22.幼馴染-②
「あっ! ごめん!」
だというのに、なぜか目の前で何かに気付いたようにガブリエルは急停止し、蓮の目の前に正座する。
「ボク待ってるから、レンはファンレター読んでていいよ!」
さぁどうぞとばかりに両手を差し出すガブリエルだが、その屈託のない笑顔と紙袋の中身を目線だけ動かし交互に確認した蓮は、手に持っていたダークブラウンの封筒をそっと紙袋の中に戻すのだった。
「俺とガブのオフが一緒になることって滅多にないし、続きはまたあとでゆっくり読むからいいよ。それよりも、俺に何か用があったんじゃないの?」
海外を飛び回っているガブリエルは、蓮以上にオフと言えるような休日が少ない。仕事のための移動が多いので、どうしてもそれだけで時間がとられてしまうのだ。
それを知っている蓮だからこそ、自分の予定を変更してでも一つ年下の二十歳の幼馴染のために、今ぐらいは時間を使ってもいいと思ったのも事実。だが同時に、せっかくのファンレターは誰にも邪魔されず急かされることもなく、ゆっくり読みたいと思うのもまた蓮の本心だった。
「本当に? いいの? ボク、いくらでも待てるよ?」
ガブリエルもガブリエルで、蓮がファンレターを読む時間を大切にしていることは、長い付き合いなのでよく知っている。だからこそ、そう確認するのだ。大きな体と端正な顔立ちからは想像もつかないくらい、可愛らしく首をかしげながら。
「いいの。ほら、俺の気が変わる前に用件を話して」
しかし、蓮はそんなガブリエルに首を振ってみせると、早く本題に入るようにと促す。
ガブリエルを知っている数少ない日本のファンたちからは「生きた芸術品」や「歩く彫刻品」などと言われ、ランウェイを歩く姿は「芸術が服を着て歩いている」とまで言われていることを知っていても、その素の性格を知っている蓮からすれば、ガブリエルが可愛らしい仕草をしてみせたところで通常運転すぎて、別段驚くほどのことではないのだ。そうでなくとも、最近忙しかった蓮にとってオフは貴重なので、時間を無駄にしたくはなかった。
そんな蓮の思いを汲み取ったのかどうかは定かではないが、自分に意識が向けられていると認識したガブリエルは途端に嬉しそうな笑みを浮かべ、身を乗り出しながらこう告げる。
「じゃあじゃあ、次のオフ一緒に出かけようよ!」
「断るっ」
だが、それに対する蓮の言葉は無情なものだった。
しかし、それで諦めるガブリエルではない。
「え~? いいじゃん、行こうよ~」
「絶っ対、ヤダっ!」
「なんで~?」
「お前と並ぶと、俺の背の低さが目立つからだよ!」
海外でもモデルとして活躍できるほど長身のガブリエルの身長は、現在一九三センチ。対して、自ら背が低いと口にした蓮の身長は一六五センチ。その差が三十センチ近くあることを考えれば、現代の日本人男性の平均身長にも満たない蓮がガブリエルの隣に立ちたくないと思うのも、仕方がないことといえば仕方がないことなのかもしれない。
余談ではあるが、実は蓮は自分の身長に対して若干のコンプレックスを持っている。というのも、姉である百合の身長は女性にしては少し高めの一六六センチ、蓮と同じグループのメンバーである唯一郎が一七二センチ、柚真が一六八センチと、身近にいる誰よりも蓮は身長が低いのだ。それでいて両親はどちらも平均身長に届いており、かつ実の姉が女性としては高身長に分類されるという点を加味すれば、確かに蓮が身長に対するコンプレックスを持ってしまうことも頷けるというものだろう。
とはいえ、そのことをガブリエルが知らないはずもなく。蓮が嫌っているのは背の高い人間の隣に並んで立つことであり、自分自身に対してではないと理解しているガブリエルは、間髪入れずにこう告げた。
「大丈夫! 目的地まではボクが運転するから、蓮は座ってるだけでいいよ!」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「え~? だって、立ってなければ身長差なんて分からなくない?」
だが、それすら蓮が即座に否定すると、不服そうにそう口にし頬を膨らませて不満を示すガブリエル。しかし、今度はすぐに後ろを振り返ると。
「ねぇ、ユリ~。ユリもそう思わない~?」
ここで助っ人を呼び入れるべく、ガブリエルは段ボールの中身の仕分けをしていた百合に声をかけたのだった。
「そうね~。確かに、蓮もたまには外出して息抜きしてきたらいいんじゃない?」
「ほら~!」
「ちょっ!」
仕分けの手は止めないまま、当然のようにガブリエルに味方する百合。そして、勝ち誇ったような表情で両手を腰に当てながら胸を張るガブリエルに見上げられて、味方がいないことに焦り始める蓮。三者三様ではあるが、ここで百合がさらにガブリエルの提案を後押しするような言葉を続けた。
「そもそもあんた、オフの日あんまり出かけないじゃない。いい機会なんだし、たまには演者としてインプットしてきたら?」
「うぐっ……」
そう言われてしまえば、蓮は何も言い返せなくなる。表現者として最近はアウトプットばかりしていて、その分インプットの時間が少なくなっていることを、蓮自身どこかで感じていたのだ。そのタイミングでこの言葉を、しかも自身の専属マネージャーでもある百合から言われてしまえば、蓮としては痛いところを突かれたと思うのが当然だろう。
そしてここでガブリエルが、ダメ押しとばかりに蓮にしか聞き取れないような小声で、こう告げる。
「この間の探し物のお礼もしたいけど、ユリには内緒のほうがいいでしょ?」
「っ……!」
その言葉に驚きの表情を浮かべる蓮だが、百合に背を向けているガブリエルはいたって真剣な表情だった。
ガブリエルは、蓮の特殊な能力のことを知っている数少ない人間だ。それゆえに、百合があまり蓮にその能力を積極的に使わせたがらないことも、逆に蓮が必要な場合にはでき得る限り協力したいと思っていることも、そして両者の思いがいつまで経っても平行線のままだということも、全て知っていた。そのうえで、ガブリエルは選んでいるのだ。能力に関する部分については、全面的に蓮の味方をする、と。
「車の中なら、誰にも聞かれないよ」
ね? と、唇に人差し指を当てながら小さく首を傾けてみせる幼馴染の姿に、蓮はなんとも形容しがたい表情を浮かべて目を閉じ、悩む様子を見せる。それを好機と捉えたのか、ガブリエルは先ほどまでの少々妖艶にも思える雰囲気を一変させ、屈託のない笑顔を浮かべてもう一度蓮にこう告げた。
「ユリもああ言ってるし、一緒に出かけようよ!」
両手を大きく広げているガブリエルの姿は、一見すれば無邪気な子供のよう。しかし、先ほどまであのやり取りをしていた蓮からすれば、全て計算してやっているようにも見えてくる。
だが、ここで大切なのは、一連の言動がガブリエルの計算であるかどうか、ということではなく。ここまで言われてしまえば、断るという選択肢が蓮には取りづらい状態になっている、という事実のほうが、よほど重要なことだった。
そうして結局、蓮は大きなため息を一つ落とすと。
「分かったよ、次のオフな。スケジュール確認しておくから」
もはや諦めの境地で、そう告げた。
その瞬間ガブリエルは、それはそれは嬉しそうな表情を浮かべると。
「やったぁ~! レンありがとう! 大好き~!」
飛びつくような勢いで、蓮を思い切り抱きしめたのだった。
「ちょっ、おまっ……! やめろ暑苦しい! ここは日本だ! ハグの文化はない!」
「え~? いいじゃんっ。ボクとレンの仲なんだし~」
「いいわけあるかぁ!」
嫌がる蓮と、嬉しそうなガブリエル。そして、その様子を微笑ましそうな目で見て、けれどすぐに仕分け作業に戻る百合。
一年の半分以上の時間を海外で生活しているガブリエルは、年々人との距離が物理的に近くなっている。見た目通りと言ってしまえばそれまでなのだが、フランス人の距離感を当然のように受け入れているガブリエルの家族とは違い、蓮は日本生まれ日本育ちの純日本人のため、突然のハグを受け入れる素養は持ち合わせていないのだ。
「暑いし重い! だいたい、今は夏なんだよ!」
「うん、知ってる~」
「っ……じゃあ、いい加減離れろっ!」
「え~」
不服そうな声をあげるガブリエルに、蓮は我慢の限界とばかりに直前の約束を持ち出して、こう吠えた。
「あんまりしつこいようなら、一緒に出かけてやらないからな!」
「それはヤダ!」
すると、それまでのしつこさはなんだったのかと思うほど、ガブリエルは素早く蓮から離れる。一時のハグよりも、一緒に出かけられる未来の約束のほうが、ガブリエルにとっては大切なのだろう。
「これ! 私が好きなお菓子!」
そんな中、男二人のやり取りなどお構いなしに、百合が唐突に嬉しそうな声を上げたのだった。




