第5話「決意」
タケルは、日差しのまぶしさに顔をしかめ目を開けた。
自分がどこにいるのか、まったく見当がつかなかった。
一瞬、普通に寝床で目覚め、となりを見ればヨシノがいるような錯覚さえした。
しかし、視界に入ったのは土と岩。それを見て、ようやく状況を飲み込めてきた。絶望的な気持ちが湧いてくる…。
体を起こそうとしたが、思うように動かない。全身に激しい痛みが走った。
「ぐっ!」
タケルはゆっくりと体を起こした。
そして辺りを見渡す。一体ここはどこなんだ?と思うほど、周辺は変わり果てていた。
崩れた岩場と祭壇。わずかな痕跡がそうであったことを伝えている。
ヨシノの姿を探したが、見つかるわけがなかった。
タケルは昨夜の光景を思い返した。稲光の中、こちらを見て叫ぶヨシノの顔。背後に、まるで山を覆うようにあった黒く渦巻く影…。
とても現実に起こったこととは思えなかった。
しかし、全身に感じる痛みが、これが現実であることを残酷にも伝えていた。
よろけながら歩く。ただでさえ足場が悪いので、何度もこけながら歩いた。
破壊された祭壇のあったあたりを歩くと、ふと先にあった割れた巨大な岩の裂け目から、向こう側になにか不思議なものが見えているのに気付いた。
タケルは体の痛みも忘れて近づき、岩の裂け目から覗くと、奥に色鮮やかな絵が見えた。
「なんだ、これは」
岩をくぐる。岩を抜けると、目の前に巨大な屏風のような岩があり、一面に壁画が描かれていた。
タケルも知らないものだった。じいやからも聞いたことがない。
もしかしたら、隠されていたものが衝撃で現れた?それとも、もともとここにあったものが、地形が変わり隠れてしまっていたのであろうか。
壁画を見上げると、ところどころが剥げ、色のかすみ具合からしても、相当古いものであることは容易に想像がついた。一体、誰がいつ描いたのものなのか…。
タケルは壁画に見入った。壁画はいくつもの場面に分かれて描かれており、おそらく、左の方から進んでいくのであろう。初めの絵は、女だった。
女が光り輝くようにして立っている。その下には小さな人が群がっている。
次の場面では、黒い荒い線で、なにか異形のものが描かれていた。
脳内に昨夜の光景がフラッシュバックする。これは災厄だ。間違いない。
災厄の前に、大きな刃のようなものを持って立ち向かう男の姿があった。男は災厄を斬った。
災厄は斬ることが出来るのか!?
肝心の次の場面は、岩が崩れて判別できなかった。
さらに先に目をやると。また刃を持っている男が描かれている。男は、その刃をどこかに置いているようだった。海辺の島のような場所だった。
そこからは、意味がわからない不思議な絵が続いた。
巨人の絵。逃げまとう人々の姿。巨大な建物が作られては、燃えて消える様子。人々が集まる様子。その人々が焼かれる姿。
また岩が崩れ判別できなくなり、次の場面では手をつなぐ人々の姿。そして、その頭上になにか現れるもの…。災厄だ。
逃げまどう人々の姿で壁画は終わっていた。
タケルは様々な疑問が湧いて、頭の中は整理がつかなかったが、一つだけ理解できたことがあった。災厄は斬ることができるということだ。あのような大きな刃があれば…。
「タケルさーん、タケルさーん」
遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた。
岩の裂け目から出ると、下の方から人の群れが登ってくるのを見た。
「おーい!ここだ!」
タケルは手を振り叫ぶ。
「あっ、タケルさんだ!」「おい!タケルさんがいたぞ!」「よかった生きていた!」
男たちが口々に叫ぶ様子が聞こえた。
駆け付けた男たちの先頭にはケンがいた。
「タケル!無事でよかった。…大丈夫か?」
ケンはタケルのことを舐めるように見た。
ケンが心配そうに見るのも無理はなかった。タケルは顔から足まで泥まみれで、服が破けた部分からは、赤い血が乾いてこびりついていた。
「あぁ。なんとか大丈夫だ。みんなも無事だったのか?」
「村のものは無事だ…」
ケンはどこか言い難そうに言った。
「ん?なんだあれは?」
ケンはタケルの後ろの方に目をやった。
タケルが振り返る。
「あぁ。昨夜の衝撃で岩場の裏から壁画が現れたんだ」
「壁画?」
ケンも含め、男たちは岩の裂け目から壁画を覗いては驚きの声をあげた。
「これはまたあとで詳しく調べよう。とにかく、今は先に村に帰ってタケルの傷の手当てもしないと」
ケンが言うと、村の男たちもうなずいた。
タケルは皆に支えられ、山を下った。
*
村人たちは、タケルの姿を見て息を呑んだが、無事だったことを喜んだ。
しかし、どこか表情に陰りがあったのは、きっとヨシノのことを考えているのだろうとタケルは悟った。そして、それはまだどこかで期待していた、ヨシノが無事だという希望が、完全に消えたことを意味していた。
タケルは数日間寝込んだ。
のちにケンから聞かされたが、その間、村人たちは毎日高台の屋敷を望んでは、茫然と立ちくしていたという。
一見すると、日常を取り戻したかのように見えるのだが、ふとそんな瞬間が訪れるのだそうだ。ケン曰く、村人たちは感情の持って行き場に困っていたのだと。
喜んでいいのか、悲しめばいいのかわからない。こういう時、どうすればいいのかわからないから、ただ空を見るしかなかったのだと。
タケルはすべてに対して申し訳なく思った。
「僕のせいだ」
珍しくケンに弱音を吐いた。
ケンは、「それは違う。誰が悪いとかではない」と声を詰まらせた。
タケルは黙った。
悪い?そうだ、悪いのはこの世界である。
この世界を歪めている災厄こそが諸悪の根源である。
なぜそんな単純なことに誰も気がつかないのであろう。
それを消さない限りには、この世界に望みはないのだ。
これまでのことが。生まれてからこれまでのことが頭に映し出された。
一体自分はなんのために生まれてきたのであろう…。
…きっと意味があるはずなんだ。
しかし、どれだけ考えても結論なんて出るはずがなかった。
…今自分に必要なのは結論ではなく決断だ。
タケルはそう悟った。
翌朝目覚めると、決意は固っていた。
体力が全快したタケルは、村人を高台の下の広場に集めて演説した。
「皆に集まってもらったのは、他でもない」
何事かと不安な面持ちで集まった村人たちの顔を、タケルは見ていった。
「災厄のことについてだ」
そう言うと、村人の顔が一斉にさまざまになり、どよめいた。
「皆も知っていると思うが、ヨシノがいけにえになったことで災厄は去った…。しかし、本当の平穏は訪れない。なぜなら、災厄は今も存在しているからだ。皆も、あの裏山から現れた壁画を知っているであろう。あれがいつ描かれて、誰が描いたのかはわからない。しかし、間違いなく誰かがのちの人に伝えようとして描いたのだ。いや、託そうとしたのかもしれない」
タケルは間を置いて言った。
「あの壁画には、災厄が倒せる存在であるということが書いてある。僕は、まだあきらめていない。ヨシノは僕の目の前で消えたが、生きていると信じている。以前、僕はヨシノに、どこにいても必ず助けに行くと約束した。だから、その約束を果たすために災厄を倒す」
広場は騒然となった。
ケンが、村人たちに「落ち着くように!」と言って周っている。しかし、ケンも村人と同じように不安な顔をして、タケルの方を見ていた。
「災厄に連れ去れたのはヨシノや、この村のものだけではない。みんなは自分が無事だったらそれでいいのか?この村じゃなかったらそれでいいのか?僕たちは、今まで現実から目を背けて生きてきた。僕たちには、この世界に生まれてものとして果たさなければならないことがあるのではないのか」
その時だった、じいやが村人をかき分けタケルの前に出てきた。
「タケル。お、おぬし、なにを言っとるのじゃ!」
タケルはじいやを見下ろし、
「僕は旅に出る。災厄を倒し、連れ去られた人々を連れ戻すため」
「タケル!それはいかん!そんなことをすれば、さらに災いを引き起こすだけじゃ」
「それはやってみないことにはわからない」
じいやは言葉が詰まり、振り返り村人たちを見渡す。
「先人たちが残してきたものを守るのが我々の役目じゃ。なにより…」
再びタケルの方を見て、「おぬしはこの村を治める長じゃぞ、長がこの村から出てどうする」とじいやが叫んだ。
「だから、僕は災厄を倒して、必ず村に戻るんだ」
タケルは表情を変えず言った。
「われわれは、今まで平穏にやってきたのじゃ…」
「平穏?どこか平穏なんだ?じいやは、愛する人が連れ去られて、見捨てる世界が平穏だというのか」
すると、村人の中から、
「そうだ!そうだ!」
「タケルさんの言うことが正しい!」
「やってみなけりゃわからないじゃないか」
と声が上がった。主に声をあげたのは若い世代だった。年配のものたちは険しい顔をして黙っている。
「なぁ、じいや」
ケンも前に出てきて、じいやに話しかけた。
「じいやも知っているだろ?タケルがこんな風に言い出したら後には引かないことを。俺は、タケルの言うことも理解できるし、じいやの言うことも理解できる。どうだろう。タケルが無謀なことをしないように、俺も付いて行って止めるということで許してくれないか?」
「ケン、おぬしまで…。タケルとケンまでこの村を離れたら、一体どうやってこの村を…」
「じいやがいるじゃないか。それに、村の若いものをもっと信頼してやってくれ!」
「……」
じいやは村人を見た。
「こないだまでじいやでなんとかなってたわけだしな。適任じゃないか」
「そうだ。じいやが長なら安心だ。またよろしく!」
「はは、じいやの隠居生活も当分おあずけだな」
村人たちが口々に言った。
じいやは観念したように頭を下げた。
「わかった。おぬしたちがそこまで言うのなら…。しかし、条件がある」
じいやは顔を上げ、村人、ケン、タケルと見ていった。
「二人だけでは心もとない。もう一人連れて行け」
「もう一人?」
タケルとケンは見合った。そして、村人に視線を移していく。
村人たちは急に静まりかえり、誰も目を合わさなくなった。
「誰も適任がいないようじゃの…」
じいやが勝ち誇ったように言った。
すると、「おいらが行くっす!」とサルが手をあげた。
「サル!お前が!?」
じいやはサルの顔をまじまじと見た。
タケルとケン、村人たちもサルに注目した。サルは恥ずかしそうに頭を掻く。
「たしかに、村で唯一災厄の姿を見たもの。適任かもしれん…」
じいやが腕を組んで唸った。
「サル、いいのか?」
タケルが尋ねる。
「はい!おいら行きます!おいらが、タケルさんケンさんを守ります!」
なぜか、村人から笑いが起こった。
「ケンもいいのか?しばらくは村には帰れないかもしれないぞ」
「別にいいさ。おれには待っている人もいないしな」
「おいらもいないっす」
サルがそう言うと、また村人から笑い声があがった。
*
翌朝、まだ暗いうちに準備を済ませたタケルたちは、村の入口に集まった。
早い出発になったのは、急ぐという意味もあったし、あまり大っぴらにするほど歓迎されたことでもなかったからだった。年配のものの中には、最後までしつこく反対するものもいた。
サルが母親と共にやってきた。
「タケルさん。頼りない息子ですが、よろしくお願いいたします」
サルの母親が頭を下げる。
「母ちゃん、心配すんなって。タケルさんとケンさんがいれば大丈夫っす」
タケルは、サルの母親に深く礼をした。
「必ず、サルは無事に返します」
「あんた、タケルさんに迷惑かけないようにね!ちゃんとお役目果たすのよ」
「母ちゃん。大丈夫だって」
サルが、もうあっちに行くようにと母親に手を振った。
若い数人の男たちも見送りに駆け付けた。
タケルは全員と握手を交わし、「村をよろしく頼む」と声をかけた。
男たちはうなずき、「タケルさんとケンさんのいない間は、じいやと僕たちで村を守ります。どうかご無事で」と、力強く言った。
皆どこか晴れ晴れとした表情をしていたのに、タケルは勇気づけられた。
彼らが本心から笑えるような世界にしなければならない。改めて決意を強くしたのだった。
村の門を出ると、まずは西を目指して歩いた。
壁画には災厄が斬れる刃がある場所は海辺のように描かれていたので、北の消えた海岸線の村以外では、最も近いところでは西にしか村はないとケンが言ったからだった。
手がかりといえばそれくらいしかなかった。タケルは、この旅がかなり無謀なものであることは十分に承知していた。もし、どうしても立ち行かなくなれば、ケンとサルだけでも村に返そうと考えていた。もちろん、そんなことは口にはしなかったが。
息子のハヤトは、母のユウコに託してある。
もし自分が帰らなければ、ハヤトも父親を怨むことになるのだろうと思うと胸が痛んだが、この悲劇をここで断ち切らなくては、またその次の世代に悲劇を受け継がせていくことになることになる。心を鬼にするしかなかった。
タケルは、今一度村の方を振り返る。はるか山の向こうに陽が上がろうとしている兆しが見えた。そのあまりにも美しさと、すべてを包み込もうとする優しさに、押し殺していた感情が溢れそうになった。涙が流れそうになるのを歯を食いしばって押える。今はまだ泣く時ではない。涙を流すのはすべてをあきらめた時でいい。
「あっ、流れ星っす!」
サルが立ち止まって言った。タケルも立ち止まって空を見た。たしかに一瞬光が見えた。
ケンは呆れたような顔し、
「流れ星なんて、別に珍しいもんじゃないだろ。さぁ急ごう」
と先で手招きした。
タケルも特別気にする様子もなく歩き出した。
「あー、待ってくださいっす!」
少し遅れたサルが、二人を追いかけた。




