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信じる理由




 眠れなかった。


 夜は明けかけている。


 東の空がわずかに白み、王宮の庭園が静かな光に包まれ始めていた。


 マルール・ディジュワールは窓辺に立ち、外を見ていた。


 冷たい空気が、頬を撫でる。


 だが頭の中は、ひどく熱かった。


「君は、この世界の礎だ」


「君が死ぬと、世界が終わる」


 あの青年の声が、何度も繰り返される。


 ダニエル


 だが、あの視線。


 あの言葉。


 まるで。


 何度も同じ結末を見てきた者のようだった。


「……あり得ない」


 小さく呟く。


 世界が終わるなど。


 そんな話が現実であるはずがない。


 だが。


 胸の奥が、それを否定しきれない。


 そのとき、扉がノックされた。


「お嬢様」


 ノエルの穏やかな声。


「入って」


 扉が開く。


 ノエルはいつも通り整った姿で部屋に入ってきた。


 しかしその目には、わずかな緊張が残っている。


「お休みになられていませんね」


「ええ」


 マルールは振り返る。


「あなたもでしょう?」


 ノエルは少しだけ微笑んだ。


「お嬢様を守る者として当然です」


 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。


 マルールは椅子に腰を下ろした。


「ノエル」


「はい」


「昨日の男……ダニエルだけど」


 ノエルの表情が引き締まる。


「どう思う?」


 短い沈黙。


 そして、はっきりと答えた。


「危険人物です」


 迷いのない声。


「目的不明、侵入経路不明、さらに発言内容も不穏」


「そうね」


「ですが」


 ノエルは続ける。


「同時に、嘘を言っているようには見えませんでした」


 その言葉に、マルールは目を伏せる。


 同じことを感じていた。


「……ええ」


「だからこそ危険です」


 ノエルは静かに言った。


「真実を知っている者は、それだけで脅威になります」


 その言葉は正しかった。


 マルールはゆっくりと息を吐く。


「もし彼の言っていることが本当だとしたら」


 ノエルは答えない。


 ただ静かに次の言葉を待つ。


「私は、ただ守られるだけの存在ではないということになるわ」


 自嘲気味に笑う。


「世界の礎、なんて」


 その言葉は、あまりにも重い。


 そのときだった。屋敷が一気に騒がしくなった。


「クリストフ殿下が参られました」


 突然の訪問にマルールとノエルは顔を見合わせる。


「マルール」


 低い声。


 扉の向こうから聞こえてきた。


「……どうぞ」


 扉が開く。


 白銀の髪の皇太子が入ってきた。


 その表情は、いつも以上に厳しい。


「話がある」


 単刀直入だった。


「昨夜の件だ」


 マルールは頷く。


「暗殺者のことですね」


「それだけじゃない」


 クリストフは一歩近づく。


 蒼い瞳がまっすぐ彼女を捉える。


「お前のことだ」


 空気が張り詰める。


 ノエルがわずかに身構えた。


「殿下、それは──」


「外してくれ」


 クリストフはノエルを見た。


 低い声。


 しかし命令だった。


 ノエルは一瞬だけ迷う。


 だがすぐに頭を下げた。


「……かしこまりました」


 静かに退室する。


 扉が閉まる。


 二人きりになる。


 沈黙。


 重い沈黙。


 クリストフが口を開いた。


「昨夜、誰かと会ったな」


 その言葉に、心臓が跳ねた。


 マルールは表情を変えない。


「……なぜそう思うのですか」


「気配が違う」


 即答だった。


「お前の周囲の空気が変わっている」


 その観察力に、思わず息を呑む。


「誰だ」


 短く問う。


 マルールは少し考えた。


 隠すべきか。


 それとも。


 だが。


 あの言葉が頭をよぎる。


 ──今度こそ、守らないと。


 ゆっくりと顔を上げる。


「……ダニエルという人物です」


 クリストフの目がわずかに細くなる。


「知らない名だな」


「私も初めて聞きました」


「何を言った」


 その問いに。


 マルールは少しだけ迷った。


 だが。


 隠しても意味はない。


 そう判断する。


「私が、この世界の礎だと」


 沈黙。


 クリストフは何も言わない。


 ただ彼女を見つめている。


 マルールは続ける。


「そして」


 一瞬、言葉を区切る。


「私が死ぬと、世界が終わると」


 部屋の空気が凍った。


 普通なら、笑い飛ばされる言葉。


 荒唐無稽な話。


 だが。


 クリストフは笑わなかった。


 ただ、静かに言った。


「……あり得るな」


 その一言に、マルールは目を見開いた。


「殿下?」


「昨夜の暗殺」


 淡々と続ける。


「方法が不自然だ」


「不自然?」


「ああ」


 クリストフは言う。


「確実に殺す気があるなら、あんな目立つやり方はしない」


「……」


「だが、あえてやった」


 蒼い瞳が鋭くなる。


「まるで試しているように」


 ジョルジュの言葉が蘇る。


 ──試している。


 マルールの指先がわずかに震えた。


「つまり」


 クリストフは結論を出す。


「お前はただの標的じゃない」


 そして。


 一歩、近づく。


「価値があるから狙われている」


 その言葉は重かった。


 逃げ場のない現実。


 マルールはゆっくりと目を伏せる。


「……もし本当にそうなら」


 小さく呟く。


「私はどうすればいいのですか」


 クリストフは即答した。


「簡単だ」


 そして。


 迷いなく言った。


「俺の側にいろ」


 顔を上げる。


 蒼い瞳が、まっすぐ彼女を見ていた。


「お前は俺が守る」


 その言葉には、一切の揺らぎがなかった。


 命令でも、義務でもない。


 ただの意志。


 マルールの胸が、わずかに熱を帯びる。


 しかし同時に。


 別の顔が脳裏をよぎる。


 苦しそうに笑った青年。


 ダニエル。


 ──今度こそ、守らないと。


 その言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。


 守られるだけでは足りない。


 この世界には。


 もっと深い何かがある。


 マルールは静かに息を吸う。


 そして。


 初めて、自分から問いを選んだ。


「殿下」


「何だ」


「もし」


 ゆっくりと言う。


「世界と私、どちらかしか選べないとしたら」


 クリストフは一瞬も迷わなかった。


「お前だ」


 即答だった。


 その答えに。


 マルールは、初めて少しだけ笑った。











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