Vol.40:ノー・ボーイ,ノー・クライ
-コロンシリーズ再び(21)-
シドはジェイクの姿を見て絶望した。和田は意識を失い倒れている。あとは彼女にコロンシリーズを渡すだけだったのだ。今この場にいるのは彼女を除いて彼とジェイクのふたりだけ。十五階建ての立体駐車場の屋上。地上に飛び降りる事はまず不可能。窮鼠。将棋で例えるなら「詰み」だ。今度こそ本当に万策尽きてしまった。
「あ……あ……」
彼はたじろぐ事しか出来なかった。
「どうやらここが当たりだった様だな。手がかりが少ないから探すのに苦労したぜ……本はお前が持ってるんだろ? ボーイ」
「なっ……う……も、持ってません……!」
「おいおい惚けるなよ。さっきはっきり言ってただろう? 『本は無事だ』ってなあ」
「……っ!」
先ほどの無言のミミミとの通話の内容だ。まさか彼に聞かれていたのか……。
「あ、えーと、それはその……さ、さっきは持ってたんですけど、な、無くしちゃって……」
言いながらバレバレの嘘である事をわかっていた。追い詰められてかなり動転している。
「ボーイ……大丈夫だ。この間言っただろう? 俺達の最優先は本だ。何も好きで暴れてる訳じゃねえ。お前が大人しく本を渡してくれれば俺はお前に何もするつもりは無い」
「……!」
「さあ、本を渡すんだ」
ジェイクは手を差し伸べてゆっくりと近付いてくる。シドの心臓はハンマーで叩かれている様に激しく鳴っていた。冷や汗が止まらない。コトトネでダンになりすました時とは比べ物にならない。
「あ……あ……」
恐怖で言葉にならない声を漏らしている内に、あっという間にジェイクは目の前まで来ていた。
「……本を寄越せ」
「……あ……っ! うっ……!」
この時シドは強く葛藤していた。皆が苦労して手に入れたコロンシリーズを、ここですんなりと彼に渡す訳にはいかない。だがもし言う事を聞かなければ必ずただでは済まない。それはつまり肉体的な苦痛を味わうという事だ。それは怖い。嫌だ。
いや、ちょっと待て。そもそもどうして自分が必死にコロンシリーズを守らなければならないのだ。自分はただ巻き込まれて連れて来られた立場だ。ブックハンターではないし、自分がこの依頼を受けた訳でもない。だったらそこまでする必要は元から無いのだ。たとえこの中にとてつもない事が書かれているとしても、それを世間から隠す義務も義理も無い。それにその事が暴かれた所で自分には大した影響が無いかもしれない。
だったらさっさとコロンシリーズを彼に渡してしまえばいい。自分は一般人なのだ。どう見ても勝ち目は無い。きっと仲間もわかってくれる。
「……!」
い、いや、何て事を考えているんだ僕は。裏切るのか? いや、だから裏切るも何も最初から……情けない男だ。ああそうだよ僕は情けない童貞だ……。
「…………っ!」
だ、だけど、ここで言いなりになったらだ、駄目だろ……! 漢ってのはそんなんじゃない……! ぼ、僕だってやる時はやるんだ……!
「ボーイ?」
「…………………………っ!」
や、やってやる……! やってやるぞ……!
「………………はい……」
抵抗する事を考えていたが、結局彼は冷静になり震える手でコロンシリーズを差し出した。勇敢にはなれなかった。
「よし、いい子だ」
ミミミ、風見さん、ゴリ子さん、すいません。無理っす。やっぱり僕には無理っす。だって怖いっすもん。ここで殴りかかったとしてもどうせ返り討ちに遭うのが目に見えてますもん。僕はブックハンターじゃないんで、そこまで命懸けにはなれないんす。すいません、すいません……。
「……あのガールもこうやって大人しく渡そうとすれば死ぬ事は無かったものを」
「…………え……?」
ジェイクの言葉を聞いて彼は腕をぴたりと止めた。
「な……何を言ってるんですか……」
「あの生意気なガールだよ。ぼろっちい校舎の下敷きになっちまった。まあ壊したのは俺なんだが」
「………………う、嘘ですよね…………」
シドの心臓は依然として強く鼓動を打っている。だがそれを引き起こす感情は先ほどまでとは違う。
「おいおい、どうして俺が嘘をつく必要がある」
「…………ミ…………ミミミが…………死んだ…………?」
脳裏に彼女の顔が浮かんでくる。あの憎たらしくって生意気で、気まぐれで、暴力的で、何を考えているのかわからない、金にがめつい、人を童貞呼ばわりしてくる(実際そうだが)騒がしい女が……いっつも僕をハントに巻き込んできやがるはた迷惑な同級生が……。
死んだ?
「どうしたボーイ、腕が止まってるぞ」
「………………………………あ、あのー…………」
シドの声は掠れていた。
「…………や、やっぱ……こ、この本、わ、渡したく、なくなっちゃったんすけど…………」
「………………あ?」
ジェイクがぴくりと眉を顰める。
「……………………だ…………だから……わ、渡したく、ないって言ってるんだよ……!」
な、何を言っているんだ僕は……やめろ……やめろ……!
しかし、喉の奥……心の底から湧き出てくる言葉を彼自身止める事は出来なかった。
「お前なんかに渡さねえよこの怪人死の吐息!!!!」
「……………………ボーイ……!」
ああ、言っちまった。もう後には引けない。
「殺さねえ様には気を付けるからよ……!」
「ま、まだ僕の異能力を見せてなかったよなあっ!」
「!? 何!?」
シドの予想外の台詞にジェイクは素早く後退し身構えた。彼はシドの事を異能力を使えない一般人だと思っていたのだ。
「……」
「……!」
ふたりの間に緊張が走る。ジェイクはシドの様子を注意深く観察していた。
しかし、程なくして何も起こらない事に彼は気が付く。当然だ。シドは異能力などもちろん使えないのだから。さっきの言葉はただのハッタリである。
「は……ははは……」
「ボーイ……お前……」
「う、嘘でーす……ぷふっ! ははははははっ!! 引っかかっちゃいました?」
「…………」
ジェイクの瞳に静かな怒りが湧いているのがシドには見える。
「はは、はははは……………………っ!」
わざとらしい笑いをやめてぎりりと歯を食いしばると、彼は覚悟を決めてジェイクに向かっていった。けんかなんてやった事など無いが、果たして上手く殴る事が出来るだろうか。いいや、今更そんな心配をしている状況ではない。ええい、もうなる様になれ。ミミミの弔い合戦だ。
悔しかったのだ、きっと。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「……飾皮」
能力を展開したジェイクに拳を振るう。これが僕の全力だ!
ぐきっ。明らかに危ない音がした。
「……う……うあいてええええええええっ! いてえっ! いてえっ! いてえええええええええっ!」
「……お前、バカか?」
悲鳴を上げている所をジェイクに逆に殴り飛ばされる。耐え難いほどの激痛。たった今彼の硬い皮膚を殴った拳の痛みなど一瞬で上書きされてしまった。
「うごおっ! おえっ! ごほごほっ!」
たった一度殴られただけでこんなにも痛いとは。ミミミはこんな思いをしていたというのか。そうだ。今くらいはあいつの痛みをわかってやろうじゃないか。
「コロンシリーズを渡せ。最後の通告だ」
「嫌だああああああああっ!」
シドは気合いで立ち上がり、またしても何の考えも持たないままジェイクに挑んでいく。気付けば目には涙が浮かんでいた。痛みのせいなのか、それとも。
「あいつが死んで……! なのにここで大人しくあんたに渡したら! こ、今度こそ僕は! 自分を……許せない!」
そうなればきっとこれから先、一生苦しんでいく事になる。だったら今ここで痛みを味わった方がまだマシだ。
しかし、少年の叫びは虚しくジェイクのカヴァーの前に打ちのめされるだけだった。泣きながらへなへなと殴りかかるシドを彼はハエを叩き落とす様に躊躇わずに一瞬で弾き返す。
「ぐううっ……! くそおおおおおおおおおおおおっ! こういう時って何かすげえ異能力に覚醒したりするじゃんかよおおおおおっ! 何でだよおおおおおおっ!! 何で僕にはそんなんが無いんだよおおおおおっ!!」
「しょせんお前が持っているのはその程度の遺伝子だからだよ、ボーイ」
うずくまっているシドの左腕を掴みそのまま彼を持ち上げると、ジェイクはきりきりと彼の腕を握り締めていく。捻じれ、千切れる様な錯覚をシドは覚えた。
「あああああああうあああああああああああああっ!」
どれだけ悲鳴を上げてもジェイクは力を緩めない。そうしている間にシドのズボンのポケットから「RENJIRO」の下巻を取ると、用済みとなった彼を駐車場へと投げ捨てた。
「よかったな、俺にまだ理性が残っていて。折っちゃいねえ」
「……あ……」
シドの頭の中は痛みのせいでだんだんと真っ白になってきた。思考が働かなくなりつつある。だがそんな状態でも彼はゆらりと立ち上がり、生気の抜けた目でふらふらと尚もジェイクの元へと歩いていく。走る事などもう出来なかった。
「か……返せ……」
ぺちん。赤ん坊が親の肌に触れる様な、そんな弱々しい一振りが今の彼の全力だった。拳は最早握れていない。本は渡さないという強い意志だけが抜け殻になりつつある彼の体と意識とを引き止めていた。
「……ふー」
そんな彼を見てジェイクは深く息を吐く。
「……ボーイ、お前のそのガッツは認めよう。だからこれから俺はお前を死なない程度に痛め付けてやる。キッズは寝る時間だ。おやすみ」
鉄の拳が振り落とされた。
しばらくの後、シドは立体駐車場の屋上に仰向けで倒れていた。意識は辛うじてまだある。だが同じく痛みもある。体はちっとも動かないが耳は聞こえるし、目も見える。しかし視界がぼうっと歪んでいる。滲んでいる。眼鏡。そういえば眼鏡が無い。殴られたり、蹴られたり、打ち付けられたりする中で外れて、どこかへ飛んでいってしまった。どうりでよく見えない訳だ。
全身が酷く痛む。いっそ死んでしまった方が楽なんじゃないかと思えるくらいだ。いや、もしかしたら自分はもうすぐ死んでしまうのかもしれない。
ミミミの顔が再び浮かぶ。つくづく腐れ縁だよ、まったく。
なんて事を考えていたら足音が近付いてきて彼のすぐそばで止まった。誰かが来た。誰だ。ジェイクか。
しかしジェイクは先ほどから誰かと通話をしている様だった。おそらく歴史書解放戦線の人間と連絡を取っている。二冊のコロンシリーズを手に入れたからその報告をしているのだろう。
じゃあ、今の足音は誰だ?
足音の主は一旦彼の元を離れたが、少ししてから戻ってきた。目の前のすぐそこにいる。誰だ?
次の瞬間、彼の見ている世界はふっと鮮やかになった。眼鏡だ。そこにいる誰かが落ちていた眼鏡を見付けて拾ってかけてくれたのだ。そして真っ先に目に飛び込んできたのは、見覚えのあるカラフルな縞模様。彼は一目でそれが女性の下着だという事がわかった。「誰か」は彼の顔のすぐ横に股を開いてしゃがみ込んでいる。
「……………………っ! ……あ……ああ……っ!」
「誰か」が誰なのかに気付き、思わず声が出る。泣き声の様なか細い声。さっきまでほとんど無くなっていた体中の感覚が途端に戻ってきた。生きている事を実感していた。
「…………………………………………ばーか」
彼がその顔をはっきりと見る前に彼女は立ち上がった。この声は、耳が腐るほど聞いた声だ。
ミミミが、そこにいた。




