4.失恋令嬢は新たな選択肢を提示する
ドレスデール城の内装は大理石の壁に金の装飾、白い磨りガラスがはめ込まれた天井からは豪奢なシャンデリアがぶら下がっていた。
ヨーゼファ様と晩餐に向かう途中、廊下で待っていたクラウニッツ卿と連れ立って歩く。
「プロイツェン側が到着しました」
クラウニッツ卿が囁く。来週の誕生祭に向けて近隣諸国の王侯貴族たちが続々とドレスデール城入りを果たしていた。
「首尾はいかがですか」
「大公とは協議を続けています。ただ、閣僚たちは割れているでしょうな」
「プロイツェン派とオスタリッヒ派、ですか。閣僚たちの意見をまとめる案がなければ、我々にはかなり不利な状況ということですね」
「おっしゃるとおりです」
私は少し考え込んだ。聞けば聞くほど、ピッタリなんだよなぁ、彼。
「先日、ヨーゼファ様がおっしゃっていたことを覚えていらっしゃいますか? エレオノーラ様の初恋について」
「はい」
「お相手がわかりました。ローゼンフェルト侯爵の弟君だそうで。ザッセン国内での民衆人気も高く、大公家と血縁があり、ご身分も不足ありません」
「なるほど……その方を大公女様のお相手に推薦すると」
「はい。我々側で対抗馬を出すよりも、国内貴族の方がまとまりやすいでしょう。ただし、彼が皆を納得させる力を持っているかは未知数です。私はそこを探ろうと思います」
「あなたが?」
「帝国の宰相が近付けば、彼も周囲も警戒するに決まっています。傀儡と思われるのも心外ですし」
「いいでしょう。こちらはこちらで動きますが、あなたの策が上手くいく方が、この国にとってもいいことでしょう」
クラウニッツ卿が朗らかに言った。私もそう思う。……エレオノーラ様のためにも。
*
「フェルディナント・フォン・ローゼンフェルト様」
晩餐後。キャンドルの灯りを頼りに賭け事に興じるごく親しい集まりの中、薄暗い壁際でひとりその様子を眺めるフェルディナント様に声を掛けた。私は口元を扇で隠しながら目だけで微笑む。
「あなたは」
「突然のお声がけ、お許しください。オスタリッヒ帝国エーレンベルク伯爵の娘、アンネリーゼと申します」
「アンネリーゼ嬢」
「賭け事には参加されませんの?」
そう訊ねると、彼は気まずそうに頷く。
「苦手でして」
素直な人だ。腹の探り合いなど無縁そうな、そばかすの散った頬と茶色の巻毛。朴訥な印象だが、コートはなぜだかとても立派な織りの上等な仕立てだった。まるで借りてきた衣裳のように。
「わたくしもです。少しは慣れた方がいいと友人から勧められてここに来ましたが、どうも馴染めなくて。お隣よろしくて?」
隣のソファを示すと、彼はもちろんと手振りで許可した。
「ワインはどうですか」
「では、少しだけ」
フェルディナント様は、自分が飲んでいたボトルから新しいグラスにワインを注いで私に手渡した。
「ザッセンへ来たことは?」
「今回が初めてです。とても落ち着いていて、美しい国ですね」
「ありがとうございます」
二、三世間話をしながら、私は周りの様子を窺う。ヨーゼファ様、エレオノーラ様は晩餐が終わると部屋に戻っていった。クラウニッツ卿はテーブルについてポーカーに勤しんでいる。到着したばかりのプロイツェン側の人物はさすがにまだ参加していない。今がチャンスだ。
「ところで……大公女様とは、ずいぶん親しいご様子ですね」
核心をつくと、フェルディナント様がハッとしたように私を見た。
「……ええ。従兄妹ですから」
「花にエレオノーラと名付けられたとか」
「白く可憐な花は、妹のように可愛がっていた彼女によく似合っていました」
取り繕ってはいるが、焦りと警戒で握りしめた手が丸見えである。どうやら思った以上に、彼にとってエレオノーラ様は大事な人のようだ。
もしかすると、もしかするかもしれない。
「……今、この国の貴族たちはふたつに割れています。プロイツェンを味方につけるか、オスタリッヒの手を取るか」
私の話に彼は怪訝そうに眉をしかめる。
「それが私に、なんの関係が」
「あなたが3つ目の選択肢になるのです」
「私が?」
「プロイツェンでもなく、オスタリッヒでもなく、どちらにも与することなくザッセンが中立を維持する選択肢に。それは大公女様を他国に売ることのない選択肢です」
大公女を売る。意図的に強い言葉を使った私に対して、彼はやはり素直に反応した。
「……私は政治家でもなければ、貴族たちに根回しできるようなコネクションもありません」
「政治家である必要はありません。あなたは実務能力とその慈悲深さで民衆を味方につけ、貴族も無視できない存在になればいいのです。政治は専門家に任せればいいのです。ブレーンを立てるには人を見る目が必要ですが。コネクションなら兄君が立派に役立ちます。あなたは必要なものをすでに手の中にお持ちですわ。ひとつを除いて」
「ひとつ?」
「覚悟です。大公女様を愛する覚悟。この国を背負う覚悟」
「……そんな」
そんな急に。小さく呟いて、彼はしぼんだ花のように頭を項垂れた。
彼は、大公家に連なる侯爵家の人間だ。だというのに、政争に巻き込まれることをこれまで一度も考えたことがなかったのだろう。
国は大公家がなんとかするし、領地は兄が責任を取る。彼はサポートに徹すればいい。彼自身が何かを背負う必要はどこにもない。
その方が、楽に生きられる。けれど。
「我が国の宰相は、プロイツェン側につかせないためにありとあらゆる手を尽くすでしょう。それでももし、プロイツェンとの婚約が相なった場合、帝国は敵になります」
「……それは」
「我が国にも譲れないものがあります。けれど、そうならないように努力したいのです」
自分が生まれたことに意味があるのなら、私はその使命を全うしたいのだ。国のためでも、誰かのためでもない。それは、私のために。
「なぜ私に……」
「ちょうどいいからです」
「ち、ちょうどいい……」
「家柄も、性格も、人気も、あと生まれの順も。人には定めというものがありますもの」
それに。エレオノーラ様の私室で見た一点もののティーカップ。描かれていた花は、エレオノーラだった。
有名なモチーフではないから、エレオノーラ様が描かせたのだろう。
「お返事、お待ちしています」
フェルディナント様は重い足取りで退室した。非常に優柔不断そうで、どこか助けてあげたくなる雰囲気を持つ人だ。……そういう人は上に立つのに向いている。
ワインのせいか、顔が熱くなってきた。ふわふわする。フェルディナント様の背中にヨハン様を見てしまって、喉に苦いものがこみ上げた。
「本当に、婚約破棄されちゃうのかなぁ……」
小さく呟き、立ち上がる。ヨハン様の希望を叶えてあげたいと思って承諾したけれど、現実的に考えて皇后陛下がそれを許可するはずはないのだ。それに、私が皇太子妃――ゆくゆくは、皇后――になるためにこれまで支払ってきた代償は、彼の希望に沿って棄ててしまえるもの? 私の感情は?
頭がふらついてワイングラスを持つ手が下がったとき。誰かの手が私の手ごと、グラスを支えた。
「大丈夫ですか?」
頭上から低く、穏やかな声が降ってきた。よろけないように肩を抱かれているのに気付いたとき、急に頭がクリアになった。
「はい……あ、申し訳ありません」
「ゆっくり、後ろに下がってください。ソファに座って」
たくましい腕に支えられながら、それまで座っていたソファにもう一度腰を下ろす。
「ご気分はいかがですか」
「大丈夫です。少し酔いが回っただけのようです」
「メイドをお呼びしましょうか」
あまりの距離の近さに一瞬警戒したが、あくまで紳士然とした質問に私はやっと頭を上げた。そこに膝をついていたのは、日に焼けた精悍な顔立ちの、黒髪の若い男性だった。
美しい額の下に、青い瞳。ヨハン様の曇り空の瞳とは違い、まるで透き通った遠い空のような。
「……ありがとうございます。控室に、リースルというメイドがいます」
黒髪の男性は近くに控えていた従者に指示し、彼自身は水を持ってきた。
「ありがとうございます」
「構いませんよ」
彼はそのまま、先ほどまでフェルディナント様が座っていたソファに腰を下ろした。
「婚約破棄されたからと言って、自暴自棄になってはいけません」
どこか嘲りを感じて、私は扇を開いた。……聞かれていた。
「……たくさん飲んだわけではありません。はじめてお酒を口にしたのです」
「はじめて?」
青い瞳が面白そうに見開かれる。
「そうでしたか。次からは、酒を飲むときは誰かと一緒にいることをお勧めします」
「ご忠告感謝します」
「美しいお嬢さん。あなたはお綺麗です。婚約破棄の報せを聞けば、求婚者が殺到しますよ」
浅はかな慰めに背中から苛々が駆け上ってくる思いがした。私は皇太子との婚約がたち消えた、教養高く並の男より勉強している女だ。残念ながら、その辺の男からは避けられる人材と言って過言じゃない。
そもそも。なぜ私が「結婚がなくなった」ことに落ち込んでいる前提で話が進む?
私が悲しんでいるのは、ヨハン様と一緒にいられなくなったことだ。皇太子妃という自分の仕事がなくなったことだ。
「――求婚者など、要りません」
酔っているからだろうか。口から言葉が滑り出る。
「私がこれまで、どれだけ国のために役立つように教育されてきたかご存じですか? その辺の男に嫁がなければ生きていけないくらいなら、修道女にでもなりますわ」
人の隙間を縫って、リースルがこちらへやってくるのが見える。私は黒髪の男性を一瞥して、リースルのもとへと向かった。
「つまらない男」




