第18話 開かずの扉
【前回までのあらすじ】マレーヤでラザクから託されたデータキューブを握り締め、紅梅は日本の国家情報局本部で解読を試みる。本部では解読に向けて分析局のスタッフが総出で待機していた。
漆黒のセダンから降り立った紅梅は、無駄のない足取りで専用エレベーターへと乗り込んだ。
地下特有のひんやりと冷えた空気と共に、エレベーターは地下3階にある分析局フロアへと向かっていく 。
「ピンッ」と澄んだ電子音が鳴り、エレベーターのドアが開いた。フロアの視線が紅梅に集まる。その姿を見て一人の男が足早に歩み寄ってきた。
「待ていたぞ、紅梅!」
紅梅の姿を見るなり開口一番、声を掛けたのは分析局・リーダーの真島安行だった。
これまでに数え切れないほどの秘密データや国家レベルの暗号、監視映像を捌き、諜報活動の支援を行ってきた大ベテランだ。
とかくコミュニケーション能力に乏しい者が集まりがちな分析局において、真島の陽気でフランクなキャラクターは、一癖も二癖もある有能な分析官たちを自然とまとめる潤滑剤になっていた。
頼れるリーダーであり、同時にフロアのムードメーカーでもある。
紅梅はスーツのポケットから黒いデータキューブを取り出した。
「真島、聞いてると思うが、これが例の代物だ」
「了解。こちとら朝から準備しといたよ。……上層部直々の『最優先案件』だからな」
真島はデータキューブを受け取ると、慣れた手つきで分析局の解析エリアへと向かい始めた。
「まずは、消毒からだ」
スパイ活動において、相手から渡された(あるいは奪取した)ハードウェアをそのままメインシステムに接続するなど論外だ。
内部にウイルスや、接続と同時に強烈な電磁パルスを発生させて周囲の電子機器を破壊する、トラップ用のEMP信号が仕込まれている可能性がある。
真島は完全にネットワークから隔離されたエアギャップ環境の検査用端末に慎重にデータキューブを接続した。
モニターに流れる緑色の高速スキャンログをじっと見つめる。数秒後、チェック完了のシグナルが点滅した。
「消毒完了。問題なしっと。クリーンだ」
真島は短くつぶやくと自分のデスクに戻り、専用のハイスペックPCへ、データキューブを接続した。
「カチッ」
金属の端子同士が絡み合う無機質な音が響き、フロア中央にそびえる巨大なメインモニターの表示が一斉に切り替わる。
処理能力を補強するために外部接続された巨大なCPUとGPUユニットの冷却ファンが、耳障りな風切り音を立てて激しく回転し始めた。
だた、メインモニターに広がったのは、解析データの展開ログではなく、見たこともない重層的な赤と黒の「暗号障壁」だった。
「な……なんだこれ、セキュリティでガチガチじゃねえか。……おいおい、嘘だろ? 動的な多次元格子暗号かよ!? 」
真島の顔から、先ほどまでの余裕が綺麗さっぱり消え失せた。
メインモニターを覆い尽くすのは、百戦錬磨の真島すら驚愕させるほどの、複雑に変形し続ける幾何学的な多面体の動的格子暗号。
多次元空間に規則正しく並んだ点の集合(格子)の数学的性質を利用した、量子コンピュータすら寄せ付けない堅牢な暗号技術だ。
それだけでも解除コードなしの解読は絶望的なのに、そこに通信状態や時間経過に合わせて、暗号化アルゴリズムそのものをリアルタイムで自己改変させる仕組みが組み合わされていた。まさに近未来の『ソロモンの封印』だった。
「おい、秋月!ちょっと手伝ってくれ!」
真島が大声を張り上げる。隣のデスクで状況を見守っていた女性分析官・秋月千夏が、素早い手つきで自身のキーボードを叩き始め、解析のサポートに入っていた。
細いフレームのメガネの奥で、知的で冷静な瞳がまたたく。彼女はすぐさま、この四角い黒の物体が秘める異常性を見抜いた。
「チーフ、これ……通常の軍事レベルの暗号じゃありません。高次元格子暗号の上に、時間変動型のアルゴリズムが複数、螺旋状にスタックされています。このフロアにある並列計算リソースを全て投入しても、とてもじゃないですが…… 」
言葉に詰まる秋月をよそに、真島は気合いと根性でねじ伏せんばかりに一喝した。
「分かってるよ、そんなの! だから解除コードのアルゴリズムをありったけのパターンから弾き出して、総当たり(ブルートフォース)で強行突破するんだよ! 」
真島の怒号にまったく臆することない秋月は淡々と冷徹な現実を突きつける。
「無理です。解除コードの桁数に加え、暗号方式すらも可変です。数秒ごとに暗号構造そのものが変化してます。チーフ、冷静になってください!」
「ああん!?くそっ…」
大物データの到着に久々に血が騒ぎ、熱くなりすぎた真島は、椅子の背もたれに深く体重を預け、キーボードから手を離した。
深く息を吐き出し、頭を冷やした彼は、すぐに低く鋭い声でフロア全体に指示を飛ばした。
「みんな聞け!今から全員でコイツの解析作業を分担する。解除コードの手がかりとなるアルゴリズムを探しだせ!ソースの書き方、コーダーの癖や特徴まで目を光らせるんだ!どんな些細な点も見逃すな!」
フロアの分析官たちが一斉に各自のモニターへと向き直り、キーボードを連打し始める。
しかし、作業に着手してすぐにその難易度を悟った者たちが、一人、また一人と無言で席を立ち始めた。
彼らは一旦フロアを出ると、プライベートスマートフォンの使用が許可されている通信エリアへと向かう。
ある者は今晩の予定をキャンセルし、ある者は家族へ「今日は遅くなる…いや帰れないかもしれない」と諦めの混じったメッセージを静かに送った。
長い一日の始まりだった。
【あとがき】真島と秋月の夫婦コンビ感よくないですか(笑)。長い夜を覚悟したときの分析局スタッフのスマホする描写。私も社会人経験で何度もあります(苦笑)。
このデータキューブは一筋縄ではいかない代物。果たして突破口はあるのか!?
次回もご期待ください!
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