(10)
湊斗は、室内を見回して眉を顰めた。
あの後すぐ、湊斗と水宮はリナが運ばれた病院に向かった。
看護師の一人に水宮が声を掛け、リナのいる個室を聞き出してここまで来たのだが……。
こちらを振り向いたリナの顔には、びっしりと赤いものが犇めいていた。まるで赤い小さな蚯蚓が顔中に張り付いているようだ。醜悪な姿に目を背けたくなる。
「……水宮。手ぇ打て」
湊斗の言葉に、水宮は「うん」と頷き、両手をパンと打ち鳴らした。
気負いのない軽い動作なのに、空気は一瞬で澄み渡る。リナの顔に張り付いていた赤い唇が吹き飛んで消え去った。
水宮の持つ『祓う力』は本当に強い。だが――
窓を背にしたリナの顔には、ぷつりぷつりと赤い唇が再び浮き出てくる。
やはりリナには、霊が憑いているわけではない。これは呪いのようなものだ。
――リナの肌に浮かぶ唇は彼女のもの。吐き出される罵詈雑言もまた、彼女のもの。
それは鏡に映った時にだけ現れる。鏡は自分の姿を反射する。鏡を見ることで、かつて自分が発した悪意が、己に返ってきているのだ。
湊斗は最初、リナ自身が無意識に負い目を感じていることで、鏡を見る度にその罪の意識が“唇”の形となって現れているのかとも考えた。
だが、込められている念はどこか気配が希薄で、悪意だけしか無い。
だいたい、己の悪口がきっかけで、アリサが死に追いやられたことに責任を感じているなら、もっと早くに現象が出てもよさそうだ。それにリナは、自らの唇に怯えていた。何とかしろと湊斗に迫り、反省しているようには見えなかった。
それよりも、誰かがリナに「お前の罪を自覚しろ」とでも言うように、わざわざ鏡に彼女の姿を反射させているような――。
とにかく、鏡を媒体にしてリナの肌に唇を浮かばせる現象には、元となる核があるはずだ。
藁人形に五寸釘を打ち込んで相手に呪いを掛けるように、呪いの核となる物――呪物がある。
元凶である呪物を絶たずにただ祓うだけでは、一時しのぎにしかならない。それは湊斗も分かっていた。
目を凝らした先に目的のものを見つけて、湊斗はそちらへと足を進める。リナの傍らに立つ女性――真鍋の前で足を止めた。
真鍋はぼんやりとした表情で湊斗を見返してくる。
「あら……たしかあなた、リナのファンだったかしら?」
「真鍋さん、それぐらいでやめておいた方がいい」
「それぐらい? この子がしてきたことに比べれば、これくらいどうってことないわ。まだ生きているじゃない。だいたい、この子が自分で言った言葉をそのまま返してあげているだけよ。自業自得だわ」
「たしかに、そいつ自身のせいもあるけどな。そういうのは、いずれ必ず自分の身に返ってくるもんだ。真鍋さん、あんたにもだ。これ以上は、あんたが恨まれる」
「別に構わないわ。だってもう、アリサに恨まれているもの」
真鍋は自嘲の笑みを浮かべる。
「アリサは私を信用して……裏切られたと思って、恨んで死んでいったのよ。別にもう一人増えたところで……」
「自惚れんな。アリサさんはあんたにそこまで執着してねぇよ」
「っ……」
ぴしゃりと湊斗が言うと、真鍋はぎゅっと唇を噛む。
「……部外者は黙ってて。あなたには関係ないわ」
「まあ、そうなんだけど」
関係ないと言われてしまうと、湊斗にはどうしようもない。
すると、リナが「何してるのよ!」と声を上げる。
「そいつのせいなんでしょ!? 早くなんとかしてよ!」
「だから、俺は視るだけだって……」
キンキンと響くリナの声に眉を顰めつつ、湊斗は真鍋を見る。
「……真鍋さん。あんたが朝川リナに復讐することは、確かに俺には関係ない。けど、とっくに成仏したやつを引っ張り出して、復讐の理由にするな。朝川リナがひどい目に遭おうが、真鍋さんがいくら反省しようが、アリサさんは何とも思わない」
湊斗の言葉に、真鍋ははっとしたように瞬きをした。ようやく湊斗に焦点を合わせて、目に戸惑いの色をのせる。
「何、言って……」
「もう一度言う。アリサさんは、ここにはいない。俺には視えるんだ。あんたの側にも、朝川リナの側にもいない」
湊斗は目を眇めて、真鍋とリナを見る。
「だから、真鍋さんがすることは、アリサさんにも何の関係もない。全部、あんたの自己満足だ」
「っ……!」
「復讐するなら、別の方法にしろ。アリサさんのことを本当に大切に思ってたんなら、彼女の死をちゃんと悼んで、供養するのが一番だ。変な力使って呪ったところで、アリサさんが迷惑するだけだ」
――これは、すべて祖母の受け売りだ。
大切な人の死を悼み、供養することが、死者にとって一番いいのだと。あの世での務めを果たして極楽へと行けるように、応援するようなものだという。復讐は、生きている人間の自己満足であって、死者のためにはならない――
もっとも、祖母の元に相談しに来る人間を諭すための、単なる方便だったのかもしれない。だが、湊斗は祖母の言葉に共感している。下手に死者を思い続けて、ずるずるとこの世に引き留めるよりは、ずっといい。
「だから、それをあんたが持ち続けていても、あんたのためにも、アリサさんのためにもならない。……渡してくれ」
「……」
湊斗が差し出した手を、真鍋はじっと見つめる。
やがて、小さな声で尋ねてきた。
「……アリサは、本当にいないの? 私のこと……恨んでないのかしら……?」
「いない。あと、アリサさんが恨んでいたかどうかなんて、俺には分からない。ここにいない人のことを聞かれても困る」
「……そこは、恨んでないって言ったらいいじゃない」
真鍋はふっと、溜息と共に苦笑を零した。
やがて彼女は、椅子に置いていたバッグからある物を取り出したのだった。




