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前金三万じゃ足りません。 ~鏑木湊斗の不器用な霊視商法~  作者: 黒崎リク
第三話 鏡に犇めくもの ~タダより恐ろしいものは無い~
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(7)


「誰の声って……」


 リナは掠れた声で鸚鵡おうむ返しに答える。スカートの裾を掴む指先が震えていた。

 湊斗は眼鏡を掛け、視界に映る赤い唇を遮断する。だが、耳にはざわざわと遠い喧騒のような音――重なった声が聞こえていた。


「……あんたにも聞こえているんだろ、この声。それって、全部同じ人物の声なんじゃないのか?」


 重なり合っているうえに、高かったり低かったりで分かりづらいが――おそらくは女性、それも若い女性のものだとわかる。

 湊斗の言葉に、リナはぎゅっと唇を引き結ぶ。


「っ……」

「あんたは、この声を知っている。それに、肌に張り付いている唇が、誰のものなのかも」

「!」


 リナは弾かれたように立ち上がった。膝にかけていたブランケットが落ちる。


「しっ……知らないわよ! 何言って――」


 リナが大声を上げた時、扉がノックされた。


「――リナ、もう時間よ」


 扉を開けて顔を出したのは、三十代くらいの真面目そうな感じの女性だ。「真鍋さん」とリナの顔からこわばりが解ける。

 真鍋と呼ばれた女性は、部屋の中を見て目を瞬かせた。


「あら、水宮君……と、その子は?」

「真鍋さん。彼は僕の友人です。朝川さんの大ファンで、どうしても彼女に会いたいと頼まれたので、連れて来ました」

「なっ……」


 勝手な設定を付けられた湊斗は口を挟もうとしたが、ここで本当のこと――リナを霊視するために来たと言っても逆に話がこじれそうだ。

 仕方なく黙って会釈する湊斗に、真鍋は「まあ、そうなの」とあっさり信じた。


「ありがとう、うちのリナをこれからも応援してくれたら嬉しいわ。……リナ、水宮君、そろそろ現場に入って。みんな待っているわ」

「うん、わかった」

「はい。僕も行きますね」


 リナと水宮が揃って頷く。湊斗もここで待つわけにはいかず、一緒に席を立つ。リナはその間、湊斗からあからさまに顔を逸らしていたのだった。





 撮影中は水宮の控室で待とうと思っていたのだが、水宮から「せっかくだから見学していってよ」と例のごとく腕を掴まれて引きずられた。

 連れて行かれた先は、展望レストランの一角だ。

 すでにカメラマンやアシスタントが準備を終えており、都会の夜景が広がる窓際のテーブルには、料理のセッティングもされている。水宮とリナは彼らに近づいて挨拶し、撮影前の打ち合わせに入った。

 湊斗はと言えば、彼らの邪魔にならないよう、後ろの壁際に下がる。一瞬、控室にこっそり戻ろうかとも思ったが、下手に動くと目ざとい水宮に何を言われるかわからない(そして注目を浴びかねない)。さすがに学習してきた……というか諦めがついてきた湊斗は、大人しく待つかと壁に寄り掛かった。


 ――鏡が無ければ、リナの目にはあの赤い唇は映らない。

 ならば、撮影中はとりあえず問題ないだろう。


 視線の先では、水宮がカメラマンの話に真顔で相槌を打っている。かと思えば、少しおどけた表情で何かを言い、調子の悪いリナの気分を解すかのように皆で笑い合っていた。

 ああいう顔もするのかと、湊斗は意外に思った。湊斗の前では嘘くさい笑顔や、人の話を聞かずに強引に話を押し進める態度しか見せないので、『信用ならないヤツ』という印象しかなかった。まあ、彼に振り回されている今、好青年みたいな態度を取られても逆に気味が悪いだけだ。

 水宮のことはさて置き、湊斗は今回の件のことを考える。


 肌に浮かぶ唇や、聞こえる声。

 誰のものかと尋ねた時、明らかにリナは動揺していた。あれは間違いなく、心当たりがある。

 きっと彼女もわかっているのだろう。だって、あの唇の形も声も、彼女の良く知るものであるだろうから。


 そもそも、あれは霊ではない……と思う。

 高校生の頃、あれに似たようなものを見たことがある。真澄が仕事で預かった骨董品を見せてきたとき、湊斗は思わず飛び上がった。

 古そうな茶器に、白い手がべったりと張り付いていたからだ。

 もちろん、本物の手ではない。あれは『念』だと真澄は言っていた。かつての持ち主の執着の念がこびりついているのだと。

 リナに憑いているのも、そんな感じだ。

 だが、『念』にしては、そこに籠っている感情が希薄と言うか……。悪意は感じ取れるのだが、リナに向けられているのではなく、ただそこから発せられていると言えばいいのだろうか。

 リナ自身には念が向けられているわけではないのに、なぜリナに唇が張り付いているのか――。


 そこまで考えて、はたと湊斗は我に返った。

 今回、自分の役割は、朝川リナに何か憑いているかどうか、真澄が祓う必要があるかどうかを確認するだけだ。別に自分が何かするわけではないのだから、考えたところでしょうがない。

 ここは専門家――真澄に任せた方がいい。さっそく一報入れておくかと、スマホを取り出した時である。


「や、湊斗君。難しい顔してどうしたの?」


 ぽん、と軽く肩を叩いてきたのは、佐野だった。

 隣に並んで壁に寄り掛かる彼は、にこにこと笑いながらも手元を覗いてくるので、湊斗は操作しづらくなってスマホをポケットにしまった。


「……何か用っすか」

「ん? いや、俺も暇になったから」


 佐野が指さした方を見ると、すでに撮影が始まっていた。

 そういえば、打ち合わせの途中、佐野は水宮とリナの髪型を整えていたのを思い出す。手が空いて暇なのだろうが、なぜ自分に話しかけてくるのだろう。

 横目で見上げると、佐野はまたも湊斗の前髪に触れてきた。注意しようとしたが、さすがに湊斗もこの場で大声を上げるわけにはいかない。

 身を引いて『触んな』と拒否する姿勢を見せると、佐野は名残惜しそうに前髪の一房を離した。


「ごめんね。こう、鬱陶しい髪見ると切りたくなっちゃって」

「……鬱陶しくて悪かったな」

「あ、ごめん。……そうだ、お詫びに無料でカットするよ。時間ある時でいいから、俺の店に来て」


 佐野は黒い名刺を取り出して、湊斗の手に押し付けてきた。いつも千円カットの理髪店で適当に切っていた湊斗は、無料タダという響きに少しグラつく。

 ……まあ、とりあえず名刺は貰っておこう。タダなんだし。

 現金にそんなことを考えていた湊斗だったが、急に背がぞくりと粟立った。


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