第十一章-2 手を差し伸べようとしても……
ステラさんが日本に来てからどの位経っているか分からないが、ステラさんが最後にお風呂入ったのは、覚えている限りだとガウムの宿。セイスキャンでも宿には泊まったが――あの時の光景からして、たぶん入ってないんだろうな。ヘインスの時も二日ほど引きこもって入らなかった位だし。
勿論旅路の中で体を洗わなかった訳では無い。
綺麗な湖で沐浴をしたことはあった。けど、お湯に浸かったのはたぶんそれが最後となる。
そこに追い打ちをかけるとすれば、最低限許せていた沐浴さえできないと言うことだ。
「…………」
ステラさんはじっと水筒の中の水を見る。その手が震えているのは飲むのを抵抗しているかのようだ。だが、350mlの缶よりも細い水筒では髪もまともに洗うことが出来ない。もしこの貴重な水でお風呂を沸かすとしたら、百本近い水筒が必要になるだろう。
「まぁあたしたちは特殊だからな……。服はまだ残っているか?」
「いえ――もう残りは、そもそも二人に合うサイズの物が都合よく見つかるでしょうか……」
せめてもの救いと言わんばかりに服の替えを探してくれる段取りを進めているみたいだが、それもどうやら難航しているようだ。
「……ケイタさん」
「ん?」
突然ステラさんが俺に呼びかけてきた。
笑顔だった。
それがどう見ても作り笑いな気がしてならなかった。
「困った時は頼ってもいいんですよね?」
「あ、あぁぁ……」
それは異世界を旅する間。そして過去の彼女と交わした約束。
だから彼女から頼ってくれるのは嬉しいこと。なのだが、何故か素直に喜べない感じがした。
「な、何かな。俺に出きることだったらいいんだけど」
「出来ますよ。寧ろケイタさんだからこそ、頼れるんです」
凄く嬉しい言葉だ。
ただ俺に出来ることは限られる。俺が飲む分の水を使う。そういうのであれば少しは我慢する。けど、ステラさんがそれだけの水浴びで満足するとは思えない。
そして重要なのは――俺だけにしか、と言うことだ。
「ケイタさんの世界に行って、お風呂貸してくれませんか?」
「気軽に言いましたね⁉」
以前お風呂の準備に時間がかかっているのを見て、俺の時代は如何に楽だったかを説明した。相手のプライベートを覗くことができるこの技を封印することを決めたが、未知の世界にある夢のような道具を見たいと言う渇望に負けて、チラ見した足を折り畳めれば入れる四角浴槽にすら凄く興奮したのを覚えている。
「で、そのまま大人しく帰る訳では無いんですよね?」
「勿論この世界に私は戻ってきます!」
俺の時代へ一瞬懐中時計を使って飛んで、お風呂に入る。守りたいと約束した彼女は、その後この世界にまた懐中時計を使って戻ってくる気なのか。
「簡単に言ってますけど、あれって安全何でしょうか? もう二回も変な所に飛ばされていますし」
「確かケイタさんは言いましたよね。想像するから元の世界に戻ろうって。戻れる確証は無くても、戻れるんじゃないかとは思っているんですよね?」
「うっ……確かに、俺が言ったけどさ……」
「世界を渡る回数が二回に増えるだけです。それに――ケイタさんがこちらの世界に戻る必要はないはずですよ?」
えっ。という声が漏れる。
そして冷静になって考えてみると、その一連の中に俺の目的が達成されていることに気付く。
俺は元の世界に戻れるんだ。
そして懐中時計をステラさんに手渡せば、俺の異世界旅行は終わる。それだけのことなんだ。
別段俺が行った所で変わることはほとんど無い。ステラさんの軌道修正によって、ちょうど俺が消失した日に帰れれば何気ない日常にすぐさま戻ることが出来る。未だに部屋が夢の世界に侵されていなければだけど。
「分かりました。それならただお風呂に入るだけじゃなくて少し体を休めることにしましょう。例え向こうで一日休んだとしても、こちらのこの時間に戻れればタイムラグ無しでリフレックス出来ます」
それはステラさんに休んでほしいと言う意味合いで伝えたのと同時に、俺自身が彼女とできるだけ長い時間過ごしたいと思ったからでもあった。
彼女がこの世界にまた帰還する時、彼女の手に懐中時計は渡る。
そうなると、俺の手元には彼女を追いかける物が何一つ無くなることになる。追いかける必要性がもう無い。と言われればそれまでなのだが、強い自覚と実力を持っておきながら、ナイーブすぎる心を兼ね備えた彼女をどうにも放っておけなかった。
「もし、トラブルが起きたらその時は覚悟しておいてくださいね」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ……!」
トラブル、と言う言葉に弱い彼女に釘を刺しておいて俺はポケットを探る。
……。
漁る。
……。
ズボンの布地を表に引っ張り出す。
……⁉
「無い⁉」
「えぇっ⁉」
「あの懐中時計が無くなっている!」




