(6)
まさか鏑木の知人の祓い屋というのが彼の叔父で、しかも女装家だったとは。「見た目が女だったら」という鏑木の言葉の意味を、今更ながら理解した。
呆気にとられる英美に、鏑木真澄は「驚かせてごめんなさい」と慣れたように微笑む。
肩より長い黒髪は艶やかで、鏑木に似た細面の顔には綺麗に化粧が施されている。顔だけ見ると本当に女性のようだ。
英美は慌てて首を横に振る。
「いえっ、こちらこそ失礼な態度をとってすみません!」
「謝らなくていいのよ。初対面の人はだいたい驚くもの」
ハスキーな声で言いながら、真澄は英美の隣――居心地悪そうに佇む鏑木を見た。
「というか湊斗、ちゃんと説明しておきなさいよ、私のこと」
「どう説明するんだよ」
眉を顰めた鏑木は、英美の方を向く。
「じゃ、俺帰るから。後はそいつに任せれば大丈夫なはず、たぶん」
鏑木はそそくさと踵を返すが、すかさず真澄がバッグのベルトを掴んだ。
「人を急に呼び出しておいて、その言い草は随分と失礼じゃない? しかも女の子の依頼人を置いて帰るなんて。ていうか偶には手伝いなさい」
「こっちは仕事紹介してやってんだろ。そもそも俺、祓いできねぇんだから」
「少しは覚えろ。このまま帰ったら、至急対応分の料金、あんたに請求するわよ」
「……」
叔父と甥のやり取りは、叔父に軍配が上がったようだ。
「じゃあ行きましょうか、高野さん」
真澄は戸惑う英美の肩を押して歩き始める。その後ろを、鏑木は渋々といった様子でついてきた。
英美は真澄を見上げながら、「すみません」と謝る。
「急な頼みを聞いてもらって……鏑木君にも迷惑を……」
「あら、あなたは気にしなくていいのよ。湊斗から大まかな話は聞いているわ。怖かったわね」
柔らかな口調で真澄は答える。
「それにこっちも仕事だし、きちんと料金は払ってもらうんだもの。ああ、料金はそんなに高くないから安心して。学割あるし、初回割引も付いているから」
……なんだか携帯電話の契約みたいだ。
祓い屋と聞いていたから、もっとこう、テレビで見る重々しい雰囲気の霊能力者やお坊さんを想像していた。しかし真澄は(女装家ということを除けば)いたって普通の人に見える。
少し気が抜けながら、英美は真澄に聞かれるままにアパートへ道案内した。
時刻は午後九時を少し過ぎた頃。
自分の住む三階建てのアパートが見えてくる。アパート前の道路で英美は自分の部屋を見上げ、顔を強張らせた。
長い黒髪、ラベンダー色のニット。後ろ姿の女性は、今日もそこに立っている。
いつもよりも怖く思わないのは、隣にいる真澄と鏑木のおかげだろうか。立ち止まった英美の肩を真澄がぽんと叩く。
「二階の右端の部屋ね」
「……はい」
「それじゃあ、私が一緒に部屋まで行くから。湊斗はここで『彼女』を見張っていて」
真澄に促され、エントランスに入ろうとする英美だったが、ふと、鏑木がその腕を掴んできた。
「鏑木君?」
「念のため、持っとけ」
鏑木は透明な水晶でできたブレスレットを差し出してくる。英美が思わず受け取ると、鏑木はすぐに手を離した。
「あ、ありがとう」
礼を言う英美に、鏑木は「貸すだけだ」と素っ気ない。傍らでは、真澄が「あらまあ」と口に手を当てている。
「ちょっと何、優しいじゃないの湊斗」
「うるさい。とっとと行けオカマ」
「誰がオカマだコラ。後で覚えてなさい」
短いやり取りの後、真澄は英美を連れてエントランスに入り、階段を上がる。
いつも英美が廊下に着いた時には、後ろ姿の女性はいなくなっている。今日も同じように消えているのだろうか。緊張しながら、英美は真澄の一歩後ろを付いていった。
二階に着いて廊下の奥を見ると、真澄の肩越しに黒髪が見えた。
――彼女が、いる。
英美は手の中のブレスレットを握りしめる。
真澄は悠然とした足取りで彼女に近づいていった。
顔を伏せ、目線を落とした英美の視界に、真澄の靴と――女性の素足が映る。
青白い肌に、青紫色の爪。生々しい色に、ぞっと背筋が粟立った。
「人の部屋の前で、何しているの?」
真澄の問いかけに、ゆっくりと女性の足が動く。裸足を床に擦りつけるようにして、こちらに向き合ったのが分かった。
「この子に何か用? 用がないなら失せなさい」
素足の爪先が、じり、と床を擦る。
次の瞬間、英美の伏せた視界に黒髪が映った。
「っひ……!!」
グレージュのスカート、ラベンダー色のニットの裾。
目の前に、彼女がいる。十センチも離れていない。今まで一度も正面を見たことが無い、後ろ姿の女性が英美を見ている。
顔を上げられない。俯いた額に、強い視線を感じた。
彼女が顔を近づけてくるのを肌で感じる。首筋から背中にかけて寒気が走った。
このままだと顔を覗き込まれる。
『あれ』と、目が合ってしまう。
あまりの怖さに英美は目を閉じた。握ったブレスレットが不思議な温かさを伝えてくる。耳元で、誰かの息遣いが聞こえて――
――チガウ
掠れた声が響いたかと思うと、感じていた寒気や圧力が急に無くなった。
「……高野さん、大丈夫?」
ハスキーな声と共に肩に手を置かれる。一瞬びくりとしたものの、それは温かな真澄の手だった。
目を開けると、先ほどまで見えていた黒髪も素足もそこに無い。ゆっくりと顔を上げても、廊下に女性の姿は無く、真澄だけが立っている。
「あ……」
「彼女は消えたわ」
真澄はあっさりと言う。
「ごめんなさい、怖い思いをさせて。『彼女』と高野さんに何か関係があるのか確かめたかったんだけど、湊斗の言った通り違うみたいね」
違う――。さっきの女性も言っていた言葉だ。
「ちがう、って……」
「ええ。彼女が付きまとっていたのは、あなたじゃない。なぜあなたの部屋に固執していたのかはまだわからないけれど……ひとまず、彼女はあなたを違うと認識した」
消え失せた後ろ姿の女性。
こんなにあっさりいなくなるなんて、と英美は呆然とする。
「念のため、部屋の中も一応見せてもらっていい? 祓ったわけじゃないから、また出てくるかもわからないし。原因を確認しておきたいの」
「あ……わかりました」
英美は頷き、真澄を部屋へと案内して――道路で待たされている鏑木のことを思い出したのは、それから一時間後のことであった。




