5.失恋令嬢は敵国王子を知らない
エレオノーラ様の紹介で、近くのザッセン磁器工房を見学させていただいた日の夕方。どこかの小姓が手紙を持って私の部屋を訪ねてきた。
「フェルディナント様からです」
リースルの報告に、私は手に入れた希少なデザインのカップを包みに戻し、手紙を読んでからすぐに返事をしたためた。返事を受け取った小姓は、そのまま部屋を飛び出していった。
「例のお返事ですね」
リースルが言う。手紙には、庭園での散歩のお誘いが書いてあった。
「支度をお願い」
初夏の日は長い。晩餐の少し前だというのに、外はまだまだ明るかった。フェルディナント様は迷路庭園の出口で待っていた。
「すみません、こんなところまでお呼び立てしてしまって」
「構いません。オスタリッヒの人間と親しくしていると噂が立っては、困るのはお互い様ですから」
「ご理解、感謝します」
フェルディナント様は帽子を取って挨拶をしつつ、日傘を差して立つ私の様子を控えめに観察した。先日お会いしたときは薄暗い室内だったので、私をしっかり見たのは初めてのはずだ。
「……どうかしました?」
「あ、いえ、すみません。あの、思っていた以上にお若い淑女だなと……すみません」
年齢に言及するなど紳士としては言語道断であるが、ここまで恐縮されれば怒る気にもならない。私は表情を変えずに本題に入った。
「それで、お気持ちは固まりましたか」
フェルディナントは手にしていた帽子を頭に乗せてから背を向けた。歩こうという意思表示と受け取り、私もその後に続く。
「兄に話しました」
「はい」
「私なんかに、この国を守ることができるのかと……自信がないと、言いました」
ええい、要領を得ない。結論から聞かせろ、結論から!
……と思っても、口には出さない。私は我慢強く彼が話すのを待った。
「そうしたら、兄に怒られました。自信じゃなくて、覚悟なんだと。完璧にできることなんて何もない。完璧じゃなくても、やるかやらないか、それだけなんだ、と。あなたと同じことを言うんです」
「……そうですか」
「兄が頭を下げて回ると、言ってくれました。親交のある貴族たちへも、伯父である大公へも。この国を、ザッセン公国を、プロイツェンにもオスタリッヒにも傷つけさせないために、おまえが立つのだと」
さすがは大公家に連なる侯爵家の当主である。兄君は相当胆力のある人だということがわかった。
「兄にそこまで言われて、やらないわけにはいきません。エーレンベルク嬢。私にできることをやってみようと思います」
フェルディナント様が振り返った。まだ表情に力強さはない。でも、やってみようと言ったことは評価しよう。私は冷静に頷いた。
「時間がありません」
「はい。早速今夜から、挨拶回りと大公の説得材料を探ります」
「それともうひとつ。街に噂を流してください」
「噂?」
「外堀も同時に埋めていきましょう。あなたの強みは最大限使っていかなければ」
私はいくつかの案をフェルディナント様に話した。フェルディナント様はやはりどこか頼りないまま、それでも「わかりました」と言って去っていった。
私は部屋に戻ると晩餐前にクラウニッツ卿へ宛てた手紙を書き、親オスタリッヒ派の貴族たちへの根回しをお願いした。この数日でクラウニッツ卿がどれほどの閣僚たちをこちら側に引き入れているかが今回の鍵になる。
プロイツェンも我々の動きに気付いているだろうけれど、元々ザッセンとオスタリッヒは古くから親交がある貴族たちも多い。私も父と親しくしている貴族のいくつかに話を通していた。ザッセン国内の親オスタリッヒ側と我々が結束したら、勝機はあるだろうと見ている。
さて。私にできることはこのくらいだ。暮れゆく空を眺めながら今後の行く先に思いを馳せていると、リースルが私を呼んだ。
「アンネ様。そろそろお時間です」
毎晩、晩餐が続くと気疲れしてくるのだ。早く家に帰りたい。けれど、この事態がオスタリッヒにとっての勝利で終われなければ来た意味がない。まだまだ休めなさそうである。
*
今日もヨーゼファ様と落ち合って晩餐会場へと移動する。今晩からプロイツェンの使節団も参加するだろう。プロイツェンの国王には三人の王子がいる。おそらくはその中の誰か――皇太子である長男の可能性は低いから、二男か三男だろう――が参加しているはずだ。
そして、今回来ている王子がエレオノーラ様の婚約者候補なのだろう。前情報がないことに私は少し不安を感じていた。
会場は人数が増えたこともあり、昨日までとは違う広間だった。公城の使用人に案内を受けて会場に入ると、すでにプロイツェンの使節団が席についていた。
ヨーゼファ様が姿を現すと、それまで騒々しかったテーブルが鎮まる。……一瞬、緊張感がその場を駆け抜けた。ヨーゼファ様が足を止めた。
「お待ちしていましたわ、ヨーゼファ様」
エレオノーラ様が立ち上がってヨーゼファ様を迎え入れる。
「昨日到着いたしました、プロイツェンの方々ですわ」
ずらりと居並ぶ男たちが黙礼をする中、最も上座に座っていた男が立ち上がった。艶のある黒髪と、王族にしては重々しい鎧のような服を纏った男。彼はエレオノーラ様の傍らへ進み出ると、威圧感のある体で頭を下げ、先にヨーゼファ様に挨拶をした。
「大いなるオスタリッヒ帝国の第五皇女殿下。はじめてお目にかかります」
彼が顔を上げた。空色の瞳が一瞬、ヨーゼファ様の隣にいる私に向いた。――この男は。
「プロイツェン王国第二王子、アウグスト・アルブレヒト・フォン・ホーエンヴァルトと申します」
「プロイツェンの第二王子殿下。わたくしはマリア・ヨーゼファ・アントーニア・フォン・アーベンスブルクです」
ヨーゼファ様が左手を差し出すと、第二王子が鼻先をそっとヨーゼファ様の手の甲に近付けた。
「さあ、晩餐を始めましょう。ヨーゼファ様、こちらにいらして」
そう言うと、エレオノーラ様はヨーゼファ様を自身の隣の席に座らせる。エレオノーラ様の正面にあの男――プロイツェン王国の第二王子が着席した。私も少し離れた下座に着席した。
まさか、あの男が王子殿下だったなんて。
使節団とは別に、先にザッセン入りしていたのだろうか。根回しのために?
クラウニッツ卿は仕事のために今晩の晩餐には参加していない。プロイツェン側の不穏な動きは今のところ報告がないし……。
考え事をしていると、隣に座った他国の令嬢に話しかけられてしまい、私は食事と会話に集中するしかなかった。
「皇女様」
晩餐会場を出て、そそくさと帰ろうとしていた私とヨーゼファ様を呼び止める声があった。
「これは、第二王子殿下」
ヨーゼファ様が相対する横で、私はドレスをつまんで頭を下げる。
「どうかなさいましたか」
「ああ、いえ。大したことではないのですが。そちらのご令嬢は」
第二王子の視線が私に移った。そう来たか。
「こちらはエーレンベルク伯爵令嬢です。わたくしの侍女として一緒に滞在しています」
ああ! 紹介されてしまった。面倒な……もう二度と関わりたくなかったのに。なんで来たの? また嫌味でも言いに来たのか? わざわざ?
内心を隠しながら私は渋々顔を上げた。青空の瞳と私の視線がぶつかる。
「はじめてお目にかかります。アンネリーゼ・フォン・エーレンベルクでございます」
「……はじめて」
「はじめまして」
面白そうに繰り返した第二王子に、私は念押しで言い切った。ヨーゼファ様が目を丸くしている。
「……先日、礼を失した振る舞いをしてしまったご令嬢かと思って謝罪を申し上げたかったのですが。どうやら人違いだったようです」
「まあ。王子殿下のような身分の方がわざわざ謝罪を? 素晴らしいお人柄なのですね。そのご令嬢が見つかることを祈っています」
私はにっこり笑って、もう一度礼をした。ヨーゼファ様を促して、第二王子に背を向けたのだった。




