Vol.37:トーキョー・エスケイプ(3)
-コロンシリーズ再び(18)-
シド達と別れたミミミはジェイクから逃げつつひとり四谷を目指していた……が、信号待ちを避けたい都合でルートを選べず思った様に逃げられないでいた。ぐるぐると辺りを回って何度か同じ道を通ったり、下手したら四谷とは正反対の方向へ向かっていたりもした。ジェイクはまだ見える距離にいる。女子高生と成人男性。運動能力や体力には当然差がある。振り切りたいのになかなか振り切れない。
「しつこいなーもー!」
彼女がとある横断歩道を渡り終えた所でちょうど信号が赤に変わった。
「! ラッキー!」
これでジェイクは足止めをくらうはずだ。この内にさっさと自分も新宿駅に向かおう。悔しがる顔でも見てやろうかと後ろを振り返ったが、結果的に彼女は口をあんぐりと開ける羽目になる。ジェイクが異能力を使用し赤信号を無視して道路を渡り始めたからである。交差点に入ってくる車は急ブレーキをかけていた。
「……何やってんだよドライバー! そのまま轢いちゃえよ!」
文句を言いつつ彼女は緩めた足の動きを再び早めざるを得なかった。角を何度も曲がったりして出来るだけ追い付かれない様に工夫を凝らすが、やはり女と男、子供と大人。差は徐々に狭まりつつあった。そうして大通りからはどんどん離れていき、静かな路地に入っていく。
「げ!」
とある角を曲がった所で顔を引きつらせた。目の前には長い一本道。脇道が全く無いのである。引き返すほどの余裕は無い。
「まずいなこれ……!」
この一本道で捕まる可能性が高い。どこか、どこか抜け道は無いものかときょろきょろ見回すが見付からない。まだ三分の一ほどしか進んでいない所でジェイクも角を曲がり現れ最後のスパートをかけてきた。
「ちょこまかと走り回ってたがもう鬼ごっこは終わりだなガール!」
「ひええ文字通り鬼が来るー! ……誰が上手い事言えと!」
セルフツッコミをしている場合ではない。この時右前方に学校の門が見えた。こうなったらここに逃げ込むしか無いとそれをよじ登り、敷地内に入る。とにかく逃げ続けなければならない。校門はひとつではないはずだ。別の校門から脱出を図ろう。
校舎の陰に隠れてやり過ごしたかったがその前にジェイクも校門を飛び越えてきた。隠れる所を見られては意味が無い。息を切らしたままミミミは敷地の奥へ奥へと進んでいった。
「はあ……はあ……!」
裏にももちろん通りがある。という事はそちら側にも校門があるはずだ。
「……っくしょー……! しっかしここを出た所で四谷まではきっついぞ……!」
だがやらなければいけない。これは仕事で、彼女はプロだからだ。
校内の奥にはショベルカーが停められていた。工事中なのだろうか。やがて一番奥の方まで来てみると他とは一線を画した建物が異様な存在感を放って佇んでいた。木造で見るからに古臭い。かなり昔からこの地に建っているのがわかる。
彼女はとあるニュースをふと思い出した。そういえば、新宿の閉鎖されたとある中学校の解体工事がようやく始まった、という話題をつい最近テレビで見た記憶がある。確か校舎の老朽化に伴い三年前に移転して、それから長らく放置されていたとか言っていた。
その理由が今目の前に建つこの旧校舎である。第二次世界大戦の戦火を免れた木造建築の遺物。戦後しばらくは新しい校舎と共に使われていたらしいが生徒数が減りやがて使用されなくなり、特に整備もなされないまま放置されていたそうだ。今回の移転に際し歴史的観点から見てこの旧校舎は保存しようという声が挙がり議会で検討されていたが、まず保存の維持が可能な状態に整備するまでに相当な予算が必要となるとの事でつい先日その案が却下されたため、ようやく今になって取り壊しにかかったのである。
そんな話題を思い出しているとその先にもうひとつの門を見付けた。先ほど乗り越えてきた物とは違ってこちらは背の高い西洋風の扉だ。よかった、ひとまずこれで裏の通りに出られる。
いや、出られない。
「……マジか……!」
扉は南京錠によってがっちりと施錠されていた。この門も相当年季を感じる。おそらく旧校舎と同年代の物だ。古くてとっくに使われていなかったのだろう。
「うおー! 出して! ボクをここから出してくれー!」
がちゃがちゃと格子に手をかけて引っ張るが門はびくともしなかった。
「……って、だからこんな事やってる場合じゃないんだって……!」
追い詰められたミミミは旧校舎を見上げてごくりと唾を飲み込んだ。ジェイクはまだ見えない。今の内にここに隠れるしか無い。
開きっぱなしになっている教室の窓から恐る恐る中に足を踏み入れ、二階で様子を見る事にした。ゆっくりと階段を上っていくが一段一段踏む度に板が軋む。抜けるなよ、と祈りながら二階に着き、身を屈めて廊下の窓から外の様子を覗いた。
ちょうどミミミを捜すジェイクの姿が見える。彼は行き止まりである事に気が付いた様だ。
「……頼むから、そのまま戻れ……」
呟いて願うが、彼は顔を上げてこちらを睨んだ。彼女はさっと身を隠す。バ、バレた?
「ちっ、気付くなよ……!」
すぐに目の前の教室に移動してじっと物音を立てずに待機する。少しして、一階の方から音が聞こえてきた。ジェイクが入ってきたのだろう。
彼は一階を歩き回っていたが、やがてその足音はミミミのいる二階へと近付いてきた。この旧校舎は階段がひとつしか無い。つまり彼の目を盗んでこれ以上逃げるのは不可能だ。最早衝突は避けられない。
「……やってやろうじゃないの……!」
扉に張り付き彼がやって来るのを待ち伏せる。足音はどんどん大きくなり、ミミミのすぐ背後で止まった。扉を挟んですぐ真後ろにジェイクが立っている。さあ、入ってこい。不意打ちをくらわせてやる……!
しかし、不意打ちをくらったのはミミミの方だった。一瞬で背後の扉に穴が開いたのだ。
「!」
彼女はそれをギリギリで避けた。彼女がジェイクを待ち伏せていた場所には今は硬質化された太い腕が扉を破り突き出ている。
「……ごくり……! 何でボクがここにいるってわかったのかな……!」
「……勘って奴だな……ガール!」
鬼の姿になったジェイクが扉を破壊して室内に飛び込んでくる。角に追いやられていたミミミに襲いかかってくるが彼女は素早く腰を落としわざと尻餅をついた。風圧で前髪がふわりと踊る。ジェイクの拳は壁を穿ち、ずしんと校舎が揺れた。
「ぬあああああっ!」
すぐに跳ねて立ち上がるとミミミはバットを構えて体当たりをした。だがジェイクは少しも動じない。
「無駄だっつってんだろ!」
彼はミミミの細い腕を力強く掴み、ぐるりと身を捻って彼女を後方に投げ飛ばした。彼女の体は壁を突き破り隣の教室の床に放り出される。
「ぐっはっ! あっ! げふっ! シャ、シャレにならないんじゃないのこれ……!」
「女だから顔はやめといてやる」
「!」
怯んでいる隙に今度は腹部にずしんと重たい衝撃が加わる。内臓が潰された様な激痛がミミミを襲った。
「ぐうううああああああああああっ!!」
しかしまだ終わらない。ジェイクは彼女の服の襟元を掴みその体を持ち上げ、掲げたまま走り出し更に壁に打ち付けた。その衝撃で校舎がまた揺れた。
「徹底的に叩き潰す。二度と生意気な口を利けない様にな」
そう言い放ち、彼は鞭を振るう動きでミミミの体を床に叩き付けた。
「あっ……! うぅっ……! うっぷっ……!」
彼女の視界はぐるぐると目まぐるしく動いていた。胃の中の物が逆流してくる。
「かっはっ……! おぇ……っ!」
全身に激痛。そして目眩と吐き気。苦しくて身動きが取れない中彼女は再び持ち上げられ、壁に打ち捨てられる。揺れているのは校舎か、それとも自分の視界か、もしくはそのどちらもか。
戦いと呼ぶにはあまりにも一方的だった。全身を痛め付けられた末に、浮遊感に似た感覚を彼女は覚える。
「……お前が持ってやがったか……」
ぼんやりとした視界に映るのは小さな四角い黒い物。彼女が持って逃げていた「RENJIRO」の上巻だ。
「もう1冊はどいつが持ってやがる」
「……」
さあね。そう言おうとしたがまともに声が出せない。
「……ちっ」
舌打ちをし、ジェイクはまた痛め付ける様にミミミを床に投げ捨てた。ミミミの頭の中に何か大きな音が響いたがあまり痛みは無かった。
意識はかろうじてまだあるが、体がぴくりとも動かない。
その時、床に小刻みに振動が走る。察するに彼女の携帯だ。振り回される間にポケットから落ちていたのだろう。
ジェイクはそれに気が付き、何やら勝手に画面を操作した。
〈お、ミミミ、そっちはどんな感じだ?〉
聞き慣れた声が携帯から発せられる。ジェイクがスピーカーモードで通話を開始したのだ。
〈こっちは何とか四谷に着いたぞ。本も無事だ。ユウコさんのメールにあった立駐の屋上で待機してる〉
ジェイクは彼の話を無言で聞いていた。
「……………………ば……………………か……………………」
やっとの思いで振り絞って出せたのがこんな台詞とは。だが、そんな掠れた声はシドの耳には届かない。
〈……………………? おいミミミ? どうした?〉
そこでジェイクは通話を切った。
「……ヨツヤ……リッチュウ……」
そう呟くとおもむろに廊下に向かって歩き出す。
「もう1冊はそこにある……感謝するぜガール、本当にな」
「……」
彼の声がミミミには聞こえなくなっていった。
およそ二分後、旧校舎は轟音を立てて崩れていった。




