6.失恋令嬢は休暇を満喫する
それから四日後。ザッセンに集うゲストたちが各々に時間を過ごすサロンに呼ばれ、私はクラウニッツ卿から報告を受けていた。
「思ったより、本人にやる気があったようですね」
クラウニッツ卿はコーヒーを飲みながらのんびりと言った。
「ローゼンフェルト侯爵が、自身の叔母であり大公の妹君であるロッケンヴァルト侯爵夫人に話をつけました。そこが押さえられれば、早いものです。あっという間に国内の貴族たちはまとまりを見せ始めましたよ」
ほらね。と私は思う。大公の甥にツテがないなんて、大嘘だ。
「それはよかった」
「あとは、大公の説得です」
「街の様子はいかがですか? あの噂が支持されれば、大公の決断の後押しにもなるでしょう」
「思ったようには広まっていないようです。実は、プロイツェン側が灌漑事業をザッセンと共同で進めているらしく、意外と民のプロイツェンへの反発心が薄そうでして」
「灌漑事業を? ……なるほど」
実際、先の戦争でザッセンは周辺国に巻き込まれる形で参戦したが、プロイツェンと直接的に敵対する理由はなかった。
「時間がありませんね」
「あと三日が期限でしょう」
それでも公城内の空気は明らかに変わった。どこかふわふわしていた貴族たちが、目指すものを見つけたように。
私はテーブルの上に置かれたチェスの駒を指先で弄んだ。
「何か、策があるのですね。クラウニッツ卿」
クラウニッツ卿はそれに答えず、ただ静かに微笑むのだった。
サロンを出て、次はヨーゼファ様とエレオノーラ様が待つ森へ向かう。城を出て東側に、整備された森と湖があった。今日はそこでピクニックと舟遊びをしようと誘われている。
馬車に乗り込もうとした私を待っていたのは、プロイツェンの第二王子だった。
「エーレンベルク嬢」
相変わらず王族にしては物々しい雰囲気の衣装を纏い、この平和な城ではかなり浮いた存在だった。
「王子殿下」
私は膝を曲げて礼をとった。なんで話しかけてくるの?
「どちらへ?」
「グローセルの森へ。大公女様がピクニックに誘ってくださったので」
時間を気にするように、ちらりと視線を時計塔に向ける。話したくないんだという意思表示はこれで伝わるだろう。
「レオポルト・クラウニッツ卿とは、仲がよろしいのですね」
第二王子は私の意図を無視して違う会話を始めた。私のことを尾けてでもいたのだろう。
「はい。父の仕事仲間ですので、わたくしにもよくしてくださっています」
「なるほど。隙がないご令嬢だ」
褒め言葉どうもありがとう。私は微笑んでみせた。
「おかしいと思ったんです。ザッセン国内では有力な花婿候補は出ていなかった」
「花婿候補?」
とぼけて見せたが、お見通しのようだ。普通の王侯貴族なら、女である私のことを調べようとは思わない。
けれど――この人は、私について調べたのだ。存外と鼻がきく。私は素直に感心した。
「あなたが焚き付けたんですね」
「焚き付けた? おかしなことをおっしゃるのですね。私の言葉に、そんな力があるとでも?」
名前さえ分かれば、私の正体などすぐに知れる。彼は気付いている。私が、皇太子の婚約者だということ。そして、帝国の皇后陛下がただの貴族令嬢を皇太子の婚約者に指名するはずがないこと。
「……今、わかりました。そうやってあなたは、ご自身の力を隠していたのですね」
「……」
扇の下で、私はひっそりと微笑んだ。この程度では、プロイツェンは騙せないということ? 面白い。
「プロイツェンがまさか公共事業で点数稼ぎをしているなんて、考えもしませんでしたわ。私の調査不足です」
「点数稼ぎなど」
「もう少し簡単にいくかと思ったのですが。第二王子殿下の差金ですか? お見事でした」
「――……それは」
「でも、今回はプロイツェンの思惑通りにはなりません。残念ながら」
私はそれだけ言うと、ドレスを翻した。馬車に足をかけ乗り込んで、ドアを閉める。
そのドアを、第二王子が掴んだ。
「感謝します」
「……はい?」
「大公女様と結婚してしまえば、あなたと二度と会えないでしょう。いえ、会えるとしたら、次はお互いに誰かの隣にいるときに、でしょう」
私は彼が言っていることの意味をはかりかねて、首を傾げた。
「つまり、ちょうどいいということです。私は大公女様の婚約者候補から外れる。あなたは――婚約破棄されそうなのですよね?」
ちょうどいい。先日私がフェルディナント様に言った言葉。
「どうやら私は、あなたに興味が湧いたようです」
*
ザッセン公国大公女エレオノーラ様の生誕祭当日。城内はもちろん、城下街も白い花を模した飾りと、色とりどりの紙吹雪で賑わっていた。
結論から言うと、エレオノーラ様の隣に立っていたのはフェルディナント様だった。
クラウニッツ卿によると、昨夜まで大公は決めあぐねて悩んでいたようだった。プロイツェンと手を組むか、国内貴族の団結を信じるか。
そんな中、クラウニッツ卿は、エレオノーラ様に内々に提案した。
「エレオノーラ様。率直に申し上げますと、我々はザッセン公国に中立を守っていただきたい。そのためには我々が支持するのは、エレオノーラ様、あなたです」
「……わたくしですか」
「そうです。ご存知の通り、我がオスタリッヒ帝国の正式な皇位継承者は皇后陛下であるマリア・ルス・アマーリエ・クリスティナ・フォン・アーベンスブルク様でございます。我々は、女性だから政治の中心には立てないとは考えません。むしろ、先代のお血筋であればそれが最も優先されるべきと考えます。ですが、プロイツェンはそうではありません。先の戦争の始まりは、皇后陛下の皇位継承に異を唱えた他国による侵略です」
「わたくしが前に立てば、同じように他国からつけいられるかもしれません」
「公国は我が国のように、各国に皇位継承を承認されなければいけないわけではありません。表向きには結婚相手が継承者であるとすればいいのです。あなたが一人で背負う必要はありません。手を取り合えばいい」
「手を取り合う……」
「プロイツェンの王子と、それができますか」
プロイツェンの王子と結婚すれば、エレオノーラ様はお飾りの大公妃として象徴にされかねない。政治には参加させてもらえないだろう。エレオノーラ様も、理解しているはずだった。
「……でも」
「もしあなたが覚悟を決めるなら、我々は最大限公国を支援しましょう。そうですね、たとえば、不可侵条約など」
「父に、その話は」
「いいえ」
「……どうしてですか? なぜ……わたくしをそこまで信頼なさるのです」
「あなたは国のために自身を犠牲にする覚悟のある方です。自分の意思を殺して、この成り行きをずっと見守っていらっしゃいましたね。それは、簡単なことではありません」
エレオノーラ様は、クラウニッツ卿の信頼に応えてくれた。帝国の信頼はフェルディナント様ではなく、大公女である自身に向けられているのだと大公を説得した。
そして。
「フェルディナント様……わたくしと共に、この国を守ってくださいますか」
二人は大公の前で、手を取り合った。
「それが、クラウニッツ卿の策だったのですね」
公城のバルコニーから、私たちはパレードに向かう屋根を取り払った馬車に乗り込むエレオノーラ様とフェルディナント様を見守っていた。
「エレオノーラ様は元々、とても優秀な公女様でした。ところが、年齢が上がるにつれ、大公様が女性である公女様への教育に消極的になっていったのです。それを我が皇后陛下は気にかけておいででした」
私はため息をついた。皇后陛下の視野の広さには脱帽する。
「ここまで上手くまとまったのは、あなたがローゼンフェルト卿を動かしてくれたからですよ。そうでなければ、もう少し荒事も必要だったかもしれません」
「恐れ入ります」
クラウニッツ卿はこの好々爺然とした顔の裏で、いったいどれほどの策を弄していたのだろう。
眼下で馬車が出発すると、公城の大広間では音楽が流れ出した。パーティーの始まりである。
「私は部屋に戻って寝ます。徹夜だったもので」
ひと仕事を終え、クラウニッツ卿はそう言って自身のゲストルームへと戻っていった。ヨーゼファ様はダンスの誘いが殺到していた。扇にこっそりと書いたメモを見て、ダンスを踊る順番を確認しては男性の手を取っている。
私は目立たないように、一人でもう一度バルコニーへ出た。会食やパーティー続きで、もうヘトヘトだった。
「もう、早く帰りたぁい。リースル、疲れたぁ」
当然後ろにリースルがついてきているだろうと、振り返りもせず私はバルコニーにしなだれかかった。
「大活躍でしたね。お疲れ様でした」
その低く穏やかな声に、私は体を一瞬で起こした。
「……だ、第二王子?」
私は視線でリースルを探した。窓の内側から、様子を窺っているのが見える。
「メイドには二人きりにしてもらうようお願いしました」
「……よろしくないのでは?」
「誰も見ていませんよ」
第二王子も今日はさすがに昼の盛装をしている。こうして厳つさを払ってしまえば、やんちゃそうな印象は否めないが、なんとも整った顔立ちの青年である。
「あなたの言う通りになりましたね」
「……いいえ。私の思っていた以上の収穫ですわ」
「それもあなたの蒔いた種でしょう」
私は肯定も否定もしなかった。それはその通りかもしれないけれど、私一人ではここまで育たなかったはずだ。
「あなたのご意向にも沿えたはずですね」
「ええ。父王をどう誤魔化そうかと考えていましたが、ここまで鮮やかにひっくり返されては父も文句は言えないでしょう」
「ご婚約は本意ではなかった、と」
「当然でしょう。あなたの国とは違います。私は黙って従ったりなんてしませんよ」
第二王子はバルコニーに肘を乗せて頬杖をついた。その砕けた行動に私は多少面食らう。
「コートが汚れますよ」
王子は私を見上げた。
「あなただって、もたれていたじゃないですか」
「…………あれは」
「誰もがあなたを完璧な令嬢だと思っている。私もつい先程まではそう思っていましたが、そうではないんですね」
「誰しも常に完璧でいるのは、難しいと思いますわ」
「そうですね。私もそう思います」
私はエレオノーラ様とフェルディナント様が進んでいった、城から伸びる道を眺めた。王子もそちらへと視線を移す。
「これで私は自由の身。あなたは、まだ?」
「自由の身だなんて。プロイツェンの王子様の婚約が消えたとなれば、次は花嫁候補が殺到するのでは? 私とは違います」
「あなたは、自由にはなれないと」
「当然です。この身はすべて、皇后陛下の御心のまま」
私はそっと左胸に手を当てた。
「だから、皇太子のサポートにされても、皇太子から婚約破棄されそうになっても、何も言わないんですか?」
「……それが私の役目ですから」
もういいだろう。これ以上話しても意味はないと判断して、私はドレスをつまんで礼を取った。
もうこうして会うことはないだろう。彼は我が帝国最大の敵国の王子だ。
「それでは、これで失礼します。第二王子殿下」
前を通り過ぎようとした私の腕を王子が掴んだ。その手の強さに、私は驚く。振り返ると、青空の瞳がすぐそこにあった。
「アウグスト、と」
「……はい?」
「アウグストと呼んでください。アンネリーゼ嬢」
私は王子の瞳を見つめ返しながら、強く言った。
「お断りします」
私は掴まれた腕を反対の手で外し、バルコニーをあとにした。
*
拝啓、偉大なる国母、皇后陛下
この度は休暇旅行を許可いただき、感謝の念が絶えません。おおいにリフレッシュしてまいりました。
第五皇女殿下、大公女と親交を深め、またクラウニッツ卿の八面六臂の活躍を間近に拝見し、故郷ではできない体験を通してわたくしは急激な成長を遂げたことでしょう。
近いうちに、陛下にわたくしの成長した姿をお見せできることを楽しみにしております。
心を込めて
あなたの見守る子のうちの一人である、アンネリーゼ・フォン・エーレンベルクより
追伸
帰国して落ち着きましたら、皇太子殿下のご様子を伺いに、皇宮へ参上いたします。




