるから、それが唯一、分かりやすい感情表現なのかもしれないわね」
その言葉に、俺は少し胸を突かれた。
いつも冷静で、感情を数値でしか語らない理央が、じつはこんな風に自分の感情表現の不器用さに向き合っていたとは、想像もしていなかった。
「白峯、それ、みんなに話したことあるのか?」
「ないわ。話す必要もないと思っていたし」
「話したくないなら、無理に話さなくていいけど」
「べつに、話したくないわけじゃないの。ただ、どう伝えればいいか分からなかっただけ」
理央は珍しく、言葉を選びながら続けた。
「寺坂くんには、なんとなく話しやすかった」
「そうか」
「深い意味はないから、変に受け取らないで」
「受け取ってないよ」
軽く言い合いながらも、リビングには不思議と穏やかな空気が流れていた。
「白峯、そのチョコ、美味いな」
「でしょう。次に買う時、あなたの分も買ってあげてもいいわ」
「珍しいな、そんなこと言うの」
「今日だけの気まぐれよ」
理央はそう言いながら、少しだけ口元を緩めた。
しばらくの間、二人でチョコレートをつまみながら、他愛のない話を続けた。
深夜二時に近づく頃、理央はようやくノートパソコンを閉じた。
「今日はこれくらいにしておくわ」
「そろそろ寝ないと、明日に響くぞ」
「分かってる」
理央は立ち上がりながら、テーブルの上のチョコレートの箱を片付け始めた。
「これ、まだ残ってるけど、明日食べていいか」
「勝手に食べたら、記録しておくわよ」
「なんの記録だよ」
「あなたの糖分摂取量の記録」
「それ、必要か?」
「必要よ、私にとっては」
理央は真顔でそう言い切ったが、その口調のどこかに、いつもより柔らかい響きがあった。
「白峯、今日の話、他のみんなには」
「言わなくていいわ。特に秘密にしているわけでもないけど、わざわざ話すことでもないから」
「分かった」
俺も、それ以上追及はしなかった。
☆
二人でそれぞれの部屋に戻る前、理央がふと足を止めた。
「寺坂くん」
「なに」
「今日、話を聞いてくれて、ありがとう」
いつもの淡々とした口調とは少し違う、素直な一言だった。
「べつに、たいしたことしてないけど」
「たいしたことよ、私にとっては」
理央はそう言うと、静かに自分の部屋へ戻っていった。
残された俺は、テーブルの上に残ったチョコレートの箱を片付けた。
いつも冷静な理央にも、自分の感情とうまく付き合えない時がある。
それを知れただけで、少しだけ彼女が近くなった気がした。




