Vol.39:トーキョー・エスケイプ(5)
-コロンシリーズ再び(20)-
新宿中央公園。アプリコットとエルシィは何度かの応酬を終えた後互いに距離を置き睨み合っていた。次はどちらから動くか探り合っている。ふたりの戦いは一見すると拮抗している様だが、アプリコットは自分が僅かに押されている事に気付いていた。エルシィのハリセンから放たれる空気による「心動」がじわりじわりと彼女の肉体に負荷をかけてくる。長期戦に持ち込んではまずい。動きが鈍くなる前に畳みかけ、エルシィを倒さなければならない。
エルシィが先に動いた。こちらに向かいながらハリセンを一振り二振りと振るう。
「うらうらうらあっ!」
その度にびりびりとした「心動」がアプリコットを襲う。見えない攻撃の軌道を予測して致命傷を避けつつ、彼女は左手に持っていた傘を投擲した。
「1本は捨てるんスかあ!?」
「元々二刀流には不慣れでな!」
エルシィはぐるりと身を捻らせ貫きにくる傘をすれすれでかわした。敵ながらあっぱれ、見事な身のこなしだ。舞でも舞っているかの様だ。
「だらっしゃあああいっ!」
懐まで入ってきた所で空気をも唸らせる激しい横薙ぎの一振りが襲ってくる。アプリコットはそれを垂直に受け止めるが、勢いを殺せずに傘は弧を描き手首を捻ってしまう。電流が流れた様なずきりとした痛みが生じた。
「ぐうっ! 重いっ!」
「そんな細い傘でっ!」
エルシィはすぐにハリセンを振り戻す。
「頂きっス!」
二撃目が放たれる……かに思われたが、その寸前で彼女の腕ががくんと止まる。アプリコットが弾かれた勢いを利用して傘を持ち替え、上に来た鉤状の柄の部分を素早く左手で受け取り彼女の腕に引っかけたのである。
「こういう使い方もあるんだよ!」
「っ! なるほどっ……! ラブリーな鎌っスね……ゴシックな死神さんっ!」
とっさにエルシィはハリセンを手離し落下させすぐにまた左手でそれを掴んだ。そして右腕で傘を止めたままぐるりと体を回し背後から飛んできていたもう一本の傘を叩き落とす。先ほど投げたもう一本だ。密かに操り不意打ちを狙っていたのだが、見抜かれていた。
「ちっ……!」
アプリコットは傘を引きエルシィの拘束を解く。
「そうするしかないっスよねえ!」
くるりと再び身を翻すと、エルシィは間髪を入れずにハリセンを下から振り上げてくる。攻撃は顎に直撃し、アプリコットは上空を向かされた。
「ぐっ……ぬううっ!」
激痛に耐えながら必死に前を向いた時、エルシィの姿は無くなっていた。
いや、彼女の肩にかけた手を支点として回転し脚を上げ、彼女の体を乗り越えていたのだ。曲芸師の様にアクロバティックな動き。
「次は背中っ!」
宣言通りに後ろに回り込まれながら背中を叩かれた。まずい、反応が追い付かない。
「だから無駄だと言ってるっスよ!」
隙を突いて左方からもう一度飛ばしていたもう一本の傘が今度はエルシィの手首のスナップにより瞬間的に開かれたハリセンによって防がれた。傘は石突が欠け、地面に落ちた。またしても不意打ちは失敗に終わった。
「……っ!」
「……勝負ありっスね」
ここぞとばかりにエルシィは次々とハリセンを振り下ろしてくる。くるくると体を捻らせ、回し、ステップを踏む様に。舞う様に、踊る様に叩く。これが彼女の戦いのスタイルなのだろう。腕の力だけではなく、全身の回転運動によって生じる攻撃は一撃一撃が重い。
くそっ、悔しいがこいつ、強い! アプリコットは防戦一方になっていた。といってもほとんど防げていない。おかげえ先ほどから頭ががんがんと痛い。精神を相当摩耗しているのが自覚出来る。こちらが倒れるのも時間の問題だ。
「うらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらうらあっ! そんな傘へし折ってやるっスよ! 攻めはしなやかに! 守りは硬く! 柔と剛の一体化! それがウチのハリセン!」
手も足も出ないとはまさにこの事だ。何とかして彼女の手からハリセンを落としたい。手首を狙えれば何とかなるかもしれないが、そう簡単には出来そうにない。何か……何か無いのか、こいつを倒す方法は……!
「……!」
アプリコットは先ほどのエルシィの言葉を反芻していた。
「動きがたどたどしくなってきたっスよお! 諦めて気絶するっス!」
「くっ!」
ハリセン攻撃に押され続けていた彼女は足を滑らせ倒れ込んでしまった。
「あ~あ、言わんこっちゃない! これで勝負ありっ!!」
とどめの一撃を与えるべくエルシィは大きくハリセンを振り上げた。
「……っ!」
この時、恐ろしいほど集中していたアプリコットにはエルシィの動きがスローモーションに見えた。彼女の腕の動き、手首の動き、そしてハリセンの動きをしっかりと見定める。まだだ、まだ早い、もう少し、あとちょっと……。
…………今だっ!
「これを待ってたんだよ―――ッ!!」
ハリセンが最も開いたほんの一瞬に賭けた一突き―――。彼女の傘は一閃の稲妻の如くエルシィのハリセンを貫いた。
「!? なっ!!」
「……お前の言葉の通り、ハリセンは振り下ろし始める瞬間……つまり一番開いた瞬間がすなわち一番柔らかい状態になる……こけたのはわざとだ。不自然に見えなかっただろう? 実際お前に追い詰められて足取りが覚束なかったのは本当だからな……私が地面に倒れればお前は必ず上から叩いてくる……方向さえわかればあとはその軌道を見極めさえすればいい」
「くっ……!」
エルシィはハリセンを傘から引き抜こうとするが、傘は全く滑らない。アプリコットによって心を操作されているせいだ。
「無駄だよ。これでお前のハリセンは封じた」
「……っ! ……その言葉、そっくりそのまま返すっスよ。あんたも傘を使えない」
「ああそうだな。私も傘を封じられた。じゃあどうするか?」
エルシィが油断している間にアプリコットはハリセンを刺したままの傘を投げ捨てた。
「くっ!」
「これでお互い得物が無くなったんだ。だったら使うのはひとつしか無いだろう」
彼女は立ち上がって拳の骨を鳴らすとぺっと地面に唾を吐く。倒れた時に砂利が口の中に入っていた。
「まったくもって野蛮以外の何物でもないがな。こんなのは淑女のやる事じゃない。だけどこれも仕事だ。しょうがない。覚悟はいいか? こっちはいつでも出来てるよ」
「……っ! ウ、ウチはそーゆーのは……!」
「そうか、残念だ!」
狼狽えるエルシィを無視してアプリコットは彼女の腹部に正面からパンチを打ち込んだ。怯んでいる間にすかさず今度は顔面を狙う。彼女は鼻血を出しながらその場に膝から崩れ落ちるのだった。
「……悪いね、女だから顔は殴らないとか、そんな主義は私には無いんだ……私も女だからね」
気絶してしまったエルシィを抱え、傘とハリセンを回収するとアプリコットは近くの木の根元に座り込んだ。
「さっさと四谷に向かいたい所だが、すなまい、ちょっと疲れた。少しだけ休ませてくれ……」
一方、四谷。ユウコの指示通りシドはとある立体駐車場の屋上へと来ていた。ここは暦史書管理機構と関係のある団体が表向きの名義で管理している場所で、こういった時の取り引き場所のひとつとして使われているそうだ。おそらく同じ様な場所が都内にはいくつもあるのだろう。アプリコットと別れた後新宿駅に向かいすぐに電車に乗った彼は誰の妨害も受けずにほんの十五分程度でこの場所に来る事が出来た。以降、仲間達、あるいは機構のエージェントの到着をひとりきりで怯えながら待っていたのだが、つい五分前にエージェントの和田という女性から連絡が入り、もうすぐこの場所に着くという事だったので今は彼女を心待ちにしているのだった。
ひとつ気になるのがミミミだ。到着後すぐに三人に電話をかけたのだが、他のふたりは繋がらずに彼女だけが繋がった。しかし彼女は終始無言で通話はすぐに切れてしまったのだ。もしかしたらポケットの中で衣服が擦れて勝手に通話をしてしまったのだろうか。スマートフォンだとたまにそういう話を聞く。
「シドさん……ですか?」
知らない女性から名前を呼ばれたのは更に五分経った頃だった。振り返ると二十代と見られるスーツ姿の黒髪の女性が柔和な笑みを浮かべていた。
「先ほど連絡した暦史書管理機構諜報部の和田です」
「! よ、よかった……!」
その名を聞いた途端ほっとした彼は思わず胸を撫で下ろした。ひとまず彼の仕事はここで終わったのである。コロンシリーズの一冊は無事に渡す事が出来る。
「ごめんなさいね、戦線の諜報員と思しき人間から尾行を受けてて、撒くのに時間がかかっちゃった」
「そ、そうだったんですね……いやーめっちゃ怖かったっす……」
「ふふっ、もう大丈夫よ、安心し……」
言葉の途中で動きがぴたりと止まり、表情を強張らせたまま和田は倒れた。
「!! わ、和田さん!?」
そして彼女の後ろにいつの間にか立っていた人物を見て、シドは絶句するのだった。
「ヘイ、ボーイ……!」
ブックハンタージェイクが鬼の様な形相でこちらを睨み付けていた。
ゴリ子、かっけえなあ……。




