騎士は退かない
世界が、崩れていく。
白と黒が溶け、光と闇が入り混じる。
その中心で。
無数の手が、こちらへと伸びていた。
『排除処理、実行』
感情のない声。
だが、その圧は圧倒的だった。
触れれば終わる。
存在ごと、消される。
「……来るぞ!」
クリストフが叫ぶ。
冷気が走る。
空間を凍らせ、手の進行を一瞬だけ遅らせる。
「はっ、焼き尽くせばいいだけだろ!」
アルベルトが笑う。
太陽のような光が爆ぜ、手を蒸発させる。
だが──
すぐに再生する。
無限に。
終わりなく。
「キリがない……!」
ノエルが歯を食いしばる。
剣を振るうが、届かない。
これは戦いじゃない。
現象だ。
そのとき。
ひときわ大きな歪みが、背後に生まれた。
気づいたときには遅い。
黒い手が、私の背後から伸びていた。
「……っ!」
避けられない。
間に合わない。
そう思った、その瞬間。
「──下がってください!!」
鋭い声。
次の瞬間、視界が遮られる。
金属音。
衝撃。
そして。
温かいものが、頬にかかった。
「……え」
目の前にいたのは。
「……ベルナール?」
彼だった。
大きな背中。
剣を構えたまま。
だが。
その肩口から、黒い手が貫いている。
「……遅れて、すみません」
低い声。
いつも通りの、落ち着いた声。
でも。
わずかに、震えている。
「なんで……」
言葉が、うまく出ない。
どうして。
どうして、ここに。
「決まっています」
彼は、振り返らない。
ただ前を見たまま、言う。
「あなたを守るためです」
当たり前のように。
それが当然だと言うように。
「……ベルナール、離れろ!」
クリストフが叫ぶ。
「それに触れれば──」
「承知しています」
遮る。
静かに。
「ですが」
剣を握る手に、力が入る。
「退く理由にはなりません」
その瞬間。
手が、さらに食い込む。
彼の体を侵食していく。
「っ……!」
さすがに、声が漏れる。
でも。
崩れない。
立っている。
「馬鹿か、お前……!」
アルベルトが舌打ちする。
「そんなもん、意味ねえぞ!」
「意味はあります」
はっきりと言い切る。
そして。
「ここで止めれば」
わずかに振り返る。
その目は、真っ直ぐだった。
「あなたには届かない」
息が止まる。
その言葉の重さに。
「……どうして」
震える声で問う。
「そこまでして」
守るのか。
彼は、一瞬だけ目を細めた。
そして。
「誓いましたから」
静かに答える。
「あなたを守ると」
ただ、それだけ。
理由は、それだけで十分だと。
「騎士として」
その言葉は、揺るがない。
「……っ」
胸が痛む。
こんなの。
間違ってる。
誰かが犠牲になるなんて。
「やめて!」
叫ぶ。
「そんなの、いらない!」
でも。
彼は、首を横に振った。
「必要です」
穏やかに。
「あなたが進むために」
その声は、優しかった。
「ここは、私が引き受けます」
さらに一歩、前に出る。
手が彼に集中する。
私から遠ざかる。
「……ベルナールさん!」
ノエルが叫ぶ。
だが、動けない。
今動けば、こちらが危ない。
「いまです!」
短く言う。
命令ではない。
願いでもない。
託す声。
「……っ」
ノエルが歯を食いしばる。
そして。
私の前に立つ。
「お嬢様」
低く言う。
「進んでください」
迷いはなかった。
その目に。
「……でも」
「信じてください」
強く言う。
「彼の選択を」
その言葉で。
理解する。
これは、犠牲じゃない。
選択だ。
彼自身の。
「……分かった」
涙をこらえる。
今は、止まらない。
進む。
それが、答え。
「ベルナール!」
最後に、名前を呼ぶ。
彼は、わずかに振り返った。
そして。
いつも通りの、静かな笑みを浮かべる。
「ご無事で」
その一言で。
すべてを託す。
次の瞬間。
手が、完全に彼を飲み込んだ。
「──ベルナール!!」
叫びが、空間に響く。
だが。
返事はない。
ただ。
その場所で、何かが止まっている。
彼が、止めている。
世界の侵食を。
「……行くぞ」
クリストフが低く言う。
その声にも、わずかな揺れがあった。
「止める」
アルベルトが言う。
「全部まとめてぶっ壊す」
ダニエルが、静かに目を閉じる。
「……時間を稼いでくれた」
そして。
目を開く。
「無駄にはしない」
私は、前を向く。
もう、迷わない。
「行こう」
足を踏み出す。
その先へ。
彼が、命を賭けて繋いだ道を。
絶対に。
無駄にしないために。
世界の中心へ。
私は──進む。
ブックマーク・評価をしていただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




