第27話 作戦始動
【前回までのあらすじ】作戦本部に集結したカラスと青葉のチーム。一方、初参加の澤村は非公式作戦という言葉に動揺する。紅梅は澤村の扱いを慎重に検討し、作戦の初動をチームに伝える。
「さあ、作戦を始めるぞ!第一段階の概要を説明する。青葉、メインモニターを映してくれ」
紅梅の合図で、青葉がキーボードを叩く。中央の巨大なメインモニターに、鮮明な資料が次々と投影された。
「まず、マレーヤ側から日本にもたらされた今回の情報を『誰が知っているのか』、その正確なリストを割り出す。ヤマトマテリアルが眠る海域を通過し、なおかつ海底調査が可能な特殊船を運用できる企業や組織は限られている。分析局の事前調査により、一ヶ月ほど前に該当海域でマレーヤ政府管轄の海底ケーブル敷設工事が行われていたことが判明した」
画面が切り替わり、一人の褐色の男の顔写真と企業の組織図が表示される。
「受託したのは現地の大手インフラ企業『ラジカ・スルワッタ社』。オーナー兼会長のランドン・ハッサは、マレーヤの親日派グループの代表を務める人物だ。彼が情報源である可能性は極めて高い」
紅梅の解説と完璧に同期したメインモニターのウィンドウが、目まぐるしく切り替わっていく。
「そこで俺が『日本政府の外交官』として直接ハッサに接触する。親日派の彼なら間違いなく歓迎するはずだ。彼から『情報を知る者』の全貌を聞き出し、標的のリストを完成させる。カラスは俺がハッサに接触するまでの移動ルートおよび現場の警護を。青葉のチームは俺とカラスのバックアップと盗聴、ならびに大中側の動きを監視。……以上だ」
紅梅の短い指示が終わるや否や、作戦本部に集まったプロフェッショナルたちは静かに、そして迅速にそれぞれの持ち場へと散っていった。
カルヤ市街地の中心部に聳え立つ、ラジカ・スルワッタ社の本社ビル。
優雅な噴水が水煙を上げ、綺麗に整備された進入路には高級車を回り込ませる完璧なロータリーが備え付けられている。
マレーヤのインフラ事業を一身に担う半官半民の大企業だけあり、政府要人も多く来訪する。そのため施設には一切の妥協はない。
入口のゲートをくぐり抜けてやってきたのは、2台の黒のSUVだった。1号車のハンドルを握るのは神薙。助手席には傳田、後部座席には紅梅が座っている。
警護担当の2号車は百目鬼が運転し、助手席には中臣が座る。カラスの面々は仕立ての良いブラックスーツに身を包み、完璧な要人警護(SP)になりきっていた。
ロータリーで1号車のSUVが静かに停車すると、神薙が素早く降りて後部座席のドアを開けた。スーツをスマートに着こなした紅梅が地面に足を下ろす。
「こちらゼロ。無線チェック」
紅梅はスーツの左ラペルに挿した日本国旗のピンバッジに口元に寄せ、囁くように発した。
「感度良好、問題ないわ」
作戦本部の青葉の声が、耳孔に収まった小型イヤホンを通して響く。
本社ビル内へ向かうのは紅梅と傳田の二人。傳田は紅梅のアタッシュケースを手に持ち、いかにも有能な側近役を演じている。
ガラス張りのエントランスを抜け、受付の手前まで足を進めたその時、正面から一人の男が歩み寄ってきた。オーナー兼会長、ランドン・ハッサ本人だ。
「紅梅様、お待ちしておりました。ランドン・ハッサと申します。お会いできて光栄です」
ハッサ自らが出迎えた。登場のタイミングに寸分の狂いもないことから、数分前からエントランスで待機していたのだろう。
マレーヤを代表する企業のオーナーが、一外交官を自ら出迎える。それは最大の敬意の表れであり、ハッサがいかに熱烈な親日家であるかを物語っていた。
「日本国外務省・書記官の紅梅元です。本日は突然の訪問にもかかわらず、貴重なお時間をいただき感謝申し上げます」
紅梅は外交官としての洗練された笑顔で名刺を手渡した。
思い返せば、表の顔を使うのはジャカルタでラザクのメールを受け取って以来だ。どこか懐かしく、そして芝居じみた感覚が胸をかすめる。
「どうぞこちらへ。最上階の私の執務室でお話ししましょう」
ハッサに案内され、エレベーターの前に進むと扉が静かに開いた。
最上階で降り、美しい大理石が敷き詰められた廊下を進むと、会長室の前で待機していた女性秘書が胸に手を当てて静かに一礼し、会長室の扉を開けた。
ハッサと紅梅が中へ入る。傳田は紅梅の視線を受けると、静かにアタッシュケースを手渡し、自らは部屋に入らず扉の外でピタリと足を止めた。そのまま周囲を刺すような視線で警戒し、扉を閉める。
会長室はかなりの広さだった。センス良く配置された最高級の調度品の数々。
奥の壁には、一代でこの巨大インフラ企業を築き上げたハッサの祖父の肖像画が掲げられている。
一面のガラス窓からはカルヤの街並みが一望でき、暖かな陽光が部屋全体を満たしていた。耳奥のイヤホンから青葉の冷静な伝達が入る。
「盗聴器、隠しカメラの反応なし。周囲はクリアよ」
紅梅は室内をひと通り見渡した。異常はない。扉の外は傳田が完全に固めている。安心して仕事に入れそうだ。
紅梅はハッサへ柔らかい笑みを向けた。ハッサも温和な表情で応じる。
「さあ、どうぞおかけください」
促されるまま、紅梅は部屋の中央にあるレザーソファーへと身を沈めた。
「改めて、お時間をいただきありがとうございます、ハッサ会長」
「いえいえ、とんでもない。日本の外交官の方にお越しいただけるとは、我が社にとって、この上ない光栄です」
定型の外交辞令をひと通り交わすと、紅梅は前置きなく本題に入った。
「ハッサ会長、単刀直入に申し上げます。本日伺ったのは、テレパレス港の沖合に眠る『ある資源』の件です」
万が一、ハッサが何も知らぬシロだった場合を考慮し、あえて「ヤマトマテリアル」という固有名詞は伏せた。
その言葉を聞いた瞬間、ハッサの表情が強張り、直後に感極まったような笑みが溢れ出した。
「……さすが日本だ。データキューブの中身を確認されたのですね。ラザク……よくやってくれた……」
ハッサの顔に深い安堵が広がっていく……と同時に、命を賭して秘密を守り抜いたラザクへの思いからか、その目元が微かに潤んでいた。
「先日、轟首相をはじめとする日本政府の閣僚級会議において、この件が議題に上がりました。詳細はお伝えできませんが……我が国としては、マレーヤにおけるヤマトマテリアルの採掘および事業化を、全面的に支援する所存です」
その言葉を聞いた途端、ハッサがそれまで笑顔の裏に隠していた緊張が目に見えて解け去った。せき止めていた感情が決壊したように言葉が溢れ出す。
「ああ……ありがとうございます……。よかった……本当によかった……。これでこの国に未来が……希望が生まれる……。ご存知の通り、現在のマレーヤ政権は親日派と大中派に二分され、危うい均衡の上に成り立っています。もし大中側にこの情報が渡れば、この国に真の独立はありません。我々は日本と組みたかった。日本は裏切らない。世界を安定へ導いてくれると信じています!」
「ご安心ください。日本は常にマレーヤと共にあります。会長の熱い想いは、私が責任を持って政府閣僚へ届けます」
力強い眼差しでハッサを見つめる紅梅。ハッサは涙を堪えるように右腕の袖で目元を拭うと、感極まった様子で右手を差し出してきた。紅梅はその手を両手で包み込み、熱い握手を交わす。
「……ところでハッサ会長。この件を把握している人物は、他にいらっしゃるのでしょうか?」
握手を解いた瞬間。これまで光を宿していた紅梅の瞳の奥が、深い闇へと落ち始める。
外交官としての完璧な笑顔、友好の握手、偽りの約束。そんな茶番劇はどうでもいい。ここからが本当の「仕事」だ。
闇の淵から冷酷な悪魔が這い上がり、紅梅の思考を支配していく。
「知っている人物……ですね。どうぞご安心ください。全貌を把握しているのは、世界で私一人だけです」
「!? 会長お一人……ですか?」
「ええ。知る者が増えれば、それだけ情報漏洩のリスクは上がる。ラザクでさえ、埋蔵の事実のみを知り、詳細な座標までは知りませんでした」
「しかし……それでは万一、会長の身に何かがあった場合、この情報は永遠に失われることに……」
「もちろん、手は打ってあります。この情報と私の意志を込めたデータストレージを、当社のセキュリティサーバーに外部から孤立させた状態で格納しました。アクセスには『3つの解除コードと網膜スキャンの生体認証』が必要です。私はそのコードを、信頼できる当社の役員3名に分散して託しました。私にもしものことがあれば、3人でコードを持ち寄り、中身を確認するよう伝えてあります。まあ、彼らは私の遺言か何かだと思っているでしょうがね」
思いもよらない事実だった。紅梅のピンバッチ型無線機を介して、この会話をリアルタイムで盗聴していた青葉たちも作戦本部で息を呑んでいた。
すべてを知る者はハッサ一人。そしてデータへのアクセスキーを持つ者は、それぞれ別々の解除コードを握る3名の役員。3つのコードと役員たち本人(生体認証)が揃わない限り、情報への扉は開かれない。
(……この3人が誰なのか、何としても聞き出さなければ)
ラジカ・スルワッタ社のような巨大インフラ企業には、役員クラスの人間が十数名存在する。全員を「処理」するという力技もあるが、作戦としては余計な波紋を呼びすぎる。
だが、警戒心の強いハッサに対し、不自然に「その3人は誰だ」と問いただせば、こちらの意図を疑われるリスクがあった。
ほんの数秒の静寂。脳内ではあらゆるシナリオとリスクが検証されていた。やがて紅梅は最も自然で洗練された言葉を紡ぎ出した。
「ハッサ会長が全幅の信頼を置かれている3人であることは重々承知しております。しかし、大中側も本気でこの情報を狙っています。3人から漏れる可能性はゼロではない。恐らく御社の役員達にも、すでに監視の目が向けられているはずです。日本政府が正式に動くまでの間、その3人の方々は我々、外務省が慎重に動向を注視いたします。万全を期すため、その3人のお名前を教えていただけないでしょうか」
ハッサは短く思案した。そして紅梅の「親切な提案」に深く納得した様子で、何のリスクも疑わずにその口を開いた。
「社長のダトゥク・ザイン、副社長のタリク・アジズ、そして社外取締役のソフィア・リムの3人です」
「……ありがとうございます。3人の身辺は我々が密かに警護させていただきます。それと日本政府からの正式発表があるまで、引き続きこの件は内密でお願いいたします。現在、我が国の最優先事項として検討が進んでおりますので、長くはお待たせしません」
「分かりました。紅梅さん……これはマレーヤの輝かしい未来を勝ち取るための戦いです。ヤマトマテリアルがあれば、我が国はどの大国にも依存せず、完全な独立国家として立ち上がることができる。そのためには日本の力が必要なのです。どうか……よろしくお願いします」
語るハッサの瞳は、純粋な希望に満ちていた。マレーヤの輝かしい未来がすぐにでも訪れると……微塵も疑っていない少年のように。
紅梅はソファーから静かに立ち上がり、深く一礼をして会長室を後にした。
先ほどまでガラス越しに室内を照らしていた陽光は、いつの間にか姿を消していた。見上げる空には重苦しい暗雲が垂れ込め、今にも激しい雨が降らんとしている。
【あとがき】今回は文字数のボリュームが多くなりましたが、ここまで読んでくださってる方々は、じっくり読んでいただけたのではないかと想像しております(笑)。
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