壱話・前編
『それ』はいきなり現れた。人間でも動物でもなく、しかし確実に生きている『それ』は、突如地球に現れ、公害のように触れるもの全てを破壊しつくし、飽きたら子どものように帰っていった。正体も目的も分からず、混乱を招くため国は多数の死傷者が出たにも関わらず事件をもみ消し、次の『それ』に耐えるべく、大型対戦型ロボットの開発に取り組んだ。そして開発は見事成功し、今日もそのロボットは秘密裏に国の為に戦っている。誰にも褒められることも賞賛されることもないまま。
「…つってね!かっこいいっしょ!」
「お前、ほんと好きだな、そういうの」
会社の帰り道、課の間ではオタクと呼ばれている(が、本人は否定してる)康とその先輩である伏が並んで帰る。二人が少し離れて歩く先は会社でも窓際族に近い部署で働くほぼ平社員に近い契がいた。はあ。っと大げさにため息をついた伏が康につかみかかった。
「で、何であんな給料泥棒をストーキングしてるんだ?俺たちは」
「い、いやだってあのオヤジ、絶対怪しいですって!いっつも上に呼び出されてるし、定期的にすげえ包帯巻いてるし、そのくせ機械には詳しすぎるし、会社の鍵かけてる馬鹿でかい倉庫の周りいっつもうろうろしてるじゃないですか!あそこにはロボットいるんすよ!あいつはそれに乗って戦ってるんだ!」
「あんなおっさんに地球守られてるのか、悲しくなるわ!もー、いいから、あんなおっさんほっといて飲も…おい」
ぺんぺん、と叩かれ、康がふがっと吹き出し、慌てて自身の口元を押さえた。すごい美少女だ。近くの有名私立女子高校の制服を着ている。
「うわああああ超可愛い!写真撮ってきていいっすか!?」
「二次元だけにしろ!犯罪は止めてくれ頼むから!あれ、あの子」
「荷物、持つ」
「…ああ、お前かびっくりしたぁ。ありがと」
康は伏の口を塞ぎ、伏は康の口を塞いだ。そして二人とも夏の暑さですぐに離し、叫んでしまった。二人とも契が見えなくなったところでたまらず叫んだ。
「今の会話…絶対一緒に暮らしてるよな」
「うわああああ淫行だ、淫行だあ、始めて見た、うらやましい」
「うらやましがるな!ほら帰るぞ!今日は飲む気にならん!」
伏が康を引きずるように帰っていき、契たち二人は彼らに気づくこともないまま、エレベーターに乗り、目的の階へ着いた。契が鍵を開けるより早く、少女が合い鍵をカバン内から取りだし、さっと家の中へ入った。中に入るなり、契は呻く。すごい段ボールの数、いつの間に-彼女の荷物だろうが。狭い部屋が余計に狭くなった。
「お前、ほんとここに住むの?」
「うん、学校から近いし」
「寮くらいあるだろ、あんなお嬢様校なら…くせえし、汚ぇし、俺の仕事知ってるだろ。最悪帰ってくるの骨だぞ。お前と俺戸籍上は他人だし、かんちゃんとこ帰った方が」
言った途端後悔した。やばい地雷踏んだ、契が謝るより早く、少女が契の中年腹を押し出すように顔を近づけた。唇同士が当たってしまいそうなくらい、近くに。
「じゃあ、私と結婚する?別の形で籍入れる?」
「寝言は寝て言え、馬鹿。ああもう分かったよ、飯何にする凪」
凪、と呼ばれた少女が小さく笑った。
「カレー」
「お前、飯くらい作れよ」
「不器用は母さんに似たの」
「そりゃ仕方ねえな」
一人暮らし歴は長い。契も簡単な料理くらいなら作れるが、仕事が不規則な上に家で食事を取れる機会がほとんどない為、料理を上達させる理由も何もない。食べられればそれいい、腹がふくれればそれでいい程度だ。動けるように、ただものを詰め込んでいただけの食生活だった。なので普段から味見もろくにしていない。凪は不味い不味い文句言いながら、それでも、よほどお腹が空いているのかたくさん食べた。契は今更、凪の靴がボロボロであることに気づいた。まさかF県から歩いてきたんだろうか、彼女ならやりかねない。
「家事出来ねえんなら、金は。バイト駄目か、もしかして」
「うん、その通り。体で払う」
「分かった分かった、おっさんが悪かった。好きなだけいろよ、タダで。家事もしなくていい。ただし、分かってると思うが、俺と住んでること、俺の仕事のことは」
ふとうめき声が聞こえ、契が何だとテーブルの下を覗いてみると、うわっと叫びながら身を引いた。イグアナだ。しかもかなりでかい。凪が大事そうに、さも当然のように抱き上げた。
「拾った」
「拾うんなら、猫とか犬とかにしろ新し過ぎるわ。それ絶対飼い主いるだろ…いや、珍しいからこそ捨てたのか…え、飼うの?ほんとに?何食うの、こいつ」
「人肉じゃない?」
「口、こっち向けんな馬鹿」
不味い、暑い、眠い、臭い、さんざん文句言いながら、凪がようやく寝た。無防備に腹を出してしまっている体に、契がため息混じりに布団をかけた。枕元にはイグアナが丸まって眠っている。無駄に美人で、変なものが好きで、変わり者で、なのに異常に頭が良くて、本当に、嫌味なほど『彼女』に似てる。
「勘弁してくれよ」
天井を仰ぎながら、何だか目が冴えてしまった契は缶ビール片手に、野球中継を見ながら横になった。年頃の娘がすぐ隣で寝てるとあっては、放屁だけで重犯罪を犯した気分になる。
連絡もなしに凪がいきなり来たものだから、当然寝床は一つしかなく、どちらに譲るか考える暇もなく凪は自分のベッドで勝手に寝ていた。まさか一緒に寝るわけにもいかず、狭くて固いソファで寝る羽目になった。ベッド買うか、と財布の中を見たが、我ながらすごい瞬発力で紐を締めた。給料日前、食いぶちが増えただけでも死活問題だ。
マットレスくらいなら買えるか、ととぼとぼ歩いていると、視線を感じた。窓際族、給料泥棒、真実を知らない社員たちはいつも自分を好き勝手噂している為視線噂話には慣れすぎてないと落ち着かないくらいなんだが、今日は少し違う。上手く言えないが、いつもとは種類が違う気がする。だからと言って何かは分からないが。疑問に思いながらも、問いただす理由もない為、契は今日も仕事がない仕事場へ歩き出した。
判子押しくらいなら出来るだろうと書類を回される。完全に馬鹿にされてるが仕事は仕事だ、機械的にぺたぺた押していくと、ふと、社員が立ち上がった。何事かと振り返ると、社長だった。この会社では社長が現れると皆が機械的に立ち上がるのが暗黙の了解になっている。契も思い出したようにつられて立ち上がると、社長が笑顔で契の前に行き、そして木製の古いを閉めた。二人だけにされた、契の顔つきが変わる。
「事件ですか」
「いや、すごぶる平和だよ。たまには一緒に珈琲でもどうだい」
「は?はあ」
「いや、悲しいよ君が援助交際なんて」
べ、と珈琲を吐いた。高い珈琲をもったいない、契が恨みがましく社長を見た。肩書きこそ天地の差があるが、付き合いは短くない。冗談が好きなタイプではないことくらい分かる、本気で言っているのだろう、だからこそ怖い。
「そんな余裕も金もありませんよ、何ですかいきなり」
「嘘嘘、もっぱらの噂だよ。君がすごい可愛い女子高生を自宅に連れ込んでたって」
誓は少し考え、あーっと呻いた。凪を誰かに見られたのだ。社内中から注がれる視線の正体も理解した。あれは厭らしいものを見る目だったのだ、縁がなかったから気づかなかった。
「内緒にしといて下さいよ」
「うんうん、内緒にしとくから派遣先教えて」
「孫とでも遊んでろ爺さん…じゃなくて。俺の娘なんです」
ぷーっと社長が弧を描くように綺麗にアイスコーヒーを吹いた。わあ虹が出てる、とふざけてやりたくなるような綺麗な弧の描きようだった。
「ちょ…何それ何それ何それ。聞いてないよ。じゃあ君、ロボット乗れないじゃん」
「戸籍は抜いてるんで、ばれないとは思いますけど…あ、すいません、呼び出しです」
「おや、事件かい」
「いや、この呼び出し方はメンテナンス」
黙っていた詫びに奢ろうかとも思ったが、もう既に社長が伝票を持っていた。情けない話、助かる。手を振って別れ、契が歩き出す。廃棄寸前の工場を抜ければ、最新鋭の機械で埋め尽くされた社内研究所への抜け道になる。
「お疲れ様っす」
声をかけてみるものの、いつも返事はない。彼らは機械がお友達、人間同士のコミュニケーションなどどうでもいいようだ。返事がないのも目を合わさないのも慣れたもの、遊んでくれるのは人工知能くらいだ。
『よう、おっさん元気か!今日も一発抜いてきたかこの野郎!』
「元気じゃねえし抜かねえよ…今日は銃か。あんま武器には頼りたくねえんだけどなあ」
どれどれとロボットに乗り込み、訓練室に入る。やる気のないはりぼてではあるが、だからこそ腹が立つ。思っていたより固いし、おまけにすごい速さで動く。ストレス発散どころか、余計腹が立つ。
やっぱり自分は肉弾戦がいいなあ、呑気にそう思いながら契がノルマをこなしていく。集中し過ぎて、凪が訓練室前にいることなど気づくまで何日もかかった。
「職場に来ちゃ駄目だろ!」
「お父さんの働いてるところ見たかったんだもん」
「もんじゃねえ、そんなキャラじゃないだろお前!いいか、今度から絶対来るなよ!」
一緒に帰りながら、喧嘩、喧嘩。凪はクールだから喧嘩にはならない、どちらかというと契が一方的に怒っているだけだが、それでも、足どりが軽い。口が渇くのが楽しい。娘への愛情なんてそんな偉そうなものもつ資格はないだろうが、それでも、久しぶりに誰かがいる感覚だった。
凪が来て十日、生活はまあどうにかなっている。そして凪をずっと育ててくれていたはずの義妹からは全く連絡が来ないことを、さすがに契も気づいていた。かんちゃん、と凪の前では親しげに呼んではいるが、もうまともに十年以上も連絡をしていない。絶縁状態といってもおかしくない。
まさか虐待とかされて逃げてきたんじゃ-そこまで考えて、いやいや、と契は首を横に振る。十年分の心配を一気に叩きつけるのは、あまりに重すぎる。自分は家族がいるわけにはいかないのだから。
ほら、『お仕事』の時間だ。
事前に社長に呼び出され、あることを告げられ、契の集中力はまともなものではなかった。真夜中にも指摘されたが、敵は待ってくれない。研究所の最高責任者である女帝、琴。契の集中力の荒さにすぐ気づき、ひたすら書類を不機嫌に叩いている。態度は立派、体格はもっと立派。今日も白衣がはち切れそうだ。
「死んだら殺すわよ、パイロット。このロボットいくらかかってると思ってるの」
「日本語しゃべれよ女帝…じゃ、どっこい…しょ!!」
ばっ!!
飛び立つと、そこは既に戦場になっていた。国の機関である飛行機や大砲が、まるでオモチャのように、どんどん潰され爆破していった。
某有名私立女子校。
「あ、いたいた」
「凪ちゃーん、ケーキ屋さん寄っていかない?」
「…ごめんなさい。お父さん、待ってるから」
そう言って凪が足早に去ると、女子生徒たちが大げさに肩を落とした。
「うげー、あいつ連れてったら合コン組みやすいのになー」
「もういいよ行こ行こ、うちら平民は化粧でごまかそ」
耳のいい凪は全て、聞こえたくないことまで拾ってしまう。無事高校入学を決めたお嬢様たちは関心事が多い。化粧、髪型、洋服、スイーツ、アイドル、彼氏-凪にも全く興味がないわけでもなかったが、どんなことも契に比べれば色あせて見えた。叔母夫婦との生活も、いつか契が迎えに来てくれるからと乗り越えた。
別に叔母夫婦が嫌いなわけではない。嫌なことをされたわけではない。きちんと自分を育ててくれた。しかし、ただそれだけだった。かけられる言葉も、挨拶も、食事も、全て味気なかった。申し訳ないが、何もかも、偽物にしか思えなかった。
何日、何年経っても契が迎えにくることはなかった。まあ、予想の範疇内だ。契には家族がいないことになっている。それでも側にいたかった。手から血が出るほど勉強して、学費免除となるトップクラスで、契の近くの学校に入学出来た。レトルトも、冷凍食品も、塩見が足りない手料理も、契と食べると美味しい。楽しい。自分は少し、いやかなり、異常だと思う。こんな感情に名前をつけるには、ファザコンも恋も足りない。
「凪さんだね」
「誰」
本人には不要な容姿のおかげで、凪はよく男に声をかけられる。いつも大抵無視をしているのだが、今日は思わず返事した。記憶が正しければ、男は契と同じ会社の服を着ていた。
「君を至急、F県へ帰すことになったよ」
「え」
さあ来るんだ、と男たちが凪を囲んで車に乗せようとする。そう強い力ではないが、出るわ出るわどこに隠れていたのか、男出が沸いて出た。人数が人数だ。凪の細い腕ではとても敵わない。
「離して…帰らない!帰らない!!ここにいる!」
「お父さんの仕事は知っているだろ」
「家族がいては駄目なんだ」
「やだ…契ちゃん!契ちゃん!!」
「こらーーーーーー!!!!」
けたたましい叫び声に男達は止まり、そして、近所の目が一気に集中した。男達は声を掛け合い消えていくと、思い切り大声を出して噎せながら、ふらふら、にやにややってきたのは康だった。
「お嬢さん、大丈夫ですか…あ、あれ、君…」
凪が首をかしげる。可愛い-じゃなくて。会社の給料泥棒が家に連れ込んでいた子だ。非処女には興味ない、康が立ち去ろうとすると、凪が立ち直し、康を見た。やっぱり可愛い。非処女でも、お茶くらいなら飲んでやってもいいかな。
「ありがとうございました」
「い、いえ…あ、あの、良かったら、えっとお」
鼻の下を伸ばしながら、もじもじ、いつまでもたらたら声をかけている康を苛立ちながら伏が待っている。いい加減、ランチおごりだけでは馬鹿らしくなってきた。もうほっといて帰ろうかと思った彼の口が、開いた。
何だ、『あれ』。




