最適解の代償
ベルナールの気配が、消えた。
それでも。
足は止まらない。
止めてはいけない。
彼が繋いだ時間を、無駄にしないために。
「……っ」
胸の奥が、軋む。
叫び出したくなる。
振り返りたくなる。
でも。
前を見る。
それが、彼の望みだから。
「その判断は正しい」
静かな声が、響いた。
足が止まる。
この声は──
「……ジョルジュ」
振り返る。
そこにいたのは、彼だった。
いつもと変わらない姿。
整った服装。
乱れのない佇まい。
まるで、この異常な空間すら計算済みであるかのように。
「お久しぶりです」
軽く頭を下げる。
その仕草すら、完璧だった。
「どうしてここに」
問いかける。
もう驚かないつもりだったのに。
それでも、この男の登場は──
異質すぎる。
「当然の帰結です」
淡々と答える。
「この状況において、最適な判断を行うためには、私の介入が必要不可欠ですから」
いつも通りの理屈。
いつも通りの口調。
だが。
「……あなた」
一歩、近づく。
「全部知ってるの?」
彼は、一瞬だけ目を細めた。
そして。
「はい」
迷いなく、答える。
「この世界の構造も、繰り返しも、あなたの役割も」
すべて。
知っていた。
「……なんで」
声が震える。
「なんで、何も言わなかったの」
彼は、わずかに沈黙した。
ほんの一瞬。
それだけ。
そして。
「言う必要がなかったからです」
冷静な答え。
「情報は、適切なタイミングで開示されるべきです」
感情はない。
ただの合理。
「それに」
続ける。
「過去の事例において、あなたに事実を伝えた場合、成功率が低下する傾向が確認されています」
心臓が、強く打つ。
「……過去」
「はい」
頷く。
「私は、何度も同じ状況を観測しています」
つまり。
「あなたも、覚えてるの?」
「正確には、記録しています」
感情ではなく、データとして。
「そして、分析してきました」
その結果が──
「……さっきの最適解?」
「その通りです」
即答。
迷いなし。
「あなたを犠牲にすることで、世界は安定する」
あまりにも、あっさりと。
その結論を言う。
空気が凍る。
ノエルが、剣を握る手に力を込める。
アルベルトが、低く舌打ちする。
クリストフの視線が鋭くなる。
だが。
ジョルジュは、一切動じない。
「それが、最も効率的です」
ただ、事実を述べるように。
「……ふざけないで」
思わず言う。
「そんなの──」
「感情論です」
遮られる。
静かに。
しかし、確実に。
「個体一つと、世界全体」
指を一本立てる。
「比較するまでもありません」
その理屈は、正しい。
否定できない。
だからこそ──
苦しい。
「……でも」
言葉を絞り出す。
「私は、もう選んだ」
彼を見据える。
「死なない未来を」
沈黙。
ジョルジュは、じっとこちらを見ていた。
感情の読めない目で。
そして。
「承知しています」
静かに言う。
「その選択が、異常であることも」
一歩、近づく。
「だからこそ、修正が必要です」
その瞬間。
彼の周囲の空間が、歪んだ。
数式のような光。
幾何学的な構造。
世界そのものを計算している。
「……やめろ」
クリストフが低く言う。
「それ以上は──」
「殿下」
ジョルジュが視線を向ける。
「あなたも理解しているはずです」
冷静に。
「国家の維持には、犠牲が必要であることを」
その言葉に。
クリストフが、一瞬だけ沈黙する。
だが。
「……ああ」
小さく答える。
しかし。
「だが、それは強制ではない」
はっきりと言い切る。
「本人の意思を無視した犠牲は、秩序ではない」
その言葉に。
ジョルジュは、わずかに首を傾げた。
「非効率です」
「関係ない」
即答。
「これは選択だ」
その視線が、私に向く。
信じている。
完全に。
その目が、そう言っていた。
「……」
胸が、熱くなる。
そのとき。
「では、確認します」
ジョルジュが言った。
静かに。
だが、決定的に。
「あなたは」
一歩、近づく。
「世界を犠牲にしてでも、生きることを選びますか?」
息が止まる。
究極の問い。
世界か。
私か。
どちらかしか選べない。
そう、突きつけられる。
「……違う」
ゆっくりと、首を振る。
「どっちも選ぶ」
はっきりと言う。
ジョルジュの目が、わずかに細くなる。
「非論理的です」
「いい」
前に出る。
「それでも」
胸に手を当てる。
あの力。
選ぶ力。
「私は、そうする」
沈黙。
長い沈黙。
そして。
「……理解しました」
ジョルジュが、静かに言う。
その声は、いつも通りだった。
だが。
「その選択が、どのような結果をもたらすか」
ゆっくりと、手を上げる。
「実証しましょう」
空間が、変わる。
数式が走る。
世界が、再計算される。
「──やめてください!」
ノエルが飛び出す。
だが、届かない。
「あなたの選択が」
ジョルジュの声が響く。
「どれほどの代償を伴うか」
光が、収束する。
そして。
「証明します」
その瞬間。
世界が、別の形へと変わった。
それは──
もしもの未来。
私が、生きることを選んだ世界。
その先にある、結末。
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