(9)
「は……?」
湊斗がぽかんと口を開ける中、水宮は淡々と言葉を続ける。
「アリサさんは、朝川さんと同じ事務所の先輩だったんだ。ニュースでもやっていたけど、知らないかな? アリサさん、自殺して……まあ、彼女の所属していた事務所そこそこ大きかったから、あまり大々的には報道はされなかったし、すぐにネットニュースも消されていたけど。ネット上では一時期それで炎上していたよ」
芸能ニュースに興味の無い湊斗には初耳だった。いや、ニュースで見たことはあるかもしれないが、気に留めていなかったのだろう。
「……その人、何で自殺したんだ?」
「ああ……二年くらい前かな。男性アイドルグループの茶谷って男との熱愛報道が上がったんだよ。道端で抱き合っている写真が、匿名でネットに晒されて。それでネット上でアイドルファンから総攻撃。しかも、茶谷の事務所の方が強かったから、アリサさんの方が仕事干されちゃって」
アリサの仕事は激減し、事務所も解雇された彼女は、その一年後に自らの命を絶ったのだと言う。
「……なあ、そのアリサって人と、朝川リナって、仲は悪かったのか?」
リナの肌に浮かんだ唇は、アリサの悪口を言っていた。少なくとも、リナの方はアリサを敵視していたのではないだろうか。
「はっきり聞くなぁ」と水宮は苦笑する。その表情からして、答えを察することができた。
「まあ、良くはなかったんじゃないかな。直接は知らないけれど、噂では、アリサさんのスキャンダルをリークしたの、朝川さんじゃないかってあったし。まあ、アリサさんのことなら、僕に聞くより真鍋さん……ほら、朝川さんのマネージャーの方が詳しいと思うよ。だって真鍋さん、前はアリサさんのマネージャーしてたから」
真鍋というと、あの真面目そうな女性のことか。久瀬アリサの元・マネージャーで、今は朝川リナのマネージャー……。何か関係があるかもしれない。
「でも、なんで急にアリサさんのことを聞くの? ……もしかしてアリサさんの霊が朝川さんに憑いているとか? まさかアリサさんの呪いとか」
「いや、だからあれは霊じゃなくて――」
湊斗は言いかけて、はっと気づく。
「……水宮、今なんて言った?」
「え? やっぱりアリサさんの霊?」
「そっちじゃなくて」
リナに憑いていた物は、霊でも念でもない。何でもっと早く気づかなかったのだろう。
あれは、おそらく――“呪い”だ。
***
目覚めた時、自分がどうしてここにいるのか分からなかった
白い天井に淡い緑のカーテン。左腕には白い包帯が巻かれて、鈍い痛みがある。
「……ここ、どこ……」
「あら、気づいた?」
「……真鍋さん?」
カーテンが開き、顔を出したのはマネージャーの真鍋だった。
「リナ、大丈夫?」
「……真鍋さん、あたし、なんで……」
リナが聞き返すと、真鍋は困ったように微笑んだ。
「覚えてないの? あなた、現場で倒れたのよ」
「あ……」
そうだ。
展望レストランの大きな窓に、自分の姿が映っていた。顔に、腕に、あの赤い唇がびっしりと張り付いていて――
「っ……!」
ばっと腕を見たが、今は赤い唇は無い。ほっと胸を撫で下ろすが、耳にはあの声がこびりついている。
『ねえ知ってる? Fさんって、Oディレクターと寝たんだって』
『Uちゃんってさぁ、男の前だと態度変わるよね』
……気づいていた。
聞こえてくる声が、全部自分の声だって。
『アリサさんって、最近調子に乗ってると思わない?』
『この間、あたし、見ちゃったんだ。アリサさんと茶谷さんが抱き合っているの』
全部、過去に自分が言ったこと。
ネットに書き込んだこと。
『あの人、最低だよね』
『あんな子、早く消えちゃえばいいのに』
繰り返し、繰り返し。
『マジうざいっていうか』
『死ねよこのブス』
まるで反射するように、自分に跳ね返ってくる声。
リナは己の頬に手を当てる。
唇の感触は無いのに、まだ声が聞こえる気がしてならない。……いや、聞いてはならない。こんなの無視するんだ。じゃないと、自分は彼女みたいに――。
俯くリナに、真鍋が尋ねてくる。
「どうしたの、リナ」
「な、何でもない。……ねえ、それより撮影はどうなったの?」
「中止になったわ」
「……そうだよね。撮り直しはいつになりそう?」
気を取り直してリナが聞くと、真鍋は小首を傾げた。
「撮り直しは無いわよ。だって、この企画中止になるもの」
「え……」
「ほら見て、これ」
真鍋は持っていたタブレットを掲げた。そこには、リナの姿が映っている。
必死の形相で、自らの腕を掻きむしる姿。真鍋がスクロールすると、皿を振り上げて窓を割る姿、眼鏡の青年を殴りつける姿や、水宮によって取り押さえる姿も出てくる。
「な……」
「この画像、ネットにあげたらどうなると思う? あなたなら、よくわかっているわよね、リナ」
真鍋は表情を変えずにタブレットの画面をタッチする。
「やっ……やめてよ! 何考えてるの、真鍋さん! あなた、あたしのマネージャーでしょ!?」
「そうね。でも、あなたが消えたところで、どうせ次の子を担当するだけだわ。……アリサが辞めさせられて、あんたに付くように言われた時みたいにね」
「っ……」
真鍋の言うとおりだ。そうやって、真鍋がリナのマネージャーになったのだから。
「ねえ、リナ。あんた、アリサに何を言ったの? あの子、辞める時にね、私に言ったのよ。『もう誰も、真鍋さんのことも信用できない』って」
「!」
さっとリナは青褪めた。
リナは、アリサの仕事が激減して憔悴していく中、彼女に言ったのだ。
真鍋がアリサの担当を外れて自分に付くということを。社長の決定で、真鍋も快く同意していると。
『さっさと消えたら? もう誰も、あんたなんか必要としてないわよ』
自分の声と甲高い笑い声が鼓膜に突き刺さり、顔を歪める。
真鍋はそんなリナを見下ろしながら言葉を続けた。
「あんたが、あることないこと吹聴して、アリサも、他の子も、中傷してるのは知ってたわ。スキャンダルもでっちあげて、週刊誌に売って。なのに事務所は、アリサが駄目になったら、次はあんたを売り出すって。正直、あんたの面倒見るの、嫌だったんだけどね。……だけど、アリサ、いなくなっちゃったから」
「……な、何よ……アリサの敵討ちのつもり? 言っとくけど、あの人が勝手に死んだだけじゃない。あの人が弱かったせいよ」
「そうね。別に敵討ちじゃないわ。アリサを死なせたのは、私のせいでもあるもの。……ただ、あんたも同じ目に遭ったらどうするんだろうって思ったの」
真鍋が冷たい目でリナを見下ろした。
「あんたが今まで言った言葉を、あんたに直接返してやったら、どうなるかなって」
真鍋は言いながら、タブレットを差し出す。
鏡のアプリが起動しているそれは、リナの姿を映し出した。真っ赤な唇で覆われた自分の顔。
鏡は、リナの姿を、言葉を反射して、彼女にすべてを返してくる。
「いやぁ!!」
リナはタブレットを叩き落とす。怯えてベッドの上を後退るリナに、真鍋は呆れたように笑った。
「……何が映ってるか、私にはわからないんだけどね。あんたには、いったい何が見えてるの? そんなに、恐いものが映ってるの? でも、それはあんた自身よ。それがあんたなの。ホント、自業自得よね」
「ち、違う……違う!」
「違わないわ。ちゃんと見なさい。これからずっと、あんたは鏡を見る度に、自分の本当の姿を知るのよ」
真鍋はリナの布団を剥ぎ、隣のカーテンを勢いよく引いた。暗い窓にもまた、リナの姿は映り、唇はけたたましい声を一斉に上げる。
「……やめて……」
押し寄せてくる悪意に満ちた声。醜い自分の姿。
「もうやめてよ……!」
ふらつく脚で窓に近寄り、拳を振り上げた時だった。
がらりと扉が開く音がして、リナと真鍋は部屋の入口の方をはっと振り返る。
そこにいたのは水宮と、彼の友人の湊斗という青年だった。




