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前金三万じゃ足りません。 ~鏑木湊斗の不器用な霊視商法~  作者: 黒崎リク
第二話 後ろ姿の女 ~前金二千円でいいんですか?~
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(7)

「――ねぇ聞いた? 川北先生のこと」

「ああ、たしか奥さんが研究室に乗り込んできて、離婚届けを突きつけたって……」

「ていうか結婚してたんだね」

「そうそう。なのに、うちの女子学生と付き合っていたんだって。しかも何人も」

「ええっ、何それ!? 最低じゃん!」


 遠くから、学生達の噂話が聞こえてくる。食堂に向かう英美と幸奈ゆきなは顔を見合わせて、どちらともなく目線を落とした。


「……まさか彩子が、川北先生と付き合っていたなんてね」

「うん……」


 ぽつりと呟く幸奈の苦い声に、英美も目を伏せる。


 西洋文学史の講師である川北先生は、若くイケメンで女子学生から人気があったが、彼が既婚者であることを英美も初めて知った。

 それから、既婚者でありながら女子学生数名と内緒で付き合っていたことも、その中に友達の彩子がいたことも。

 彩子自身は、川北先生が独身と思い込んでいたらしい。今回の件でショックを受け、この数日は休んでいた。しばらくはそっとしておき、落ち着いたら三人で美味しいものでも食べに行こうと、幸奈と一緒に計画を立てているところだ。


「あ……そういえばアパートの幽霊の件、どうだった?」


 幸奈がぱっと英美の方を向く。


「あの後、工学部の……鏑木、だっけ? ちゃんと相談乗ってくれたんだよね? まさかぼったくられたりとか……」

「そんなことないよ! お祓い屋さんも紹介してもらえて……無事に解決したから」

「そっか……」


 よかった、と幸奈がほっと息を吐く。


「なんかさぁ、噂で聞いてたより、案外いい奴だったのかな。ほら、前金も全然安かったし、猫好きだし」

「……うん」


 英美は頷き、手首に着けたブレスレットに触れながら、昨日のことを思い返した。



***



 昨日の昼休み、英美が再び工学部の非常階段を訪れると、前にも見た光景が広がっていた。

 ウィンドブレーカーを布団がわりに昼寝する小柄な青年の周りには、今日も猫が屯っている。その中の一匹、大柄なサビ猫は英美に気づき、のそのそと近づいてきた。


「ブンさん」


 呼びかけると、なぁ、と返事が返ってきた。本当に会話しているようだ。笑みをこぼして、英美はブンさんの側に屈みこむ。


「ブンさん、これ、お礼です」


 持っていた紙袋の中から、鏑木に頼まれていた猫用おやつを出すと、ブンさんは「ぶなぁ」と嬉しそうに鳴いてすり寄ってくる。

 すると、他の猫も近づいてきて、おやつ欲しさに互いに威嚇し始めた。低い鳴き声が辺りに響く。しまった、と英美が焦っていると鏑木が身じろいだ。


「……るせぇ……」


 のっそりと起き上がった鏑木が不機嫌に唸った。


「ごっ、ごめんなさい」

「……あ?」


 目を擦り、眼鏡を掛けた鏑木が英美に気づく。「なんだ、あんたか」と呟くと、ぼさぼさの髪を掻いた。

 英美を取り囲みおやつを狙う猫達を見て、状況を把握したようだ。鏑木が手で猫を追い払うと、ブンさん以外の猫は不満げながらも去っていった。


「ほんっと、食い意地張ってんな……」


 きちんとお座りして梃子でも動かぬブンさんを、鏑木は呆れたように見やる。

 鏑木に促され、英美はブンさんにおやつをあげる。ブンさんはごろごろと喉を鳴らしてチューブに入ったおやつを舐めた。

 ご機嫌なブンさんを横目で見ながら、英美は紙袋を鏑木に差し出す。


「鏑木君。あの、これ、お礼です」

「お礼って……ブンさんのか? おやつやり過ぎると太るぞ、こいつ」

「あ、いえ、これは鏑木君の分で……」

「俺?」


 鏑木は首を傾げながら受け取り、中を覗いた。中に入っているのは、保冷バッグと焼き菓子の詰め合わせだ。英美は緊張しつつ言葉を続ける。


「真澄さんに聞いて……その、甘いものが好きだって聞いたから、近くのケーキ屋さんでお菓子を少し。そこ、焼き菓子おいしくて、それとミニクレープも有名で」

「……」


 袋を覗いていた鏑木が、ぱっと顔を上げる。やった、と小さく言って、保冷バッグからミニクレープを一つ取り出した。「お、キャラメル味……食っていい?」と言いつつ、さっそくフィルムを剥いで食べ始める。


「……あ、うまい」


 鏑木は特に表情を変えないが、眼鏡の奥の目が嬉しそうに細められる。もくもくと頬張る姿はどこか可愛くて、英美の頬は緩んだ。

 鏑木の隣に腰を下ろし、英美は先日のことを謝る。


「あの、鏑木君。この間はごめんなさい。道路で待たせてしまって」

「……あれは叔父さんが悪いから」




 一週間前、後ろ姿の女性の霊を調べるため、鏑木と、叔父で祓い屋である鏑木真澄が英美のアパートに来てくれた。

 しかし部屋を調べる際、鏑木は男子禁制のアパートに入れず、一時間外で待つ羽目になったのだ。そのせいで、大家から不審者扱いされてしまった。連絡を受け、急いで真澄と駆けつけ「彼は従弟で夜道を送ってもらって云々」と釈明したものだ。


 結局、英美の部屋には、幽霊が出る原因となるものはなかった。念のためにと、真澄が知り合いの神社の札を部屋の四隅に貼って、清めた塩を盛った。

 その後、真澄に尋ねられ、英美の部屋に出入りした人物を答えた。何か異常があればすぐに連絡を、とその夜は別れた。

 そして三日後に、真澄は後ろ姿の女性の正体を突き止めた。

 どうやら、現れた女性の霊に紐のようなもの――『魂と身体を結ぶ命綱のようなもの』と言っていた――が付いており、その跡を追ったのだという。


 彼女は幽霊ではなく、生霊であった。

 正体は、川北先生の奥さんだったのだ。


 浮気性の旦那に、嫉妬深い妻。旦那の浮気相手を突き止めてはストーカーのように追っていた彼女は、途中で事故に遭って足の骨を折り、自由に動けなくなった。

 それでも、浮気相手への執念は消えずに、生霊となってしつこく追いかけていたらしい。

 英美の部屋の前に現れたのは、川北先生と付き合っていた彩子がこの部屋に入るのを目撃し、ここが彩子の部屋だと勘違いしたからだ。英美を見て「ちがう」と言ったのはそのせいだった。

 そして大学に現れたのは、川北先生を追って、教室や研究室で浮気相手と会っていないか見張っていたからだった。

 英美は勘違いで巻き込まれただけだったのだと、真澄が報告してくれた。

 ちなみに真澄は川北先生の奥さんと会い、いろいろと相談に乗ってあげたそうだ。奥さんが離婚を決意したこともあってか、大学で後ろ姿の女性を見ることは無くなった。もちろん、英美の部屋の前でも。


 そうして無事に解決したが、鏑木に迷惑を掛けたことを英美は気にしていた。

 料金の支払いなど、諸々の手続きのために真澄の事務所を訪れてその旨を伝えると、「あの子甘いものが好きだから、あげたらすぐに機嫌良くなるわ」とアドバイスをくれた。

 謝罪と感謝を込めて、お菓子を用意したのだが――。




「あんたが気にすることじゃない」


 気にした様子もなく鏑木は言い、クレープの最後の一口を入れる。薄い唇に付いた生クリームを舐め取って飲み込み、鏑木は英美を見た。


「でも、お菓子(これ)は嬉しい。ありがとな」


 ふっと頬を緩ませる彼の笑顔は、初めて見るもので英美はどきりとする。


「いえっ、その、どういたしまして――っていうか、こちらこそ本当にありがとう鏑木君。このブレスレットも借りたままで……」


 英美が水晶のブレスレットを返そうとすると、鏑木は首を横に振る。


「それ、やるよ。俺はたくさん持ってるし、菓子の礼ってことで」

「え、でも……いいの?」

「うん」


 頷く鏑木は、次のクレープのフィルムを剥ぎながら、英美に水晶の手入れの仕方を淡々と教えてくれたのだった――。



***



 お守り替わりのブレスレットを着けていると心強く、そしてどこか温かい気持ちになる。

 はにかむ英美に、幸奈がニヤッと笑った。


「へえ~、なるほど。そういうことか」

「え? 何が……」

「鏑木。背は低いけど結構顔は良いし、不愛想だけど思ったよりいい奴みたいだし」

「ちょっと幸奈、何言って……これはそういうのじゃなくて、お守りで!」


 慌てて言い繕う英美の顔は真っ赤だ。

 狼狽える英美をにやにやと幸奈は見ていたが、ふと、その顔が真顔になった。


「え、嘘……っ」


 幸奈の表情を見て、英美は緊張する。まさか、あの後ろ姿の女性が現れたのか――

 手首ごとブレスレットを握って、英美が振り返った時だ。

 目の前に壁があった。否、誰かの胸元だ。

 思わず後ずさった英美が体勢を崩すと、その腕を誰かが掴む。大きな手は、軽々と英美を支えていた。


「――ごめん、驚かせたね」

「え?」


 英美が見上げた先には、大学一の有名人がいた。たしか、現役大学生モデルで雑誌の表紙を飾ったりしている――そう、『水宮慧みずみや けい』だ。

 同じ大学であることは知っていたが、学部も違うし、サークルも違うしで、ほとんど彼に会うことは無い。しかもこんなに間近で彼を見たのは初めてで、英美は目を白黒させた。

 水宮は、雑誌で見るよりも綺麗な顔で微笑む。


「ねえ、高野さん。話があるんだけど、いいかな?」


 水宮の申し出に、きゃあっと声を上げたのは周囲の女子学生だ。言われた当人は、訳が分からずに彼を見上げるばかりだった。


「な、何で……」

「少し聞きたいことがあって……鏑木君のこと、知ってる? 鏑木湊斗君」


 人に聞かれたくないような小声で囁かれた鏑木の名前に、英美ははっとする。

 水宮は少し困ったような顔で笑った。


「実は……僕も、彼に相談したいことがあって」


 もしかして、水宮も何か――霊に関することで困っているのだろうか。

 二週間前、悩み切羽詰まっていた自分を思い出す。英美は水宮に向かって、力強く頷いて見せた。


「大丈夫! 鏑木君なら、ちゃんと相談乗ってくれるよ」


 前金は二万もいらない。

 噂と違って、彼は本当に困った人を助けてくれる――

 そのことを、きちんと伝えなければ。


 そう意気込む英美は、水宮の企みを知ることもなく、鏑木のことを話したのだった。




これにて閑話終了です。

予定では二話で済むはずだったのだが……あれ……?

書きすぎてごちゃごちゃ感が半端ないので、後々修正掛けていきたいです……。


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