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第8話 あの日の任務

【前回までのあらすじ】マレーヤでラザクの命と引き換えに託されたデータキューブ解析のため日本へ帰国する紅梅は、機内で自身の過去を振り返る。国家情報局へ入局した経緯、そして過去の任務のことを…

五十嵐が最初に赴任を命じられたのは、西ヨーロッパの穏やかな国だった。日本に対して露骨な敵対心を持つ勢力が少ないこの地域は、新米諜報員が実戦感覚を掴むための最初の赴任先として選ばれることが多い。


表向きは日本国外務省の三等書記官。実際に割り振られる正規の外交公務も完璧にこなしてみせるが、それはあくまで表の顔に過ぎない。


彼の真の任務は、その華やかな身分の裏で、赴任国の国家機密を合法・非合法問わず盗み出すことだった。


映画のような派手な銃撃戦やカーチェイスなど、現実のスパイの世界には存在しない。諜報員の仕事の本質は、気が遠くなるほど地味で緻密な「人間関係の構築」である。


大使館や有力企業、各種団体が主催するレセプションやパーティーに溶け込み、人脈を広げていく。


その膨大な接触者の中から、思想の偏り、過剰なプライド、金銭の欲、あるいは誰にも言えない弱み。そうした精神の「隙」を持つ人間を見定め、こちら側に引き込む。


こうして獲得した協力者は「アセット(資産)」と呼ばれる。スパイはアセットを巧みに操り、自身は決して手を汚さない。


そうして目的の情報を手に入れることが、五十嵐の最初の任務だった。


二度目の赴任地は、古くから多くの日系企業が進出している南米の大国だった。ここでの五十嵐の偽装身分は、日本の大手エネルギー企業の現地調達担当だ。


この企業は国家情報局が資金を拠出し運営している純然たる「ダミー企業」だったが、ハリボテではない。


実際のビジネスを行い、顧客、契約、取引先、上司から同僚に至るまで、すべてが本物の会社として機能していた。当然、現地の一般社員や上司は五十嵐の正体を知らない。


ある時、極秘の諜報任務を遂行するために五十嵐は無断で数日間の出張へ出た。現場の上司はそれを単なる無断欠勤と判断し激怒した。


一日か二日経てば自然と治まるだろうと高を括っていたが、事態は思いのほか大ごとになり、管理部門で深刻な懲戒解雇の議題にまで発展してしまった。


だがその直後、同社の最高幹部である役員の一人が即座に介入し、鶴の一声で「お咎めなし」の処置を下した。


当然、社内には不自然な空気が流れた。「あの若造は本社の役員の強力なコネ入社で、どんな不祥事も優遇される特権階級だ」という噂が瞬く間に広まった。


だが、この「無能なコネ社員」という不名誉なレッテルこそ、諜報員にとってはこれ以上ない最高の隠れ蓑となった。


周囲が勝手に侮ってくれることで、彼の裏の行動の自由度は飛躍的に向上したのである。


三度目の配属先となったのが、アジアの広大な密林を抱える小国だった。


伝統的な親日国として知られる長閑(のどか)な国だったが、その裏では一触即発の地政学的リスクが潜んでいた。


隣接する大国の大手国有企業が、国境沿いの広大な未開拓地へ、軍事転用可能な大規模特殊施設の建設を極秘裏に開始したという情報がもたらされた。


小国政府から秘密裏に支援を求められた日本政府、すなわち国家情報局は、直ちに現地の情報収集を決定。


過去2回の諜報任務で成果を上げた五十嵐が抜擢された。しかしそれは、これまでとは比較にならないほど危険な任務だった。


作戦の概要はこうだ。小国政府は問題の国境エリア周辺に巨大ダムを建設するプロジェクトを発足、ODAの一環として、日本の大手建設会社がその技術指導のため現地入りする。


五十嵐は建設会社のエンジニアリング担当者を装い、現地の密林奥地へと潜入。


現地で施設の内部事情を知る有力な「アセット(内通者)」を開拓し、大国が建設している施設の設計データや軍事的意図を入手することが任務だった。


小国政府の公式バックアップのもと、日本の一流ゼネコンが支援する「ダム開発プロジェクト」が華々しくメディアで発表され、五十嵐は鳴物入りで現地へ入った。


表のビジネスマンとしての立ち回りは完璧だった。順調に大国側の内部人間に接触し、信頼関係も抜かりなく構築した。すべては計画通りに進むはずだった。


作戦の最終段階、信頼していたアセットから「データの入手に成功した。指定の場所で受け取ってくれ」という連絡が入るまでは…


土砂降りの雨が叩きつける密林の夜。データを受け取るために指定された場所へと足を踏み入れた矢先、最悪のトラブルが起きた。


それは、今なお五十嵐潤、もとい紅梅元という男の魂を縛り続ける、思い返すだけでも身の毛がよだつ、凄惨な地獄の始まりだった。

【あとがき】紅梅元の過去の任務が明らかになりましたが、その中でも、彼の人生を大きく左右する任務がこの後、語られます。次回もご期待ください。


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★本作品はフィクションです。物語に登場する人物、団体、組織、地名、イベント、ならびに一切の国家・政府機関・外交関係の描写はすべて架空のものであり、実在のいかなる対象とも関係ありません。また、作中で扱われるいかなる思想、主張、政治的立場、歴史的解釈についても、特定の立場を支持・肯定・非難する意図は一切ありません。

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