27.靴-③
その言葉に、残っていた全員が蓮に目を向ける。だが、いくつもの視線に怯むことなく、蓮はさらにこう続けた。
「さすがに靴がないままだと仲多さんも帰れませんし、今度は一度行動を振り返ってみてから、可能性のある場所を絞ってみませんか?」
闇雲に探しても見つからないのであれば、入店してから仲多がいつ何回靴を取り出したのかを、いったん確認してみればいい。それは、途中トイレに立った際に仲多とすれ違っている蓮だからこそ、思いつくことのできた発想ともいえるだろう。
「そういえば……仲多さん、途中何回も席を立ってましたね」
現に今、その回数が多かったことを思い出したとばかりに佐々木が呟く。
「四回か五回くらい、トイレとタバコに行った記憶はあるな」
それを聞いて、まだ残っていた若い男性スタッフが二人名乗りを上げて、トイレと喫煙所にそれぞれ向かった。喫煙所に関しては、ここの店舗では外に専用のスペースが設けられているため、喫煙者でなければ場所は分からない。そして当然だが、男性用のトイレに女性は入ることができない。そのため、喫煙所に関しては同じ喫煙者の男性スタッフが、トイレに関してはすでに靴を履いていたので様子を窺っていた男性スタッフが、それぞれ確認に向かってくれたのだ。こういった時に素早く動けるあたり、二人はスタッフとして普段から様々な事態に対応しているのかもしれない。
そんな彼らに全員が気を取られている中、蓮は自然な動作で二十八番の靴箱に近付き、そっと扉に触れると笑みを浮かべながら小さく呟く。
「少しだけ、君の記憶を見せてくれる?」
その瞬間、蓮の頭の中に流れ込んでくる二十八番の靴箱の扉の記憶。仲多が持っていたという証言通り、外側ではすぐに木札が抜かれてしまうが、この時点ではまだ内側は暗いため、靴がどうなっているのかは判別できない。だが、木札が抜かれる直前の靴箱の中が確かに空になっていたことだけは、この時点で確認できた。
(もしも本当に仲多さんがこの靴箱をずっと使っていたのなら、どこかで靴が戻ってくるはずだし、出し入れだって何回もされてるはず)
佐々木の証言もある以上、少なくとも最初の時点では、仲多がこの二十八番の靴箱を使っていたことは確定している。そして本人の言葉通りならば、四回か五回は開け閉めされていることになるのだ。ただし、それが本当だったならば、という前提ではあるのだが。
(人間って、酔ってる時は意外と正確に認識してなかったりするし、なにより仲多さんは一度前例があるからなー)
佐々木からのメッセージを確認していなかったことで、水がなくなったと大騒ぎしていた名古屋公演での出来事は、忘れたくても忘れられない。河口のリップが紛失してしまった時とは違い、あれは明らかに仲多の確認不足なだけだったのだ。つまり、今回もそうでないとは言い切れない。しかもアルコールまで入っているとなると、なおさら本人の言葉だけを信じるというのは難しくなる。
ようするに、蓮は仲多の発言を疑っているのだ。確かに木札の鍵は持っていたが、途中から靴の出し入れはしていなかった、あるいは別の靴箱を使っていた可能性がある、と。
(とはいえ、それが分かったところで、じゃあその靴は今どこにあるのかって話になるわけだけど)
ただ、蓮自身が仲多と店内ですれ違ったのは一度きり。しかしその際、特に違和感を覚えるようなこともなかったので、おそらくその時点ではまだ靴は紛失していなかったのではないかと蓮は推測している。ならば、仲多が最後に靴を出したであろうタイミングさえ分かれば、あとは他の様々な場所でその時間分だけモノに記憶を視せてもらえば、ある程度までならば文字通り足取りを追えるのではないかと蓮は考えたのだ。そのためにも、仲多の靴の色や形を正確に知っておく必要がある。
(完全なしらみつぶしではあるけど、しないよりかはマシって感じだろうな)
今の時点で、手掛かりという手掛かりは一切ないのだ。となれば、地道に探していくしか手はない。そう思い、蓮はひたすら次の変化を待ち続ける。
だが実際には、待てど暮らせど靴が戻ってくるような気配すらないことに、焦りだけが蓮の中に蓄積されていくだけ。打ち上げの数時間で何度も席を立っているくらいなのだから、もっと早くに靴箱の扉が開けられると蓮は予想していたのだが、どうやらその勘は外れたようだ。
(もしかして、仲多さんがこの靴箱を利用してたのって、最初だけとか?)
その可能性も考えなかったわけではないが、だとすれば仲多は意味もなく木札の鍵だけをずっと持ち続けていたことになる。そしてこうなってくると、正確な足取りを掴むのはかなり難しくなるだろう。そういう意味でも、一番あってほしくない結果だった。
だからといって今から靴箱全体の記憶を視るのは、時間だけではなく脳の疲労具合も考えると、かなり厳しいものがある。むしろ、それができるのならば初めからそうするのが一番効率的だったのだが、それは百合がいないこの状況では厳しいと判断して、蓮は仲多が使っていた靴箱の扉の記憶を視ることを選択したのだ。
(スマホが手元にあれば、全部解決したのに)
今さら後悔したところで、もうどうにもならない。
目的のモノが手元にないことでこんなにも困る状況になるなど、蓮にとって初めての経験すぎて逆に新鮮だと思うのと同時に、だから人はモノを大切にするのかと、ようやく少しだけその気持ちが理解できたような気がしていた。
蓮が新たな気付きを得つつも、後悔する気持ちも強くなるという複雑な心境になっていた、その時。扉に木札が差し込まれ、靴箱の中にようやく仲多の黒い革靴が戻ってくる。そして、またすぐに抜かれていく木札の鍵。
(このタイミングか)
薄明りの中、しかもほんのわずかな時間のみだったため、細かいところまでは確認できなかった。しかし、それでも大まかな時間と靴の色や形は把握できた。それにより一応の目的は果たしたので、蓮は靴箱の扉からそっと手を離す。
「なるほど、ね。ありがとう、助かったよ」
記憶を共有してくれた扉に向かって、最初に声をかけた際と同じように小さく呟いて笑顔を見せながら、蓮は長い前髪をかき上げる。その瞬間、靴箱の扉がかたりと小さく音を立てたのだった。
だが、問題はここからなのだ。
(床は完全に建物の一部として扱われそうだから、今回は無理かな)
万全の状態であったとしても、建物の記憶を視るとなれば、直後に倒れてしまうであろうことはまず間違いない。むしろ、必要な情報にたどり着くことすらできない可能性まである。
そんなリスクを負うことはさすがにできないので、それよりも先に蓮は仲多に一つ疑問をぶつけてみることにしたのだった。
「あの、仲多さん」
「ん? なんだい?」
「仲多さんが戻ってきて靴を脱いだ直後とかに、誰かに話しかけられたりとかってありました?」
「ん~……」
仲多が二十八番の靴箱を使っていたことは、佐々木の証言だけではなく先ほどの扉の記憶からも証明されているので、そこは間違いない。しかし、靴が長時間靴箱の中に戻ってこなかったのも事実である以上、やはり最初に佐々木が口にしていた通り、靴箱に入れ忘れていたという可能性も否定できないと蓮は思ったのだ。その根拠として、仲多は靴箱から靴を取り出した際にも、必ず木札の鍵を抜いていたことがあげられる。つまり仲多は入店してからずっと、靴を出し入れする時間以外は必ず木札をポケットに入れていたのだ。となれば、別の番号の靴箱に靴を入れてしまうよりも、何かに気を取られていて靴を脱いだままにしてしまっていたと考えたほうが自然なのではないか、と蓮は結論づけた。
「あぁ、そういえば一回あったかも。ちょうどここですれ違った音響スタッフの二人と、ちょっとだけ立ち話してたんだよ」
そんな蓮の予想を肯定するかのように、仲多がそう言葉を続ける。
「やっぱり」
しかし、仲多の話はまだ終わっていなかった。
「そしたら、誰かが注文してた飲み物が届いて……あれ? そういえば、その時って俺、靴どうしたんだっけ?」
どうやら今度こそ、蓮の勘は当たったらしい。つまり、その時に靴を入れ忘れていた可能性が高いのだ。
そうなると、あとは見つからない仲多の靴の行方なのだが。
「もしかしたらなんですけど――」
蓮がまだ探していない箇所を口にしようとした、その時。
「仲多さん! 音響スタッフの方が、床と段差の間に仲多さんの靴を入れてくれてたみたいです! いい靴が誰かに踏まれたら危ないからって!」
喫煙所を見に行ってくれていた若い男性スタッフが、全員に聞こえるような大きな声で、そう教えてくれたのだった。




