終わりを知る者
王宮最深部は、空間ではなかった。
足を踏み入れた瞬間、世界が消えた。
床も、壁も、天井もない。
ただ、白と黒が混ざり合うような曖昧な空間が広がっている。
「……ここが、中枢?」
思わず呟く。
声は、やけに遠くへ響いた。
「その通りです」
隣にいたはずのノエルが、いつの間にか数歩後ろにいた。
いや、違う。
距離の概念そのものが曖昧になっている。
「気をつけてください。ここは──」
「世界の内側だよ」
その声で、すべてが止まった。
時間も、空気も、鼓動すらも。
「……やっぱり来たね」
振り返るまでもない。
分かる。
この感覚。
この静寂。
この異質さ。
「ダニエル」
名を呼ぶ。
そこにいたのは、やはり彼だった。
月白の髪。
淡い光を宿す瞳。
現実から切り離されたような存在感。
何も変わらない。
いや──
ほんの僅かにだけ、違う。
「君がここまで来るとは思っていた」
静かに歩み寄ってくる。
足音はしない。
そもそも、この空間に地面があるのかも分からない。
「……でも、少し早いかな」
「早い?」
「普通は、もっと後で気づく」
淡々とした口調。
けれど、その奥にあるものを感じる。
期待。
そして──恐れ。
「ここが何か、分かるかい?」
「……世界の中枢」
「半分正解」
彼は、わずかに首を傾げた。
「ここは、世界が自分を維持するための場所」
言葉が、すっと入ってくる。
理解できてしまう。
それが、逆に怖い。
「じゃあ、私は」
「うん」
彼は迷いなく答えた。
「その中心だ」
静寂が落ちる。
分かっていた。
でも。
こうして言葉にされると、逃げ場がなくなる。
「……やっぱり、そうなんだ」
「そうだよ」
ダニエルは、どこか遠くを見るように視線を逸らした。
「君は器だ」
そして。
少しだけ、声が低くなる。
「いや──正確には、器だった」
「……だった?」
「さっきの選択で、変わった」
心臓が跳ねる。
「君はもう、ただの装置じゃない」
ゆっくりと、こちらを見る。
「世界に干渉できる存在になった」
その言葉は、重かった。
逃げられないほどに。
「……ねえ」
一歩、踏み出す。
「教えて」
彼の目を見て、言う。
「これは何回目なの?」
一瞬。
空気が、凍った。
ノエルが息を呑む気配がする。
けれど、ダニエルは──
静かに、目を細めた。
「気づいたか」
「……なんとなく」
曖昧に答える。
でも、確信はあった。
あの少女。
あの声。
あの選択。
「同じことが、何度も起きてる」
「正解だ」
あまりにも、あっさりとした肯定。
「この世界は、何度も繰り返されている」
言葉が、重く落ちる。
「崩壊しては、再構築される」
「どうして?」
「維持するためさ」
当然のように言う。
「世界は、自分を守ろうとする」
そのために。
「器を、使う」
視線が、私に向けられる。
「君をね」
息が詰まる。
けれど、もう驚かない。
「……そのたびに、私は死ぬの?」
「うん」
迷いのない肯定。
「毎回、違う形でね」
胸の奥が、静かに冷える。
「例えば?」
聞いてしまった。
聞かなきゃよかったのに。
それでも。
「知りたい?」
「……うん」
ダニエルは、一瞬だけ黙った。
そして。
「いいだろう」
指を鳴らす。
世界が、歪む。
視界が変わる。
謁見の間。
見覚えのある光景。
玉座の前。
跪く私。
そして。
「処刑を執行する」
冷たい声。
クリストフ。
感情のない目で、私を見ている。
そのまま。
刃が振り下ろされる。
視界が暗転した。
次の瞬間。
燃える城。
崩れた壁。
血の匂い。
「遅かったな」
アルベルトが笑っている。
腕の中には、力を失った私。
「全部壊してでも、手に入れたが……」
その先の言葉は、聞こえなかった。
世界が崩れる。
また変わる。
夜。
雨。
ノエルが、私を抱きしめている。
「守れなかった……」
震える声。
その腕の中で、私はもう動かない。
さらに。
無数の異形。
ベルナールが剣を振るう。
だが。
間に合わない。
私に届く手。
その瞬間、すべてが終わる。
最後。
静かな研究室。
ジョルジュが、淡々と告げる。
「これが最適解です」
そして。
私の命を、処理する。
視界が戻る。
白と黒の空間。
膝が、震える。
「……今のが」
「そう」
ダニエルが答える。
「これまでの結末の一部だ」
息が、うまくできない。
「全部……失敗してる」
「そうだね」
静かな声。
でも、その奥に。
長い時間の重みがある。
「何度やっても、同じだった」
彼は、ゆっくりと目を伏せる。
「君は必ず死に、世界は維持されるか、崩壊するかのどちらかだった」
逃げ場はない。
この世界のルール。
「でも」
顔を上げる。
「今回は違う」
はっきりと言う。
ダニエルが、わずかに目を見開く。
「さっき、私は選んだ」
あの瞬間。
分からない未来を。
「だから、変えられる」
そう言い切る。
沈黙。
長い沈黙。
そして。
「……ああ」
ダニエルは、初めてほんの僅かに、笑った。
「やっと、その言葉を聞けた」
「え?」
「ずっと待っていた」
その瞳に、微かな光が宿る。
「選ばされる側じゃなく、選ぶ側の君を」
胸が、強く打つ。
「……信じてるの?」
「分からない」
正直な答え。
でも。
「でも、信じたい」
それは。
祈りに近かった。
「今回こそ」
彼は、ゆっくりと手を伸ばす。
「君を死なせない」
その言葉は、重くて。
優しかった。
「……うん」
小さく頷く。
「一緒に終わらせる」
もう、繰り返さない。
そのとき。
空間が、大きく揺れた。
「……来る」
ノエルが構える。
白と黒の世界に、亀裂が走る。
そこから──
圧倒的な何かが、現れようとしていた。
「……本体か」
ダニエルが呟く。
「世界維持装置の中核」
空間が、崩れる。
現れるのは──
意志。
世界そのものの。
「選択の時間だ」
ダニエルが言う。
「ここから先は、後戻りできない」
分かっている。
もう、戻らない。
「いいよ」
前を向く。
「最初から、そのつもり」
亀裂が広がる。
世界が、牙を剥く。
その中心へ──
私は、一歩を踏み出した。
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