第5話「闘争本能」
彼はまた夢を見た。
それは恐ろしい夢だった。
見渡す限りが焦土と化した焼け野が原。
焼きただれた木や何かわからない塊のようなものが陽炎で揺れて見えた。
彼の中で、ある意識だけが認識できた。
この中でも“奴だけは生きている”と。
彼の中にあったのは憎悪の感情だった。
奴だけは消さなければならない。
地面を踏みしめ歩くと、じゅうと地面が溶けるような音が聞こえた。
熱風が吹きつけるが、彼は動じることなくただ一点を見つめている。
地平線の向こうに黒い竜巻が巻き上がり、稲妻と雷鳴が鳴り響いた。
…奴はその中にいる。
*
彼は跳ね上がるようにして起きた。
じっとり汗をかき、動悸がしている。
彼は部屋を見回した。暗いがいつもとかわらない殺風景な寮の部屋だった。
「どねしたん?もう朝か…?」
少年が片目だけあけて言った。
「ごめん大丈夫、まだ真夜中だよ」
「そっか、それならええわ…」
少年はまたすぐ寝てしまった。
彼は夜風にでも当たろうと外に出た。
昼間でもこの学園は静かな場所ではあったが、夜になるとまったく音というものを忘れたかのような静寂になった。
空は満天の星空。
彼は夜空ほど不思議なものはないと思っていた。
なぜなら、この暗闇に輝くものは宇宙が丸見えになっているからなのだ。
光は、何年もかかって届くという。
今、自分が見ている光は、もしかしたら何百年も何千年も昔の光なのかもしれない。
それは理屈ではわかっても、感覚としては理解できなかった。
星空を見ながら、彼はさきほど見た夢を思い返していた。
あれは本当に夢だったのだろうか?
あの場所に見覚えはなかった。しかし、まるで自分が体験したかのような、正確にいうと自分が中に入り込んで現実に起こったことを見たかのような臨場感があった。
そして、あの憎悪の感情…。
相手は誰だかわからない。ただ、あの黒い竜巻の向こうにその存在はいることがわかり、自分は恐ろしくその存在のことを憎んでいた。
認めたくなかった。自分があんな残酷な感情を抱くことを。
しばらく星空を眺めていると、気分が落ち着いてきた。
彼は深くため息をつくと、そっと扉を閉めて寮の中に戻った。
よく朝、いつもどおり早朝の掃除を終えると授業をうけるため教室に向かった。
何人かの生徒を挨拶をかわし、扉の前につくとモジャモジャが待っていた。
「あれ、体調悪いんですか?顔色がよくないですね」
モジャモジャが彼の顔を覗き込んだ。
「そうかな?いつもと同じだと思うけど…」
「そういや、こいつ夜中に起きててん」
少年が彼を指さして言った。
「それはよくないですね。夜更かしは体に悪いですよ」
「そうだね…」
彼は小さくうなずいた。
席に着き、しばらくすると遠くからボーンと音が聞こえてきた。
席につかずに立ち歩いていた生徒も、その音が聞こえると一斉に席に着いた。
教室内はしんと静まり返った。
今日の授業は”生物”についてだった。
今から38億年ほど前、地球に誕生したという生物は、初めは1つの細胞しか持たない微生物だったという。
時を経て徐々に多くの細胞を持つ生物が生まれ、5億4000年前のカンブリア紀に、生物は海の中で目覚ましい進化をとげ、現在の動物の体の基本のなる構造を持つ生物も誕生した。
植物、節足動物、両生類が海から陸に上がり、陸上生活を始めたのは4億年から3億年前。
かつて、地球には多くの生命が生まれ、そして消えたという。
恐竜という巨大な生物が地球を支配した時代もあったが、1億6000万年の繁栄の末、絶滅した。
その後、この地球の食物連鎖の頂点に立ったのが人類という存在だった。
人類もかつては、地域や風土に合わせて多様に存在していた。
しかしある時を境に、たった一種の人類、ホモサピエンス以外は絶滅してしまう。
ホモサピエンスが他の人類と違ったのは、“想像”する力を持ったからだった。
“想像”は“創造”をも可能にした。
ホモサピエンスは言語により見知らぬもの同士で意思の疎通や、共通の認識によって共同体をつくることができ、“集団”という力を得た。
それは、文明の始まりであり、人類の”殺戮と侵略の歴史”の始まりでもあったのだという。
「なんだか怖い内容でしたね」
授業が終わるとモジャモジャが彼に話しかけてきた。
彼は振り返り、「そうだね…」と応える。
「まぁ、あれちゃう。世の中綺麗事だけでは済まないってことやろ」
少年が腕を組んでえらそうに言った。
モジャモジャは苦笑し、
「たしかにそうなんでしょうけど…、そんな歴史って悲しくないですか?」
「だったら、変えて楽しくしたらええやん」
モジャモジャはポン!と手を叩いた。
「あっ!良いこと言いますね。そうですね。今日から変えましょう」
「そうや。おれの言うとおりにしたらええねん」
少年が胸を張って笑う。
彼は二人の無茶苦茶なやりとりを聞きながら、生徒会長の彼を見かけたので声をかけた。
「やぁ、なんだい?」
生徒会長は爽やかに振り返った。
「実は聞きたいことがあって…」
「なんだろう?僕にわかることなら答えるよ」
彼は夢のことについて尋ねた。
「夢?あぁ、夜寝ているときに見る夢のことかい?」
生徒会長は少し考えた。
「実は、まだ夢のメカニズムは解明できていないそうなんだ。昔は、肉体から抜け出した魂が見たものや、なにかのお告げではないかとも考えられてたみたいだけどね。でも実際は、体が寝ている間にも脳は起きていて、脳が記憶の整理をしているんじゃないかと。夢はその情報処理の時に起こる、いわばノイズが見えているのじゃないかと」
「つまり、夢は自分の記憶ということ?」
「ある意味ではそうだけど、ある意味ではそうではない。自分の実体験とは限らないからね。ただ、僕たちは記憶を失っているから、もし夢を見たら、それは失った記憶の貴重な手がかりかもしれない…」
「そっか…」
彼が考え込むと、
「もしかして、なにか気になる夢でも見たの?」
生徒会長は心配そうで、でも興味津々の嬉しそうな顔をした。
「え!?い、いや、そういうわけじゃないんだけどね…」
彼はあわてて手を振って否定した。
「そう?だったらいいんだけど」
生徒会長が澄んだ目で彼を見る。
彼は見透かされそうな気がして目を反らした。
*
翌日、大男の指導するトレーニングの内容が大きく変わった。
「よく聞くべ。今日からおぬしらにはいろんな格闘術を教えていくべ。とても危険なものも多いからちゃんとルールを守るのが鉄則だべ。先生には迷惑をかけるなよ」
大男が生徒を見渡した。
「まず今日おぬしらに教える格闘技は、“カラテ”だべ」
生徒は皆首をかしげて互いを見合う。
「カラテとは、まさに名前のとおり、手にはなにも持たず、空の手で戦う格闘技だべ」
大男の説明を聞いていると、背後から”番長”が彼らに話しかけてきた。
「ついにおれらの本領発揮だな。腕がなるぜ」
「またあんたかいな。勝手に本領発揮しとけや」
少年がめんどくさそうに応えた。
「おやおや強がって。おまえらも本当はこういうのを待っていたのじゃないのか?」
「あんたと一緒にしゃんといてくれるか」
そのやりとりを聞いて、彼だけは少し動揺していた。
あの夢のことを思い出したからだ。恐ろしい憎悪と本能的な衝動。
あの時、彼の体が求めていたのは、まさしく”力”だった。
「まぁ、でもたしかに今までのトレーニングはちょっと退屈やったかもしれんな」
少年が腕を回した。
「ふふ。よくわかってるみたいじゃないか」
番長が不敵な笑みを浮かべた。
少年がいうように、たしかにこれまでのトレーニングは走ったり飛んだりといった単純な運動や筋力トレーニングばっかりだった。
番長はトレーニングが始まった頃から、彼らにやたら対抗意識を出して度々絡んできた。
しかし対抗とはいっても、坂道をダッシュしてどちらが先に上にたどり着くかとか、石をどこまで遠くに投げれるとか単純なものばかりで、彼らとしても番長に付き合う義理はなかったのだが、いつも少年が番長の挑発に乗ってしまい勝負する羽目になった。
「カラテは力を誇示するものではない。精神を鍛えるためでもあるべ。カラテは“ここ”と“ここ”にある」
大男は頭を指さし、胸に手を当てた。
「よし、おまえらこれを持つべ!」
大男が生徒になにかを渡していった。
渡されたのは布だった。皆それを持ち不思議そうに眺めた。
「これで校舎の床そうじをするべ。ピカピカになるまで磨けよ」
固まったのは番長だった。彼らも拍子抜けしてしまった。格闘術を学ぶと言ったのに床そうじが始まるとは…。これじゃまるで今までのトレーニングと変わらない。むしろそれ以下だ。
「こうやって磨くんだべ。よく見ろ」
大男が手を動かして見本を見せた。
「大事なのは呼吸だべ。鼻からすって口からはく。そら、やってみるべ!」
生徒らは、戸惑いながらも見よう見まねで手を動かした。しぶしぶ彼らもそれをマネて動かした。
「はははー。番長、これがあんたの本領発揮かー?」
少年が手を回しながら言った。
「うむむ…」と番長は悔しそうに押し黙った。
床そうじが終わると、次は壁のペンキ塗りをさせられた。
「よう番長、精が出るね」
少年が声をかけると、番長はペンキを塗る手を止め、壁を見ながらプルプルと震えた。
「番長は記憶を無くす前は、ペンキ屋だったのかもな」
少年が笑いながら言った。ついにキレた番長が、
「もうこんなことやってられん!」
とハケとペンキ入れを少年に向けて投げつけた。
少年が軽々と避けると、ペンキ入れが壁にぶつかり、ペンキがぶちまけられた。
「相変わらずノロいね。次はペンキ入れの投げ方のレッスンかな」
「おのれ!」
番長が少年に向かって間合いをつめた。
「おっ、やるのか?」と少年も構えた時、
「お前らなにやっとるんべ!」と大男の怒声が轟いた。
二人の前にやってきた大男は、壁にぶちまけられているペンキとペンキ入れを見て、「誰がこんなことしたんべ?」と尋ねた。
いつの間にか、他の生徒も何事かと二人の周りに集まってきた。
「おぬしか」と、大男が少年に聞いた。
「こいつ」と言って少年は番長を指さす。
「なぜこんなことしたんだべ?ペンキを塗れと言ったはずだべが」
「それが納得いかんのです」
「ん?」
「おれはカラテとやらが学びたいんだ。こ…こんなペンキ塗りをして何になる」
「おぬしはもうすでにカラテをたくさん学んでおるべ」
「どこが?雑巾がけにペンキ塗り。おれは先生らの召使いじゃない!」
「…よしわかった。二人ともここに並んでみるべ」
大男が二人に指示すると、「なんでおれもやねん」と少年は文句を言いつつも、番長と向かい合って立った。
「よし、おぬしの方がこやつに向かって適当に殴りかかってみるべ」
「へ?おれが?」
少年が自分を指さして確認した。
「そうだべ。おもいっきり殴ってみろ」
「へへへ。じゃあ、番長すまんな。怨むなよ」
少年は言うが早いか、番長に向かってこぶしを付きだした。
「今だべ!床そうじ!!」
大男が叫ぶと、番長が雑巾をかけるように腕を回し少年のこぶしを受け止めた。
「なに!?」
少年は驚き、今度は足を狙おうと蹴りをいれた。
「今だべ!ペンキ塗り!」
大男がまた叫ぶと、番長はペンキを塗るように手を下におろし、少年の蹴りを受け止めた。
「!!??」
少年と番長、双方が驚いてお互いを見た。
「よし、もういいべ。二人とも離れろ」
二人が離れると、生徒の間からパチパチパチと拍手が起こった。
「わかったか、これがカラテだべ。かつて、ゴウジュウリュウと呼ばれた一つの流派だべ。もちろん、これは入口に過ぎん。これからおぬしらは、ジュウドウ、アイキドウ、ケンドウ、ケンジュツと多くのものを学ばんといかんのだべ。いくら時間があっても足りん。気合いれてやるだべ!」
生徒たちも手を動かして、先ほどの少年と番長の突きや防御のマネをしていた。
彼だけが浮かない顔をし、自分のこぶしを見て考えていた。
格闘術を学ぶのは何のため?
何かを倒すため?
僕たちに敵はいるのか?
いるとしたら一体なにもの?
そして、どこにいるというのだ!?




