第20話 ジョーカー
【前回までのあらすじ】解読は不可能と思われたデータキューブに突破口を見出したのは、デスクの端でくすぶっていた天才・澤村龍斗だった。第1層から第3層までの解除に成功し、最後の第4層の解除に挑んでいた。
残る第4層の暗号ロックは一筋縄ではいかなかった。澤村が3つ目の暗号を解くまでに要した時間は約30分程度。
これまでデスクの端で地味に働き、なんならサボり気味の単なるアルバイト程度に見えていた澤村を、前評判どおりの「天才」と証明するには十分すぎる成果だった。
しかし最後の第4層の暗号解除には、すでに40分を要していた。それは、マレーヤという国家が持つ暗号技術の粋を集めた、狂気とも言える究極の仕様だった。
万一、大中側にこのデータキューブが奪われ、仮に第1から第3階層までを突破されたとしても、この最後の第4層だけは絶対に破らせない。
マレーヤの誇りと主権のすべてを守り抜くという執念すら感じる、圧倒的な複雑さだった。
キーボードを叩いていた澤村の指が止まり、その額から汗がポタポタとデスクに落ちる。
「……ダメだ。ここの標準解析アルゴリズムじゃ、とても歯が立たない。」
澤村は困り果てたように髪をくしゃくしゃと掻き回すと、後ろで見守る真島へ振り返った。
「チーフ、俺の自前のプログラム、使っていいですか?」
「はあ!? 自前のプログラムだと……? 国家情報局のメイン解析プログラムより、お前の作ったやつの方が優れてるって言うのか!?」
「あ、ええ……まあ……」
澤村は申し訳なさそうな表情を作り、頬をポリポリと掻いた。だが、その瞳の奥には隠しきれない天才の傲慢さが透けて見えていた。
真島は一瞬目を見張り、苦笑混じりの溜め息を吐いた。
「しゃーねーな。まあ、ここまでお前が解除したんだ、文句はねえよ。ただし! 規則通り、ちゃんと消毒してからだぞ」
「あんがと、チーフ!」
澤村は弾けるような笑顔を見せると、自分のリュックからストレージを取り出し、エアギャップ環境の検査用端末に接続した。
問題なく検査をパスすると、すぐさまメイン解析PCへと自分のプログラムを移植した。モニターの隅で一瞬ノイズが走り、小さなテキストウィンドウが立ち上がる。
次の瞬間、パソコンのスピーカーから声がした。
『やあ!リュウト。今日はずいぶんとお堅い場所にいるんだね。なんか色々チェックされたよ』
「ああ、ボッシュ!ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」
澤村が局のPCへ移植したのは、自身の手で組み上げた自作AI『ボッシュ』のコアモデルだった。
2026年以降、民間向けAIが本格的に普及して以来、世界中で無数のオープンソースやコミュニティモデル、果てはダークウェブに流出した不法モデルまでもがネットの上に溢れていた。
澤村はそれらのソースコードを独自にマッシュアップし、改良を重ねてこのAIを創り上げた。
2080年代の現在、ストレージ技術とAIの極限的な軽量化・量子化により、推論エンジンと莫大な学習済みモデルのデータは、手のひらサイズストレージへ完全に収めることが可能となっていた。
外部ネットワークと遮断された国家情報局の通信環境であっても、端末側のGPUやNPUといった計算リソースさえ借りれば、スタンドアロンで国家機関レベルの解析をこなすポータブルAIをどこへでも持ち運べるのである。
「今、この端末に接続されているデータキューブの暗号なんだけど…最後、第4層の暗号ロックがどうしても解けないんだ……」
『なるほどね。けど自力で第3層まで解くなんて、さすがだよリュウト。OK、任せて……ちょっとここの計算リソース借りるよ』
ボッシュの音声が途切れると同時に、澤村のモニター画面へ無数のログが高速で流れ始めた。ボッシュがデータキューブの構造解析を開始したのだ。
『こいつはヤバい代物だね。どこで拾ってきたのさ。こちらのアクセスをリアルタイムで検知して、動的アルゴリズムで先回りしてブロックしてくる』
「マジか…お前でも解析できないのか?」
『まさか。これくらいで諦めるボッシュ様じゃないよ。AIからの正攻法アタックじゃ弾かれる……この割り込みコードを流し込んでみて』
画面にボッシュが生成したコードが提示される。澤村はそれをコピーし、第4層の暗号ロックの入力欄へ打ち込んだ。しかし、画面には何の反応もない。
「ボッシュ…何の反応もないぞ…」
『ええ……嘘だろ……』
ボッシュの声が途切れ、応答が途絶えた。膨大な試行錯誤の末に処理が泥沼化し、まるでフリーズしたかのように沈黙している。
一方、澤村はボッシュが提示したコードの文字列をじっと見つめていた。数秒後、彼はボッシュが狙おうとした「意図」を完全に把握した。
「あー、なるほどな。そういうことかよ」
澤村の指がキーボードの上で素早く踊った。ボッシュのコードはあまりにも「正解」を求めすぎていた。
澤村はあえて正規の構文を崩し、このセキュリティに使われている初期の「古いバグ」を力ずくで踏ませる無駄なコードを一行だけ書き加えた。
自ら修正したコードを再び打ち込む。
直後、画面上に異質なポップアップウィンドウが立ち上がり、通常ではあり得ないエラーログが羅列された。
データキューブの完璧なセキュリティが、予期せぬオーバーフローによりパニックを起こしている証拠だ。
『あ! すごいよリュウト! そう、それをやりたかったんだ!』
ハッと意識を取り戻したように、ボッシュが会話に戻ってくる。
『相手の仕様の穴を無理やり踏ませて隙を作るなんて。リュウトの発想は俺らの斜め上をいってるね!-よし、侵入成功! あとは崩れたロジックの隙間に、並行処理で一気にデータを流し込めば…』
再びボッシュの声が止まる。そう言い残し、またもボッシュは無言となった。しかし1分ほど経過すると突如、データキューブが挿入されたPCの冷却ファンが爆音で回転し始め、メインモニターの画面上を異質な緑色のコード群が高速で流れ始める。
やがてそれらはピタリと動きを止めた。ゴクリ…と誰かが唾を飲み込む。次の瞬間、血のように赤かった第4層のモニター表示が、鮮烈なグリーンへと一変した。
[ BLOCK-04: UNLOCKED ]
>>> ALL LOCKS CLEARED <<<
4つの動的格子暗号がすべて開放され、無機質な画面が一瞬で崩れ去る。
切り替わったモニターの映像には、無数のテキストデータと暗号化された地図データが次々と展開されていった。
「……よしっ、開いた!」
澤村はモニターに顔を近づけ、表示された文字列を指でなぞりながら読み上げていく。
「14.312296, 119.237302 ……これ、緯度経度の座標データっぽいな。……場所は、マレーヤのテレパレス港の沖合、このあたりだ」
澤村がトラックパッドを滑らせると、画面上の世界地図が南シナ海の特定海域へと一気にズームインした。
「そんで……残りのデータは……」
澤村は画面の右隅に表示された、化学式のような未知の文字列を見つめ、何気なく呟いた。
「……Ks、Yt、Mgd…なんだこれ?」
『それはヤマトマテリアルの構成物質だよ、リュウト。』
スピーカーから漏れ出たボッシュの言葉を聞いた瞬間、フロアの空気が凍りついた。
後ろで静かに腕を組んでいた紅梅の冷静な表情が消え去り、真島の顔が一段と険しくなる。
「……な……なんだと……!?」
ディスプレイに映し出されたものが、何を意味するのか。紅梅と真島は瞬時に感じ取った。仮想敵国のデータでもなければ、どこかの組織の重要な証拠でもない。
日本の防衛と経済、そして国家の未来そのものを一変させる超希少鉱物「ヤマトマテリアル」。
マレーヤのラザクが命と引き換えに遺したものは、南シナ海の海底に眠る、国家の命運を賭けたあまりにも危険な「ジョーカー」の在処だったのだ。
【あとがき】ついにデータキューブの謎が解明されました。ヤマトマテリアルとは?ジョーカーとはどういう意味か?いよいよ物語の核心にせまります。次回もご期待ください!
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