第4話「生徒」
学園では先生が行う授業と、大男が行う体を鍛えるトレーニングの日が交互であった。
今日は朝から彼らはひたすら広い校内を走り続けている。
彼と少年と男の子の三人は、他の生徒に比べると抜きんで身体能力は高かった。それでもこの走り込みはなかなかキツい。周りを見ると、その場で座り込んでいる生徒が何人もいた。
「君らは凄いよー。僕はもう無理」
丁度、彼らの前にへたりこんでいる“モジャモジャ”が顔をしかめながら言った。
モジャモジャというのは、少年が付けたニックネームである。
モジャモジャは、彼らが初めてこの学園で会話を交わした他の生徒で、ある日、寮に帰ろうと歩いている彼らに突然声をかけてきて、驚いて振り返った彼らを、少し気弱そうな顔をしたモジャモジャがこちらを見ていたのだった。
「驚かしてすみません。あのー、お話できますよね?さっき、皆さんが話をしているのを見て…」
「も、も、もちろん!大丈夫だよ!」
彼があわてて言った。少年と男の子ももうなずいた。
モジャモジャが言うには、モジャモジャも同じように記憶がなく、どこかで目覚めて気付いたらこの学園の入口に立っていたのだという。
「そしたら大男がいて驚きました。逃げようと思ったんですが、腰を抜かしてしまって」
「まぁ、あれは反則やわな」
少年が腕を組んで言った。
「そうです、そうです」とモジャモジャが苦笑する。
お互いに状況には全然納得はいってはいなかったが、むしろ、それに親近感が沸いて、以来ずっと彼らはモジャモジャと一緒に行動するようになった。
モジャモジャは、あまり器量がいいとは言えなかった。授業でわからないことがあると先生によく質問し、それでもわからないと頭をかかえて考え込み、しばし授業を停滞させた。
でもある時、溝に足をひっかけ倒れた生徒がいたときは、モジャモジャが真っ先に駆け付けて助けた。
「困っている人がいたら、僕は助けられずにはいられないんです」
その優しさに彼らは感動した。
しかし、モジャモジャの運動神経は絶望的だった。
走っても、飛んでも、なにしてもダメ。助ける方より、むしろ助けられる側だろうと正直彼らは思った。今日の走り込みのトレーニングも、一見彼らと同じ位置にいたが、周回遅れだ。
「おいおい、もうちょっとがんばろうやぁ。ほら、マドンナが見ているぜ!」
少年がそうけしかけると、
「え!?どこどこ!!」
とモジャモジャが飛び上がり辺りを見渡した。
「ごめん。うそ」
「えー、そういうのはやめてくださいよ」
モジャモジャがもう一度へたりこんだ。
マドンナというのはこの学園の紅一点で、歩けば皆が目を奪われた。
ただ、いつも親衛隊のような奴らが取り囲んでいて、近寄ることができない。
すると、男の子が彼の服をひっぱった。
「ん?どうしたの?」
「もうすぐ来るよ」
男の子が言ったとおり、少しするとドンドンドンと大男の足音が向こうの方から近づいてきた。
「お前ら、なにさぼってんだべ!さっさと走れ!」
姿を現した大男の怒声が轟く。
「ひえー」
彼らとモジャモジャは走りだし、へたりこんでいた他の生徒も立ち上がり走り出した。
*
日に日に会話ができる生徒は増えていった。
ある日、彼らが授業を終えて建物の外に出ると、キリっとした顔立ちの青年が立っていた。青年は彼らのことを見ている。彼らも青年を見た。
「………」
「………」
たまりかねて少年が、「お前誰やねん!」と巻き舌で叫んだ。
「失礼!僕も君たちと同じここの生徒だよ。申し遅れてごめん」
青年はちょっと優雅に頭をさげてあやまった。
青年のその振る舞いとスタイルの良さも目を見張った。
「なんか、君は他の生徒とは雰囲気が違うね」
彼が手を差し出して青年と握手をした。
「そうかい?」
「なんとなく、なんでも知っていそうな雰囲気というか」
「あぁ…」
青年は髪をかきあげ、
「以前の僕はどうやら知識と知性に恵まれてたらしいんだ」
「自分で言うか」
少年が呆れる。
「え!?以前の記憶があるの?」
彼は驚いて尋ねた。
「いや、ごめん。ほとんどないよ。そんな気がするだけさ。正直、僕の中はからっぽさ。だけど先生の話を聞いていると、時折なにか断片がつながるように理解できる時があるんだ」
「凄いね。僕らなんてさっぱりだよ」
「そうかい?学ぶっていうのは素晴らしいことだよ。僕は記憶を失って、むしろ幸せなのかもしれない」
「どうして?」
「だって、また一から学べるんだよ。知識を得て、この世を知っていく感動をもう一度味わえる」
「へぇ~、そんな風に思えるのって凄いね。また今度勉強を教えてよ」
「もちろん!」
青年は、「じゃあ!」と敬礼のようなポーズをすると、軽やかに去って行った。
「なんだかわからないけど、良い人そうでよかったね」
彼が振り返り、少年と男の子に向かって言った。
少年は、その青年のうしろ姿ををじっと見て、「あいつは、“生徒会長”やな」と言った。
*
ある朝、嵐がきたように大雨が降った日があった。
それでも授業は行われて、彼らは走って校舎に向かった。
「うわー、大変びしょびしょ」
彼らはなんとか入口の扉に辿りついた。
「凄い雨だね」
モジャモジャもやってきた。
「ええなぁ。お前は頭が傘かわりになって」
少年が羨ましがると、モジャモジャが頭を振って水を弾き飛ばした。
「うわーなにすんねん!やめろや」
彼らが逃げるようにして教室の中に入ったその時、ふと横を見ると、教室の隅に立っている男に気が付いた。男は、じーっと眉間にしわをよせてこちらを見ている。
「なんやねん、おまえ」
少年が食ってかかっていったので、彼が、「やめときなよ」と止めた。
それでも男は微動だにせずこちらを見ている。
「ちぇっ」
と少年が舌打ちし、授業の始まる合図の音が聞こえたので皆、席についた。
授業では、”地球という星”の構造や地質について学んだ。
正直、かなり退屈な内容だった。
その星はとにかく複雑な性質をもっているらしい。
ある意味では、星も生き物なのでしょうと先生は言う。
雨で体が濡れたせいで気持ち悪く、「へっくしゅん!」とモジャモジャがくしゃみをして鼻水を垂らしたので、少年と男の子が笑いをこらえて身をよじらした。
ふと彼が教室のうしろを見ると、まだあの男は隅に立っていた。
席につかないということは、生徒ではなく他の先生だったのだろうか。
だとしたら、さっきはかなり失礼な口をきいた気がする。あやまらないといけない。
授業が終わると、彼は隅に立つ男のところに向かった。
「あのー、どうしてずっとそこに立っているんですか?もしかして先生ですか?」
彼が尋ねたが、男はずっとこちらを睨むように見ている。
「あのー…」
「…われは、座れんのだ」
「え!?」
聞き間違いかと思ったので、彼はもう一度尋ねた。
「あのー…」
「われは、座れんのだ」
「え!?」
「われは、どうしてもあの席には座ることができんのだ。先生に言ったら立ったままでもいいと言われたので、われはずっとここに立っている。授業はちゃんと聞いていた」
「この…隅で?」
「ここが落ち着くのだ」
「そうなんですか…。すみませんでした変なことを聞いて」
「かまわん」
彼らとモジャモジャは校舎から出ると、雨は止んでいた。
少年がぼそっと彼に耳打ちした。
「あいつは“警備員”や」
*
その他にも、トレーニングの時になぜかやたら対抗意識をむき出しにしてくる「番長」や、手先が器用な「職人」。
少年のつけるニックネームはどこか失礼なニュアンスがあったが、皆一様に記憶をなくし、名前も憶えていなかったので、そう呼ぶしかなかった。
話せる仲間が増えてくると、学園での生活も当たり前のような感覚になってきた。少年やなんかは、もはやこの学園こそが自分の存在する場所であるかのように馴染んでいる。
彼だけ、ふと自分が場違いな場所にいるように思うことがあった。
“虚無”という言葉が、ふいに思い浮かんだこともある。意味はよくわからない。ただ、そういう言葉が浮かんだ。毎日が、まるで自分を上から眺めているような、どこか他人事のような、不思議な感覚。自分が自分でないような。いや、そもそも自分って何?
一体、自分はどこから来て、どこに向かっているのか。
もしかしたら、意味なんてないかもしれない。
そんな風に物思いにふけることが多々あった。
そのうち忙しさにかまけてか、彼もあまり深くは考えないようになっていたが、そう心がしむけていたのかもしれない。考え過ぎると、心がしんどくなるから。
つまりこの世界は、それほど理解しなくても生きていけるのかもしれない。




