17.リップ-⑧
横に長いメッシュタイプのボックスの中には、端から端まで透明のゴミ袋が詰まっているのだが、上からゴミ袋を捨てられるようになっている構造上、どれがいつのゴミなのかが全く分からない状態になっている。
「透明な袋だからって、外から見て分かるとは限らないし……」
「でも、全部確認してる時間もないよ」
そう言って手を伸ばした蓮に気付いて、ボックスに触れるよりも先に百合がその腕を掴むと、険しい表情でその顔を睨みつけた。
「ダメ。さっき約束したでしょ、無理しないって」
まるで子供をあやす母親のような言い方だが、そこにあるのはただただ純粋な心配だけなのだと、蓮もよく分かっている。けれど、理解していることと納得しているかどうかは、どうしたって別物でしかないのだ。
「使えるものを使わないでどうするの? それに、このほうが早いし確実じゃん」
「あんた、今日これで何回目? こんな短い間に三回も力使って、明日にまで影響出たらどうするつもり?」
「大丈夫だって。今まで翌日に影響出たことなんて、一回もないんだから」
「今回も大丈夫とは限らないでしょうがっ」
互いに譲らず平行線をたどるだけだが、そんな姉弟の攻防は毎回唐突に終わりを迎える。そしてそれは、いつも蓮のこの言葉が決め手になるのだ。
「姉さんが心配してくれてるのは分かってるけど、こういう時に使わなかったら俺のこの能力って、なんのためにあるのか分からなくなっちゃうよ」
「っ……」
演技ではなく、本当に悲しそうな寂しそうな表情をして蓮が口にするそれに、持たざる者である百合は何も言えなくなってしまう。その苦悩だけは、たとえ血のつながった家族であろうとも理解してあげられないからだ。
結局こうして今回もまた、百合は蓮の希望を叶えてあげてしまう。ただし、しっかりと釘を刺したうえで、ではあるのだが。
「分かった。けど、今日は本当にこれで最後だからね!」
「うん。ありがとう、姉さん」
腕を組んで怒ったように仁王立ちして見下ろしてくる百合に、蓮はにっこりと笑ってみせる。そして今度こそ手を伸ばすと、そっと金属製のボックスに触れたのだった。
「少しだけ、君の記憶を見せてくれる?」
その瞬間から、蓮の頭の中にはボックスの記憶が流れてくる。が、すぐに真っ暗闇に染まってしまった。どうやら日が暮れてからは誰もこの場所に訪れていなかったらしく、しばらくの間はただの黒を見つめるだけの時間になってしまうことになる。
とはいえ、何も悪いことばかりではない。すでにこの時点で鏡とゴミ箱、二つのモノの記憶を視ている蓮にとって、これ以上脳への負担が増えるのはあまり良いことではないことは自明の理。だが、映像とも言えないような時間は全て除外できるとなると、その分脳の疲労を溜めずにすむのだから、むしろありがたいくらいだった。
(今日の分のゴミ袋さえ分かれば、あとは中身の確認だけでいいし)
ひと袋とは限らないかもしれないが、それでもどのあたりにあるいくつの袋を確認すればいいのかが分かるだけでも、かなり時間の短縮になる。それは蓮や百合だけではなく、今も楽屋でリップを捜索している面々にとっても、大変助かることだろう。
ただ同時に、蓮は気付いていた。先ほどから徐々に、自分の頭の回転が遅くなっているのだという事実に。
(これは……帰りの車の中どころか、帰ったら即爆睡だな)
どこまで耐えられるかも定かではないところだが、しかし後悔もしていない。百合に迷惑をかけることは分かっていても、蓮はどうしても河口の元へ大切なリップを返してあげたかった。
どうにか見つかりますようにと願いながら、ほんの少しだけ明るくなりボックスの中のゴミ袋がおぼろげながらも見えるようになったことで、どうやら順調に時間を遡っているらしいということに安堵する蓮。能力を使用する限界を迎えてしまうと、その途端気絶するように眠ってしまうという自分の特性を知っているだけに、ギリギリの現状で映像が見えるようになったことは安心材料でしかなかった。
しかし、それはただ夜から昼間に時間が移行したというだけのことで、特に映像自体に変化はない。ちなみに人も車も通っていないので、逆再生でありながらこの間ずっと無音でもあった。
長いことその状態を見続け、ようやくそれに動きがあったのは、かなりの時間が経ってからのこと。金属のボックスの蓋が開き、ボックスの中から三つの袋が外へと出て行ったのだ。
(これだ!!)
わずかに変化していた光の影からしても、見ていた映像の長さからしても、この瞬間が今日の分のゴミ袋が捨てられた場面で間違いないと確信する蓮。だが、念のためもう少し時間を遡り、これ以上は確実に何も捨てられていないことを再び暗くなり始めたボックスの記憶で確認したのち、その手をゆっくりと離したのだった。
「なるほど、ね。ありがとう、助かったよ」
笑みを浮かべながら蓮が前髪をかき上げると、金属製のボックスが鈍く光を反射する。
今度こそ間違いない収穫に、ようやく心からの安堵を覚える蓮。だが、同時にそこが限界でもあったようで。
「あ……」
もはや体が強制的に睡眠を取ろうとしているのか、足にも腕にも力が入らなくなり、その場にへたり込みボックスに体を預ける形になってしまった。
「ちょっ! 蓮! 大丈夫!?」
焦ったような声と共に駆け寄ってきた百合の声が聞こえて、蓮はそちらへと視線を向けて力なく笑う。
「ちょっと、限界、かも……」
ようやく絞り出した声も、あまりにもか細く聞き取りづらい。
「だから無理しないでって言ったでしょうが!」
怒るような悲しむような百合の声だけは耳に届いているが、もはや目を開けていることすらできなくなっているせいで、蓮がその表情をうかがい知ることはできなかった。
しかし、ここで倒れてしまうわけにはいかないと最後の力を振り絞り、百合に向けてこう告げる。
「姉さん、ちょっと、耳かして」
「何!?」
蓮の意図を汲み取ってなのか、それともあまりに小さすぎる声量に聞き取れなかったからなのか、急いでその口元に耳を近付けた百合だったが、その行動が功を奏した。
「左の、一番、手前。上の、三つの袋が、今日の分だったよ」
「左一番手前の、上三つね! 分かった! あとは私が探しておくから、あんたは安心して寝てなさい! あとで車もここまで回してあげるから!」
「うん……。ありがと、姉さん」
それだけを言い残して、安心した蓮はこれ以上睡魔に抗うことなく、暗い眠りの中に落ちていったのだった。




