第十二キュン 新入生は三キュン以上しゃべれない
GWが明けてから、すずの様子が以前より少し変だった。
リビングに顔を出す時間が短くなり、用が済むとすぐに自分の部屋へ戻ってしまう。
俺が寮の共用スペースを掃除しているときも、以前ならすずの方から毎日のように「お手伝いします」と声をかけてくれていたのに、ここ三日ほどは「今、忙しいので」と断られるようになった。
「小松、最近あんまりリビングにいないよな」
「あ……はい、その、勉強とかあって」
目を合わせずに答えるすずに、それ以上踏み込むのは違う気がして、俺はいつも軽く頷くだけにしていた。
☆
次の日曜日、秋月先生が寮のリビングに顔を出すなり、唐突な提案をした。
「今日、みんなでお菓子作りでもしない?」
「唐突ですね」
「発電量、そろそろまた落ち込んできてるからね。何か楽しいことでもすれば、少しは上向くかなって」
理不尽な理由ではあったが、寮のメンバーは案外乗り気だった。
「クッキーでいいですか」
水瀬が問いかけた。
「私、型抜き得意だよ」
奏がのんびりと手を挙げる。
「効率を考えるなら、分業制にするべきね」
理央がさっそく段取りを組み始める中、俺はふとすずの姿を探した。
リビングの隅で、すずが少し困ったような顔で立っていた。
「小松もいっしょにやるか」
「あ……えっと、私、あまり得意じゃなくて」
「得意じゃなくても大丈夫だろ、お菓子作りなんて」
少し迷った様子だったが、すずは小さく頷いた。
「じゃあ……参加、します」
☆
台所は思った以上に賑やかになった。
水瀬が粉を計量しながら文句を言い、奏が型抜きに夢中になり、理央がオーブンの温度を秒単位で気にする。
すずは最初、みんなから少し離れた場所で生地をこねていたが、次第に周りの空気に引き込まれていった。
「すずちゃん、そのハート型、可愛いね」
奏が声をかけると、すずは小さく頷いて、少しだけ口元を緩めた。
俺は焼き上がりを確認しながら、みんなの様子を横目で見ていた。
――と、そのとき。
「あ……」
すずの手元から、こねていた生地が机の上に落ちた。
「ご、ごめんなさい」
すずが慌てて拾おうとするが、その拍子に手についた粉があたりに舞い散った。
「わ、私、こういうこと、すぐ失敗するから……すみません」
声が震えている。表情がみるみる曇っていくのが分かった。
「小松」
俺はできるだけ軽い調子で声をかけた。
「失敗した分は、俺が食べるよ」
「え……」
「もったいないだろ。形が崩れても味は変わらないし」
落ちた生地を丁寧にまとめ直しながら、俺はそう続けた。
すずはしばらく黙って俺の手元を見ていたが、やがて小さく笑った。
初めて見る、声を出しての笑い方だった。
「ふふっ……ありがとう、ございます」
その瞬間だった。
――ピコン。
『感情エネルギーを検出しました。二・七キュン』
「あ」
水瀬が真っ先に反応した。
「小松、笑うと発電するんだ」
「わ、私、変な音立てちゃいましたか……?」
「変な音って発電音のことだと思うけど、可愛いから気にしなくていいよ」
奏がのんびりと横から口を挟む。
すずは真っ赤になって俯いたが、その表情はさっきまでの不安げなものとは違って見えた。
☆
オーブンからクッキーの焼ける匂いが漂い始めた頃、リビングはすっかり和やかな雰囲気に包まれていた。
すずが、ふと小さな声で呟いた。
「私、ここに来たばかりの頃、みんなと話すの、すごく怖かったんです」
誰に向けての言葉というわけでもなく、ただ独り言のように零れた声だった。
「なんとなく分かるよ、その気持ち」
水瀬が意外にも優しい声で応じた。
「私だって最初、この寮のこと変だと思って戸惑ったし」
「私は最初から楽しかったけどね」
奏が笑いながら口を挟む。
「先輩は特殊です」
理央が真顔で切り返し、リビングに小さな笑いが起きた。
すずはその輪の中で、静かに、けれど確かに笑っていた。
☆
夕方、焼き上がったクッキーを寮のみんなで囲んだ。
形の崩れたクッキーは、宣言通り俺が引き取ることになった。
「本当にいいんですか、私の分」
「いいって。むしろこっちの方が味濃くて好きだし」
適当な理由をつけて頬張ると、すずは少し安心したような顔をした。
「あの」
「ん?」
「今日、誘ってくれて、ありがとうございました。寺坂先輩」
一瞬だけ、その呼び方に引っかかった。
今まで、すずはずっと俺のことを「管理人さん」と呼んでいたからだ。
すずの声は相変わらず小さかったが、以前よりもはっきりと、まっすぐ届く声だった。
「また今度、いっしょにやろう」
「はい……!」
珍しく元気な返事に、テーブルを囲んでいた全員が顔を見合わせた。
「すずちゃん、今の声、大きかったね」
奏が茶化すように言うと、すずは慌てて口を押さえた。
「あ……す、すみません」
「謝らなくていいよ」
俺がそう言うと、すずはまた小さく笑った。
窓の外は、夕方の淡いオレンジ色に染まりかけている。
寮の照明は、その日いつもより少しだけ明るく灯っていた気がした。
誰か一人のためではなく、みんなでいることの中で生まれた、小さな発電量の分だけ。




