氷が溶ける時
世界が、砕け散った。
白と黒の空間が崩れ、無数の光の欠片となって舞う。
視界が揺れる。
立っているのか、落ちているのかも分からない。
「……っ」
息を呑む。
けれど──
止まらない。
胸の奥で何かが、確かに動いている。
さっき、自分で掴んだもの。
選ぶ力。
『不適合個体』
世界の意思が、冷たく告げる。
『排除を実行する』
その瞬間。
無数の線が、空間を埋め尽くした。
逃げ場はない。
四方八方から、私へと収束してくる。
「お嬢様!」
ノエルの声。
彼が飛び出す。
護身用に持っていた短剣を振るい、線を切り裂こうとする。
だが。
すり抜ける。
触れられない。
「くっ……!」
「無理だ、ノエル!」
ダニエルが叫ぶ。
「あれは現象そのものだ!」
分かってる。
これは攻撃じゃない。
修正だ。
存在ごと消される。
そのとき──
空間が、裂けた。
横から。
無理やり、こじ開けるように。
「──そこまでだ」
低く、冷たい声。
でも。
その奥に、かすかな熱を含んだ声。
振り向く。
そこにいたのは──
「……クリストフ」
白銀の髪。
蒼い瞳。
氷のような存在感。
完璧に整った軍装。
この異常な空間の中でも、ただ一人現実を保っている男。
「なぜ、ここに……」
ノエルが息を呑む。
だが、クリストフは答えない。
ただ、まっすぐにこちらを見る。
その視線は──
今までと違った。
「……間に合ったか」
小さく、呟く。
その声に、わずかな安堵が混じる。
信じられない。
あのクリストフが。
「殿下、ここは──」
ノエルが何か言いかける。
だが。
「分かっている」
即答。
そして。
「世界の中枢だろう」
迷いはなかった。
すべてを理解しているように。
「なぜ……」
「報告は受けていた」
淡々とした口調。
だが、その瞳は鋭い。
「そして、判断した」
一歩、前に出る。
線が彼にも迫る。
だが。
怯まない。
「君を、ここで失うわけにはいかない」
心臓が、大きく跳ねる。
「……それって」
言葉が、出ない。
今のは。
今の言葉は──
「国家は個人より優先される」
彼が言う。
いつもの、あの言葉。
冷たくて、揺るがない原則。
けれど。
次の瞬間。
「──だが」
その声が、変わった。
わずかに、揺れる。
「その前提が、誤っているとしたら?」
空気が変わる。
ノエルも、ダニエルも、息を呑む。
「この世界が、特定の個体の犠牲の上で成立しているなら」
ゆっくりと、私を見る。
「それは秩序ではない」
その瞳に、初めて──
明確な感情が宿る。
「歪みだ」
静かに、言い切る。
「……クリストフ」
名前を呼ぶ。
彼は、わずかに目を細めた。
「今までの私は、誤っていた」
その言葉は、重かった。
彼自身の否定。
積み上げてきたすべての否定。
「だが」
一歩、踏み出す。
線が迫る。
触れれば消える。
それでも。
止まらない。
「修正する」
迷いなく言う。
その瞬間。
彼の周囲に、冷気が広がった。
凍りつくような圧。
だが、それは恐怖ではない。
意志だ。
「……お嬢様の元へは、行かせません」
ノエルが並ぶ。
剣を構える。
「私も同意見だ」
ダニエルが静かに言う。
空間が揺れる。
三人の意志が、ぶつかる。
『異常増大』
世界の意思が、反応する。
『排除優先度上昇』
圧が増す。
空間が軋む。
崩壊が加速する。
「……っ」
膝が震える。
でも。
負けない。
そのとき。
「ルル」
クリストフが、名を呼んだ。
久しぶりに、昔のあだ名で
「……なに」
息を整えて、返す。
彼は、まっすぐにこちらを見る。
その瞳は、もう氷じゃない。
「選べ」
短く、言う。
「……え?」
「君が選ぶのだろう」
静かに続ける。
「ならば、迷うな」
その言葉は、命令じゃない。
信頼だった。
「私は」
彼が言う。
一瞬だけ、言葉を止める。
そして。
「その選択を、守る」
心臓が、強く打つ。
こんなこと、言う人じゃない。
絶対に。
ありえなかった。
それなのに。
「……どうして」
思わず、問いが零れる。
どうして、そこまで。
世界を捨ててまで。
私を──
彼は、ほんのわずかだけ、視線を逸らした。
そして。
「……今、ようやく理解した」
小さく、呟く。
「父が何を誤ったのか」
その言葉に、過去が滲む。
「情に流されたのではない」
ゆっくりと、こちらを見る。
「守るべきものを、見誤ったのだ」
その瞳は、まっすぐだった。
「私は、同じ過ちを繰り返さない」
そして。
はっきりと、言い切る。
「守るべきは、君だ」
その瞬間。
世界が、震えた。
『──不適合』
強い反発。
だが。
それ以上に。
胸の奥が、熱くなる。
「……ありがとう」
小さく、でも確かに言う。
そして。
前を向く。
「じゃあ、選ぶ」
もう迷わない。
「私は──」
力を解放する。
空間が歪む。
選択が、現実を書き換える。
「この世界ごと、変える!」
その瞬間。
光が、爆発した。
白でも黒でもない。
新しい色。
それが、空間を塗り替えていく。
「……これは」
ダニエルが息を呑む。
「やはり、君は──」
目が揺れる。
世界の意思が、明確に動揺する。
『構造異常』
亀裂が広がる。
世界が、壊れ始める。
だが。
それは崩壊じゃない。
再構築の始まり。
「……行くぞ」
クリストフが剣を構える。
その動きに、もう迷いはない。
「世界を、正す」
氷が、砕ける。
その奥にあったものが、ようやく姿を現す。
これはもう、秩序の象徴じゃない。
──ただ一人の男の、選択だ。
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