20.幕間-②
走行先の信号が赤に変わったことを確認して、すでに誰も走っていない道路で百合はゆっくりとブレーキを踏む。横断歩道の信号は青だが、それを渡る通行人は一人も存在していなかった。
胸の中に湧いてきた怒りを吐き出すように、百合は一度ゆっくりと深呼吸をする。この状態で運転を続けるのは危険だと判断できただけ、まだ冷静でいられる部分のほうが大きかったのは幸いだっただろう。
「そんなに、深刻に考えなくてもよかったのになぁ」
当時まだ小学生だった蓮が、たった一人で抱え込んで悩み続けてきたのかと思うと、百合は気付いてあげられなかった自分が情けなくなってきてしまう。だが同時に、両親はもっと強く同じことを感じていただろうと考えると、結局は何も言えなくなってしまうのだ。
実はそれ以前から、蓮が歌やダンスに興味を示していることは知っていた。それを受けて、両親がダンス教室に通わせていたことも。
けれど、まさかそれに蓮本人がそれ相応の覚悟を持って臨んでいたなどと、誰が気付けるというのだろうか。少なくとも家族は誰もそのことを知らないまま、ただ好きだから真剣に取り組んでいるのだと、微笑ましい気持ちでそれを見続けていたのだ。
当然のように、最初は両親も反対していた。アイドルはそんな簡単なものではないし、恋愛をしないからいいというものではないのだ、と。しかしそれ以上に、蓮の覚悟のほうが強かったのだ。自分が家族に残せるものはほとんどないから、せめて九十九家に少しでも貢献したいのだと言われてしまえば、両親も口を閉じざるを得なかった。
「別に、そんなことどうだってよかったのに」
両親だって同じ気持ちだっただろうと、百合は今でも思っている。けれど蓮が覚悟を決めた以上、家族だからこそ誰よりも厳しく接する必要があると判断したのだろう。実際、今でも時折外部の人間から陰で色々と言われることはある。それは蓮だけではなく、百合も同じことだった。「社長の子供だから」などという言葉は、もう聞き飽きているくらいだ。
だが、二人はそれを、実力と人柄で黙らせてきた。それだけの力と自信を先に身に着けられたのは、やはり両親のそれぞれに対する厳しい指導方針が一番の理由なのだろうということは、百合は当然のことだが蓮もしっかりと理解している。だからこそ、今でも家族仲はいいままなのだ。
けれど、百合には一つ、長年の疑問があった。
「蓮って、いつから積極的に能力を使うようになったんだろう」
コントロールできるようになったからといって、最初の頃は家の中で積極的にその力を使おうとはしていなかった。それがある時、出かける直前になって母親が時計が見つからないとあちらこちら探していたのを、壁にかけていた鏡の記憶を視て蓮が見事探し当てたのだ。
真相自体は、母親が無意識で上着のポケットの中に入れていたという簡単なものだったのだが、初めて蓮がゲームでもないのに自発的に能力を使ったところを見て、百合は大層驚いた。逆に母親は見つけてくれたことがよほど嬉しかったのか、蓮の髪がぐちゃぐちゃになるまで頭をなでくり回していたことをよく覚えている。そして、蓮もどこかまんざらでもなさそうな、満足そうな表情をしていたことも。
そうして蓮は、今では外でもその能力を使っている。幼い頃の蓮を知っている分、百合は今でもそれを不思議に思うことが時折あるのだ。しかも以前とは違い、今日のように無理をしてしまうこともあるので、蓮が能力を使用することを百合は本心ではあまり快く思っていなかった。心配だからという、本当にそれだけの理由で。
「別に、自分のために使うだけなら、私だって文句は言わないのに」
蓮がその能力を使うのは、いつも他人のため。むしろ自分の持ち物になど、蓮は基本的に一切の愛着も執着も持っていないように見える。
おそらくは本当に、モノに対してこれといって特別な思い入れはないのだろう。ファンレターだけは別のようで、自室で大切に保管していることは百合も知っている。しかし、身に着けたり外に持ち出すような、それこそ連絡を取るために必要不可欠なスマホですら、簡単にどこかに置いて忘れてきてしまうのだ。
けれど、それらの元凶は全て九十九家の特殊な能力のせいだと理解している百合としては、自分が探し出してあげればいいという結論にすでに至っていた。でき得る限り、蓮に能力を使わせなくていいように、と。
「……ホント、なんで蓮だけなのよ」
誰にも打ち明けたことはないが、百合にはずっと思い続けてきたことがある。それは、幼い蓮を苦しめ続けた九十九家の特殊な能力とは、実は呪いのようなものなのではないかというものだ。そして同時に、どうせ呪いみたいなものならば、自分がその能力を持って生まれてきていればよかったのに、とも。
百合の視界の端で、歩行者用の青い信号が点滅を始める。それにつられるように視線を動かした百合は、バックミラーでもう一度確認した蓮の表情がどこか幼く見えて、言い表せないような悲しみやもどかしさで胸が痛んだ。結局、あれだけ苦しんでいた蓮に自分がしてあげられることなど、ごくごくわずかしかないのだ、と。
蓮の苦悩を本当の意味で理解してあげられないことが、百合はなによりもつらかった。残念ながら現状、蓮には同じ苦しみを分かち合えるような人物は存在していない。
「いつか……いつか、そんな人が現れたらいいのに」
小さく呟いた百合の言葉は、本心であると同時に願いでもあった。いつか同じ苦労を分かち合い心から笑い合えるような、秘密を秘密のままにせず共有できるような人物が、蓮にも現れたらいいのに、と。
そこで、ふと百合の頭に一瞬年下の幼馴染の顔が浮かんだのだが、彼は自分と同じで特殊な能力など持ち得ていないのだと思い直し、軽く首を振ってその考えを打ち消す。それと同時に、歩行者用の信号が赤になったことを確認し、百合はもう一度深呼吸をして思考を整えた。
「とにかく、今は早く家に帰ることだけに集中しないとね」
もちろん安全運転で、と言葉をつけ足すと、百合はグッとハンドルを握る手に力を入れる。
そうして信号が青に変わったことを確認し、ゆっくりとアクセルを踏んで百合が車を発進させると、二人を乗せた車は静かな夜の住宅街へと消えていったのだった。




