3.失恋令嬢は他人の恋を探る
ザッセンの首都は、オスタリッヒとの国境にある森林を抜け、エルベ川にかかる橋を越えた先にある、古く素朴な街だった。
街道は馬車がすれ違える程度の広さしかなく、曲がりくねっている。防衛に力を入れて築かれた街であることが窺えた。オスタリッヒのような広大な土地・資源を持つ人口の多い国や、プロイツェンのような新興の軍事大国に挟まれていれば、そのような街づくりになっていくのも当然なのだろう。
私たちの乗った馬車は首都の中央部、ドレスデール城へと進んでいくのだった。
「ヨーゼファ様、よくお越しくださいました」
エレオノーラ大公女と謁見ができたのは、公城に到着した翌日のことだった。エレオノーラ様の私室はペールグリーンの壁紙に金の飾りが施され、窓にはペルシャ織の分厚いカーテンが垂れた美しい部屋だった。
「エレオノーラ様、お久しぶりでございます。この度はご招待、ありがとうございます。とても楽しみにして参りましたわ」
私はヨーゼファ様の侍女として謁見に同席した。
「彼女はエーレンベルク伯爵令嬢です。今回はわたくしのお話相手として一緒に来ていただきましたの」
私は深々と膝を曲げて礼をとった。
「エレオノーラ大公女殿下。エーレンベルク伯爵家のアンネリーゼ・フォン・エーレンベルクでございます」
「エーレンベルク嬢」
「アンネとお呼びくださいませ」
「アンネお姉さまはとても頼りになるんですの。ザッセン滞在中、たくさんお話しましょうね」
ヨーゼファ様には私の身分、つまり皇太子の婚約者(仮)であることは伏せていただくようお願いしてある。皇太子側の人間だと分かればエレオノーラ様に警戒されてしまう恐れもあるし、もし本当に婚約破棄になれば、訂正をしなければならなくなるから。
ソファを勧められ、ヨーゼファ様とエレオノーラ様が腰を下ろしたのを見てから私も一人掛けのソファに座る。
テーブルの上には色とりどりのお菓子と、繊細な柄の、部屋の壁と同じ色があしらわれたティーセットが置いてあった。私は思わず、お茶の注がれたカップを目線の高さまで持ち上げてまじまじとカップに見入ってしまった。
「こちらはザッセン磁器ですね」
「ええ」
「ほんとうに、どれもなんと美しいのでしょう。実は私、ザッセン磁器をコレクションしておりまして」
エレオノーラ様も手にカップを取って、微笑んだ。
「我が国の工芸品をお気に召していただけてうれしいですわ。これは職人に作らせた一点ものです。ご興味がおありでしたら、滞在中に工房をご案内いたしましょうか」
「よろしいんですか?」
「ぜひ」
エレオノーラ様の緊張が少し和らいだ。エレオノーラ様は線の細い、深窓の令嬢といった趣きの女性である。もしかしたら、人見知りなのかもしれない。
「ねえ、エレオノーラ様。婚約するって本当ですの?」
ド直球なヨーゼファ様の発言に、私は思わずカップを落としそうになった。危ない、これはこの城の一点ものの磁器……。
エレオノーラ様もお茶を詰まらせて咽せている。
「えっと、ヨーゼファ様?」
「プロイツェンの王子とって、本当なの? あのね、エレオノーラ様。誤解しないでいただきたいのだけど。わたくしは、エレオノーラ様のことをお友だちだと思っているのよ」
褪せた金髪と愛らしいブルーの瞳のあどけない皇女はハキハキと言い出しにくいことを口にする。
それもそのはず、オスタリッヒ皇家は皇后陛下を筆頭に女ばかりなのだ。あの中で物怖じして遠慮などしていたら存在が消える。男であれ女であれ、主義主張は明確に。……という教えは、ヨハン様には身に付かなかったようだけれど。
ヨーゼファ様はエレオノーラ様の手にそっと触れた。
「別に相手は誰でもいいの。プロイツェンだろうがフランセルだろうが、わたくしはかまいやしないのよ。でもね、エレオノーラ様のことが大好きだから言うのよ。わたくしは、エレオノーラ様には愛した人と結婚してほしいわ」
エレオノーラ様は窺うようにヨーゼファ様を見つめて、そして手を握り返した。
「……前に送った手紙のこと、覚えているのね?」
「ええ、もちろん」
「あれは……まだ、幼かったからだわ。愛なんて呼べるものではないの。それに、わたくしにもできることがあるなら、やるべきだと思っているわ」
「それは、気持ちよりもお国の方が大切ということ?」
「もちろんよ」
「それはつまり、この婚約がエレオノーラ様のお気持ちに寄り添ってない、ということね?」
ああ、そんなにズケズケと……。とても繊細なはずの会話が、ヨーゼファ様によってとても単純明快なものへと変わっていく。もちろん、その通りです。ヨーゼファ様は何も間違ったことはおっしゃっていない。ああでも、でもですねヨーゼファ様……。
口を挟めないで、私は黙ったまま成り行きを見つめる。とてもいい仕事をしてくださっているのは間違いないのに、私の胸はグサグサと矢が刺さるようだった。
「……そんなことはないわ。わたくしは大公女だもの。ザッセンのためになることができるなら、それが本望なの」
「お相手には会ったことがあるの?」
「それは……」
「会ったこともない人と結婚するの?」
「ヨーゼファ様。そのあたりになさいませ」
困り顔になってしまったエレオノーラ様の視線を受け、私はヨーゼファ様を嗜めるふりをした。ヨーゼファ様のおかげで初回にしてはまずまずの収穫である。
「……ごめんなさい、エレオノーラ様。ズケズケと言ってしまって」
自覚はあったんだ。私は苦笑しそうになる口元をそっと扇で隠した。
「いいのよ。ヨーゼファ様のおっしゃることも、もちろん分かるもの。もうすぐ晩餐だわ、いらしてくださるでしょう?」
エレオノーラ様が立ち上がり、私もヨーゼファ様もそれに続いた。晩餐の支度をしなければならない。
「明日は庭園をお散歩しませんこと?」
「ええ、もちろんです」
「よかった。ではまたのちほど」
私たちはそれぞれに礼をして、エレオノーラ様の私室を退出した。
数日後。私たちはほぼ毎日エレオノーラ様と共に過ごして親睦を深めると同時に、クラウニッツ卿の諜報活動と私の実家のつてを使って情報を集めていた。
クラウニッツ卿は主にプロイツェンの周辺を、そして私はエレオノーラ様の周辺をそれぞれに探っていた。
「例の手紙の人物はフェルディナント・フォン・ローゼンフェルト様。前ローゼンフェルト侯爵の次男で、エレオノーラ様の従兄にあたる方のようです」
リースルの報告を聞きながら私は窓の外を見ていた。公城は貴族たちに開かれており、今日も前庭は散歩する人々で賑わっている。
「お父上は二年前に他界。現在は長男のベルンハルト様が侯爵位を継いでいらっしゃいます。フェルディナント様はお父上、兄君について領地経営を学び、現在は兄君と二人で領地を運営されていらっしゃいます。若くても領民に寄り添うお二人は、領地民だけでなくザッセン国内でも人気があるとか」
「ご結婚は」
「フェルディナント様は弱冠二十歳の独身です」
「恋人は」
「お仕事に邁進しておいでで、浮いた噂はなさそうですね」
ふむ。顎先に指を当て私はエレオノーラ様の初日の様子を思い出していた。
――前に送った手紙のこと、覚えているのね?
ヨーゼファ様に言った言葉。それはつまり、エレオノーラ様も自身が手紙に書いたことを覚えているということ。
もしほんとうにどうでもいいことなら、そんなことすら覚えていないはず。
それに、フェルディナント・フォン・ローゼンフェルト様は非常に都合がいい。侯爵家の子息、エレオノーラ様の四歳上、次男、領地経営を勉強していて国民人気も高い。
もしプロイツェンとの縁談がなければ、真っ先にエレオノーラ様のお相手に名が上がるはずだ。
何より、国民はプロイツェンの王子より国内貴族の方を支持するだろう。
……ただし。これはあくまでオスタリッヒ側の見立てだ。表立ってオスタリッヒがフェルディナント様を支持すれば、それは代理戦争に他ならない。
あくまで、フェルディナント様が自らの意思で動かなければ、お話にならないのだ。
「……一度、会ってみましょう。その、フェルディナント・フォン・ローゼンフェルト様と」
前庭の端、植え込みの前に若い青年貴族が立っているのが見えた。城内から出てきたエレオノーラ様は真っ直ぐに彼のもとへ向かっていく。
そう、私は彼の気持ちを確かめなければならない。




