第36話 司会者
【前回までのあらすじ】マレーヤと日本が隠した情報が南シナ海に眠るヤマトマテリアルであることを確信した王は、一気にカタをつけるべく、ラジカ・スルワッタ社そのものを押さえに動く。
大中当局が発表したラジカ・スルワッタ社に対する強制捜査の名目は「大中の国家安全に脅威を与える国際テロ組織を支援している」という強弁だった。
ソフィア・リムが同社の社外取締役に名を連ねていたことも、王にとっては好都合だった。
昨夜のソフィア襲撃とラジカ・スルワッタ社が、あたかも裏で繋がっているかのような情報工作を仕掛け、それに飛びついたメディアがセンセーショナルに報じた。
本社ビルを取り囲むGISA。早朝に出社してきた社員たちはオフィスへの立ち入りを阻まれ、困惑した表情でテレビカメラのインタビューに応じている。
社内にいた社員たちも、GISAの捜査官によって次々とビルの外へ強制退去させられた。一部の人間を除いて……
ラジカ・スルワッタ社の地下に存在する巨大な倉庫。同社のインフラ整備事業に必要な小型ショベルカーや掘削機、電子測量機器などが整然と格納されている。
その一角、分厚い強化ガラスで区画されたエリアに、メインコンピューターとサーバーラックが鎮座していた。ラジカ・スルワッタ社の中枢システムである。
インフラ機材の保管庫と同じフロアに会社の中枢サーバーを置くという、極めて雑な設計だが、ITや通信企業ではない同社にとって、システムは社内の事務系データ処理を賄う程度の規模に過ぎない。
その「雑さ」こそが、ハッサが最高機密を隠蔽する上で最も盲点となる最良の選択肢となった。
そんな地下倉庫の冷え切ったコンクリートの床に、四人の男が両手首を結束バンドで縛られ、拘束されている。
会長のハッサ、副社長のアジズ、そして同社取締役の二名。 その周囲をGISAの武装した工作員が囲んでいた。
工作部隊を率いるのは、昨夜のレセプション会場でソフィアの警備主任を務めていた陸 崇明。
暗く重苦しい倉庫内に、規則正しい靴音が響き渡る。現れたのはグレーのマオ・スーツ(人民服)に身を包んだ王だった。
上質なシルク地には一筋のシワすらない。第一ボタンまで隙なく留められた首元。真鍮製のボタンが、蛍光灯の薄明かりを鈍く反射していた。微塵の隙もない、その佇まいは、軍服特有の威厳と最高位礼服の品格が完璧に同居している。
王は拘束された4人の顔を、値踏みするように一人ずつ凝視した。 だが、すぐに目元をしかめる。
「社長のザインはどうした?」
王の静かな問いに、隊長のルーが即座に答えた。
「まだ出社しておらず、別動班が確保に向かっています」
「チッ……」
王は隠すことなく露骨に舌打ちを鳴らした。 ルーをはじめ周囲の部下たちは、王の激怒を予想して背筋を凍らせた。
しかし王は、すぐにその不快感を鎮めると、四人へ視線を戻し、細めた目に笑みを浮かべた。
「みなさん、大変申し訳ない。このような不躾な扱いを、どうか許していただきたい」
心にもない戯言であることは自明だったが、王は自らの美学に従い、朗々と語り続ける。
「私の目的は極めてシンプルです。ハッサ会長、あなたが隠した『ある情報』を教えていただきたい。それさえ済めば、私はすぐにここから引き上げます。どうですか……素直にお教えいただけませんか?」
王の鋭利な視線がハッサの顔に突き刺さる。 ハッサも眼光を研ぎ澄ませて睨み返したが、数秒の沈黙の後、敗北感をにじませ自ら視線を落とした。
「……まあそうでしょうね。3人の側近に暗号コードと網膜スキャンの生体認証を分散してまで守ろうとした秘密だ。そう簡単に口を割るはずがない」
その言葉に、状況を飲み込めていない副社長のアジズが反応した。
「か、会長……!? それは私とザイン社長、そしてソフィアさんに託したという、あの『遺言の解除コード』のことですか!?」
「遺言……!? これは驚いた!」
王は腹の底から湧き上がる滑稽さを抑えきれず、高らかに笑い声を響かせた。
昔からそうだ。愚かな人間が本気で繰り広げる無知な言動ほど、蜜のように甘く面白いものはない。
もっとマシな嘘はつけなかったのか。そして「遺言」という言葉を何一つ疑わずに信じ込んでいるこの副社長の頭脳。ヘドが出るほどの愚物だ。
笑いを収め、冷血な支配者の顔に戻った王は、低く囁いた。
「その『遺言』とやらの正体を当ててあげましょう。──ズバリ、ヤマトマテリアルだ!」
その瞬間、ハッサの身体がピクリと動き、顔が固直した。 王はその一瞬の動揺を見逃さなかった。自信が勝利の確信へと昇華する。やはり、南シナ海にヤマトマテリアルの鉱脈があるのだ。
「ヤ、ヤマトマテリアル……!? か、会長! 一体どういうことなんですか!?」
蚊帳の外に置かれたアジズが、パニックを起こした顔でハッサにしがみつくように叫ぶ。だがハッサは何も答えない。視線すら合わせず、ただ冷たい地下倉庫の床を一点だけ見つめ続けていた。
アジズの狼狽を見届けた王は、悠然と次にコマを進めた。
「ソフィアを連れてこい」
王が短く命じると、倉庫の鉄扉が開き、一人の女性が足音を忍ばせて入ってきた。
ソフィア・リムだった。
「ソフィア……!? なぜ、ここに……」
ハッサは大きく目を見開き、愕然とした。昨夜の襲撃で傷つき、救急病院へ搬送されたはずのソフィア。大中の特殊部隊に病院から拉致されたのか……ハッサは瞬時にそう考えたが、すぐに違和感に気づいた。
彼女の手首には結束バンドがない。 顔に恐怖の陰りもなく、洗練された足取りで、当然のようにこちらへ歩み寄ってくる。
「ソ……ソフィア……これは、一体……」
ハッサの絞り出すような声に、ソフィアは何も答えなかった。ただ、ハッサを憐れむ冷ややかな眼差しを一瞬向けた後、王の隣へと並び立った。
その光景を見たハッサの頭の中で、すべてのパズルが残酷な音を立てて組み合わさる。
ラジカ・スルワッタ社に多大な資金と人脈をもたらし、成長を支えてくれた恩人。だからこそ、社外の人間でありながら全幅の信頼を寄せ、暗号コードと生体認証を託した。
だが、彼女は最初から、大中が送り込んだスパイだったのだ。なぜ見抜けなかった……信じていた者からの底知れぬ裏切り、己の迂闊さへの憤り。
そしてマレーヤの希望となるはずのヤマトマテリアルが大中に奪われる絶望。荒れ狂う感情が、ハッサの胸をしめつけた。
「ソフィアは快く『遺言』の解読に協力してくれるそうです。そして間もなく、ザイン社長もここへ来る。これで三人の暗号コードと生体認証がすべて揃うわけだ。……さあ、みなさんでその『遺言』の輝かしい中身を確かめようではありませんか」
王は極上のショーを仕切る司会者のように、軽快なトーンで語りかける。
三人が揃えば、勝利は完全なものとなる。 ハッサのような強い信念を持つ者は口を割るのに時間がかかる。
だが、ザインとアジズなど少し痛めつければ……あるいは、見せしめとして残りの取締役を目の前で殺せば、一瞬で悲鳴を上げて協力を申し出るだろう。
王は勝利の予感に酔いしれながら、冷酷な笑みを絶やさずにその瞬間を待ち受けていた。
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