(11)
「――で、これがその呪いの媒体ってわけね」
鏑木事務所のテーブルの上には、黒いコンパクトミラーが置かれていた。掌にのるサイズで、湊斗でも知っている有名ブランドのロゴが蓋に浮き彫りされている。
昨日、朝川リナのマネージャー、真鍋から受け取ったものだ。
湊斗の向かいにいる真澄は、コンパクトを手に取って、鑑定するかのように眺めた。かと思えば、おもむろに蓋を開けて中を見る。
中には蓋と底の両面に鏡が貼られており、片面は普通の鏡、もう片面は拡大鏡となっているらしい。
普通の鏡の方には、歪んだ赤い円が描かれていた。真っ赤な口紅で描かれている形は唇を模しているようだ。片方の拡大鏡の方には、茶色の髪の毛が八の字を描くように張り付けられていた。
「なるほどねぇ……よくできているわ」
コンパクトを閉じると、鏡はちょうど向かい合わせになり、描かれた唇が互いの鏡に反射する。
合わせ鏡の中の赤い唇。永遠に続く鏡の奥へ、唇は果てもなく増殖していく。
張り付けられた髪の毛もまた、歪んで交差し、無限を示す形をとっていた。
「神道では、『呪い』は『罵る』から派生した語とされるけれど、まさにその通りだわ。相手を罵った言葉が鏡で自分に跳ね返ってきて、呪いとなったわけね」
――コンパクトミラーも、唇を描いている口紅も、どちらも朝川リナの私物であった。
マネージャーである真鍋は同じものを買って、こっそりと交換していた。仕事中、リナのバッグを預かっている真鍋には簡単なことだ。
真鍋はアリサが亡くなった後、リナのマネージャーとして黙々と働いていた。だが、人気が出てくるリナに対して、徐々に恨み心が募っていったそうだ。また、リナの素行――社長やプロデューサーにはいい子の顔をするが、裏では雑言をまき散らし、ライバルになりそうな相手の足を引っ張るようなやり方も許せなかった。
そこで、リナの私物を使って仕掛けを施し、リナに呪いを掛けたそうだが……。
「素人が作ったにしては、でき過ぎな気もするけれど」
真澄の疑問に、湊斗は答える。
「真鍋さんは、人に頼んでこれを作ってもらったって言ってた」
そう、呪いの媒体となったコンパクトミラーは、別の人物が作っていた。
真鍋は言われた材料を揃えただけで、実際にこの仕掛けを作ったのは材料を渡した相手だった。
「呪い代行屋の『スサノオ』って奴だそうだ」
「はあ? スサノオって、もしかして素戔嗚尊のこと? ……確かに呪詛の祭神にされているけど、随分とあからさまじゃないの」
真澄は顔を顰める。
両部神道系の祭祀には呪詛祭というものがあり、その祭神が素戔嗚尊。
高天原の暴れ者であり、天照大神の神田や御殿を汚し、ついには地上に降ろされた神。――その荒ぶる神の名を名乗る、呪い代行屋。
「……私らの業界で新しい呪い屋が出てきたって噂は聞いていたけれど……そいつのことかもしれないわね」
真澄は溜息を吐いて、頭を押さえる。
「ねえ、どんなやつだったの?」
「それが、真鍋さんも顔は見ていないって。メッセージアプリにDMが届いて、開いてみたら、その『スサノオ』のサイトに繋がったらしい」
タイミングが良すぎる出会いであったが、真鍋はこれを機にスサノオとメールでやり取りをするようになった。
リナの私物、コンパクトと口紅を持ち出すように指示したのもスサノオだ。
一度、リナの私物を渡すために直接会ったらしいが、スサノオは黒い面を付けていた。フード付きのコートを着込み、鬼の角のようなものが生えた動物の面を付けたスサノオは、一言も話さなかった。スマホの画面に文字を打ち込んで、会話をしたと言う。
声も顔も分からなかったが、真鍋よりも背が高く、体つきからしておそらくは男、若い男性だったそうだ。
もっとも、それがスサノオ本人かどうかは確認できない。代理人、あるいは代行屋が複数人いるのか――ともかく、正体は不明だった。
真鍋が彼に会ったのはそれきりで、仕掛けを施したコンパクトは、知らないうちに真鍋の元へ届けられていた。
真鍋は届けられたコンパクト……呪うための道具、すなわち呪具を常に持ち歩き、リナの側にいた。これにより、リナの周囲に奇妙な現象が起きるようになったのだ。
真澄はコンパクトを開いたり閉じたりを繰り返す。
「まあ、その呪い代行屋はとりあえず置いておくとして……」
パクン、と音を立てて閉じたコンパクトを、真澄は湊斗に向かって突き出した。
「どうしてこれ、もう浄化されてるの? あんた、何かした?」
「……あー……」
湊斗は言葉を濁して目を逸らす。代わりに答えたのは、湊斗の隣に座っていた青年だ。
「すみません、真澄さん。僕が勝手にやったことなんです」
頭を下げて謝ったのは、水宮だった。
――実は、真鍋からコンパクトを受け取る際、湊斗はそれをどうしても手に取れなかった。何しろ、黒いコンパクトの表面に赤い唇が幾つも浮き出ているのが視えてしまって、びびってしまったのだ。あんな物に触れたくない。
青褪めて受け取ろうとしない湊斗に、真鍋は不思議そうに首を傾げた。見かねて水宮が受け取って、持っている間に彼の持つ祓いの力で浄化されてしまったわけだ。
水宮は神妙な顔で、真澄に向かって告げる。
「実は僕、そういうモノを祓う力があるみたいで……」
「……」
湊斗は白けた顔で水宮を見やった。
こいつ、以前のビルの時は「君が視て僕が祓う、ちょうどいいじゃない?」なんてことをぬかしていたのに。白々しいにも程がある。
眉を顰める湊斗とは対照的に、真澄は「あら、やっぱり」とほほ笑んだ。
「どうりで慧君の周り、やけに綺麗だと思ったのよねぇ。ふぅん、そうなんだぁ……」
真澄の口元は笑ってはいるが、目は笑わずに水宮を捉えている。
水宮は気づいているのかいないのか、あるいは気づいているのにとぼけているのか、「そうなんです」と笑みを返した。
「でも僕自身には、そういうモノは視えないんです。今まで何度か、人に頼まれてお祓いに似たようなことはしたんですけれど、やっぱりよくわからなくて……」
水宮はそこまで言うと、真澄と、そして湊斗を見てから口を開く。
「だから、よかったら僕を、真澄さんの助手にして頂けませんか?」
「……は?」
水宮の突然の申し出に、真澄と湊斗はぽかんと口を開けた。
長くなったので次話に続きます。
次話で第三話終了です。