第十三キュン 俺の弁当で電気が増えるのはおかしい
五月半ば、星見風寮の朝は少しだけ忙しくなっていた。
「寺坂くん、今日もお弁当あるの?」
台所に顔を出した奏が、のんびりとした調子で聞いてくる。
「一応、みんなの分作ってます」
「助かるー」
まな板の上で卵焼きを巻きながら、俺はもう半分無意識にフライパンを傾けていた。
☆
きっかけは些細なことだった。数日前、すずが「お弁当を作るのが苦手で」と小さく零したのを聞いて、俺が代わりに作ってやると言っただけ。それが、いつの間にか寮の女子四人分を毎朝用意する流れになっていた。
「べつにたいした手間じゃないですし」
「そう言って、毎朝一時間早起きしてるの知ってるからね」
理央がタブレットを見ながら、いつも通り正確な指摘をしてくる。
「それは、まあ」
否定できなかった。台所の窓から差し込む朝日は、まだ薄い水色を帯びていて、時計はようやく六時を回ったところだった。
☆
俺は毎朝、四つの弁当箱を並べて、それぞれの中身を丁寧に詰めていく。
水瀬の分は、やや味付けを濃いめに。すずの分は、あまり辛くないように。奏の分は、彩りを気にしつつも量は多め。理央の分は、栄養バランスを重視して。
面倒だと思ったことは、不思議と一度もなかった。
誰が何を好きで、何が苦手かを考えながら作るのは、思っていたより嫌いじゃない。
そんな細かい配慮を続けているうちに、いつの間にか、四人それぞれの好みをかなり正確に把握するようになっていた自分に、ふと気づく。
☆
問題が起きたのは、学校での昼休みだった。
「ねえ水瀬、これ、寺坂くんが作ったやつ?」
クラスメイトの女子が、水瀬の弁当箱を見て声を上げた。同じ模様の弁当箱を持っている女子が、教室に数人いたのだ。
「え、あ、これは……」
「そういえば有馬先輩も理央も、同じデザインの箱使ってなかった?」
「寺坂、女子四人に弁当作ってるの?」
☆
噂は、あっという間に広がった。
「ち、違うから! これは、その、寮の共同生活の一環というか……」
水瀬が必死に否定しようとするが、うまく言葉が出てこない。
「共同生活で弁当まで作ってもらうの?」
「それは、その」
「もしかして寺坂くんって、彼女たくさんいるタイプ?」
「違う! 断じて違うから!」
水瀬が声を張り上げれば張り上げるほど、周囲の視線は疑わしげになっていく。教室の窓から差し込む昼下がりの光の中で、水瀬の顔が次第に赤くなっていくのが見て取れた。
「じゃあどういう関係なの?」
答えに窮した水瀬は、大きく息を吸ってから言った。
「これは同居じゃなくて……共同生活!」
教室が一瞬、しんと静まり返った。
「今、同居って言った?」
「言ってない! 共同生活って言った!」
「それ、ほぼ同じ意味じゃない?」
「違う、微妙にニュアンスが……」
水瀬の声がどんどん小さくなっていく。誰の目にも、火に油を注いだことは明らかだった。
☆
放課後、水瀬は教室を出るなりため息をついた。
「もう最悪」
「なんであそこで同居とか言ったんだよ」
「パニックになったの! 自分でも何言ってるか分からなくなって!」
水瀬は顔を覆いながら、廊下を早足で歩いていく。窓の外に見える中庭の木々が、初夏の風に揺れていた。
「明日から絶対、弁当箱変えてもらうから」
「まあいいけど、それで解決するのか」
「解決しなくても、これ以上悪化させないための最低限の対策」
真剣な顔でそう言い切る水瀬に、俺はそれ以上何も言えなかった。
☆
その日の帰り道、水瀬は珍しく口数が少なかった。
「なあ」
「なに」
「弁当、迷惑だったか」
水瀬は少し驚いたように俺を見た。
「べつに迷惑とかじゃないよ。むしろ助かってるし、美味しいし」
「じゃあ何が問題なんだよ」
「問題は弁当じゃなくて、周りの反応でしょ」
水瀬はそう言ってから、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「その、変に噂されるのは嫌だけど……作ってもらうこと自体は、べつに嫌じゃないから」
「そっか」
なんとなく気恥ずかしくなって、俺はそれ以上追及しなかった。夕方の通学路には、初夏の風がぬるく吹いていた。
☆
寮に帰ると、リビングでは理央がすでに今日の噂話を聞きつけていたらしく、タブレットを構えて待ち構えていた。
「今日の学校でのやり取り、詳しく聞かせてもらえるかしら」
「なんでもう知ってるんだよ」
「クラスの生徒の一人から情報提供があったわ」
「情報網広すぎだろ」
水瀬が青ざめた顔で理央に詰め寄る。
「絶対、変な分析しないでよね」
「同居発言について、感情面での動揺度を測定したいだけよ」
「それが変な分析だっつってんの!」
奏がソファでくすくす笑いながらそのやり取りを眺めている。
「ひよりちゃん、今日は大変だったねえ」
「先輩まで面白がらないでください」
「面白いんだもん」
☆
夕食後、洗い終えた皿を水切りかごに並べ終えると、水瀬がふと思い出したように呟いた。
「そういえば、明日のお弁当、何入れる予定?」
「唐揚げと、卵焼きと、あとは彩り野菜くらいかな」
「唐揚げ、多めにして」
「注文かよ」
「注文です」
軽く睨み合うようにして笑い合う、そんな他愛のないやり取りが、いつの間にか二人の間の普通になっていた。




