修羅の国編⑥
(落ち着け……あくまで修行だ……)
時雄は深呼吸をして背筋を伸ばし拳を構えた。日差しは肌を灼くように熱いが意識は研ぎ澄まされている。かぐやの足音が背後から近づく度に集中力を削がれる気がした。
「右足を半歩前へ。膝は軽く曲げて。呼吸は丹田から」
かぐやの指摘は的確だった。一歩踏み出すごとに彼女の香りが鼻腔をくすぐり—
「邪念が出たら叩き直すわよ」
突然背中を叩かれバランスを崩しかける。「危ねえな!」振り返るとビキニ姿のかぐやが睨んでいる。
「姿勢!」
慌てて構え直すが今度は胸元に目が行ってしまい……
「それ以上視線を下げるなら……」
かぐやの手刀が風を切り、時雄の耳元で止まった。髪が数本舞い落ちる。
「了解だ」
「よろしい。では五分ごとに神力循環を行います」
時雄の背中にかぐやの手が触れる。冷たい掌から熱い粒子が流れ込んでくる感覚。これが神力かと理解するより先に意識が揺らいだ。
「神力には特性があるの。例えば私の場合は—」
彼女の言葉途中で視界が暗転した。全身から汗が噴き出し膝から崩れ落ちる。
「ちょっと!しっかりして!」
かぐやの慌てた声と共に抱き起こされ—至近距離で見つめられてしまった。
「うぅ……」
意識が戻りつつあるが目の前には柔らかい胸元と甘い吐息……理性の糸が切れかけて—
「ばか者!」
頭頂部にチョップ一閃。
「戦闘中こんな弱さでは生き残れません!」
怒号と共に掌打が腹筋を打ち据える。衝撃で胃液が逆流しそうになる中、時雄はかろうじて耐えた。
「分かった……努力する……」
「ならば続けなさい!」
時雄は何度も気を失いながらも立ち上がり続けた。途中で水着姿のかぐやの画像を思い描き自己暗示をかけることで精神集中を保ったものの肝心の姿勢練習は一向に上達しない。
「今日のノルマ未達成です。追加で空手組手百本」
「無茶言うなよ……」
疲れ果てた身体を引きずり立ち上がったところでふと思いつく。
「なぁ」
「何?」
「水着以外にもいろんなコスプレ見たいんだが」
「なぜ?」
「報酬があった方がやる気になるし」
「なぜ?」かぐやが眉をひそめる。「修行に関係ないでしょう?」
「いやいや」時雄が汗だくの顔で必死に訴える。「モチベーションが違うんだって! 水着だけじゃ飽きてきたし……ほら、戦隊モノとかさ」
「くだらない」かぐやが即座に一刀両断する。「そんな低俗なものに現を抜かしてる場合ですか」
「だったら医療関係の白衣とかどうだ? 怪我したとき治療してくれる感じで……」
「ますます意味不明ですね」かぐやが腕を組む。「そもそも何故そんなにコスプレにこだわるんですか」
「だってお前が美人だからさ!」
時雄が真剣な眼差しで見つめる。「いろんな衣装で見せてくれればやる気100倍だろ?」
かぐやの頬が微かに紅潮する。しかし次の瞬間には厳しい指導者の顔に戻っていた。
「……条件があります」
「おっ?」
「全ての修行項目を達成したら一日一着ずつ許可します」
「マジかよ!」時雄が飛び上がる。「どれからリクエストできるんだ?」
「まずは明日の夜までに基礎動作を百回」かぐやが指を立てる。「それが終われば特別演出タイムを設けましょう」
「聞いたか聞いたか?」時雄が興奮気味に拳を握りしめる。「まずはナース服からお願いしマース!」
「了解しました」かぐやが砂浜に陣取る。「では三倍速で始めますよ」
時雄が泡を吹いて倒れそうになる中、夕暮れの波音だけが静かに響いていた。
「次はマーシャルアーツよ。アメリカの刑務所で行われてるらしい技ね」
「刑務所?」時雄がかぐやを訝しげに見つめる。「なんでそんな物騒な場所の戦術を?」
かぐやが砂浜に設置された模擬リングの中央に立ち、鞭のような腕を一閃させた。風切り音とともに仮想敵役の木人が粉砕される。
「囚人たちは常に限られた資源で戦わなければならない」かぐやが説明を始める。「衣服の一部を武器化したり相手の死角を利用したり……」
「なるほど」時雄が顎に手を当てる。「でもそんな技術どこで……」
「資料を読み漁りました」かぐやの目が鋭くなる。「貴方の時代遅れな空手と違って現代的な戦略が必要なの」
「へいへい」時雄が肩を竦める。「それで具体的には何を?」
「まずは『ブラインド・タックル』」かぐやが彼をリング中央に招く。「目潰しと同時に関節を狙う複合技よ」
「相手が盲目だと聞いてるけど」時雄が不安げに尋ねる。「普通の目潰しとどう違うんだ?」
「違うわ」かぐやが容赦なく接近し、「こうやるのよ!」
彼女の指先が時雄の眼球に向かって突進する。咄嗟に腕でガードした瞬間—
「甘い!」
かぐやの膝が時雄の股間を正確に捉えた。悶絶する彼を尻目に彼女は講義を続ける。
「効果的にダメージを与えつつ次の攻撃機会を作る。これがマーシャルアーツの基本理念」
「解説しながら……蹴るなって……」時雄が砂浜に蹲りながら呻く。
「情けは無用。次は『アンクル・クラッシュ』」かぐやが再び詰め寄る。「足首への集中打で平衡感覚を奪う技」
「ちょっと待てって!」時雄が慌てて逃げる。「せめて休憩を—」
「敵は待ってくれない」
「それならたまには敵剣士が使用した飛ぶ斬撃を練習したいです」
「飛翔刃を?」
かぐやの眉が吊り上がる。時雄が得意げに『天照』を掲げる。
「あの剣士が使ってたやつだよ! 遠くから敵をズバッと!」
「だめ!」
かぐやが即座に否定する。
「基礎技術もないのに…いや、使えるでしょうけどどうせまた中二病全開ではしゃぐでしょ」
「そりゃあ……多少はカッコつけるかもだけど!」時雄が食い下がる。「でも飛翔刃があれば遠距離から攻撃できるだろ?」
「理論的には可能」かぐやが腕を組む。「ただし神力消費が大きい。下手に使うと『天照』自体が暴走する危険もある」
「暴走?」時雄が眉をひそめる。
「ええ」かぐやの表情が険しくなる。「以前の刀製作時の失敗を覚えてる? あれと同じ現象よ」
時雄が冷や汗を垂らす。あの時は爆発で吹き飛ばされた記憶が蘇った。
「わかった……慎重にやる」
「まずは型から」かぐやが砂浜に線を引く。「両足を肩幅に開き右手を刀に添える」
時雄が指示通り構える。
「神力を刀身に集中させて。波動のように放出するイメージで」
「ふんぬ!飛翔刃!」刀で袈裟切りをすると衝撃波が飛び出し海面を切り裂きながら飛んで行った。
「もう一回! 飛翔刃!」時雄が高揚した声で刀を振るう。無数の斬撃が海面を割りながら飛び去り、数百メートル先で巨大な水柱が噴き上がった。
「やったぜ! これで遠距離も完璧だ!」
彼が勝利のポーズを決める横で、かぐやが額に手を当てる。彼女の背後では飛翔刃を受けた海が不自然に歪み始めていた。
「だから嫌なのよ。中二病男は…、それにしても物理攻撃だけは私を凌駕するはね。攻撃だけは…」
かぐやの声が低く響く。
「そこ、強調しなくていいだろ!」
時雄が不服そうに顔をしかめる。しかし次の瞬間──
轟音と共に海面が爆発した。飛翔刃を受けた海域が奇妙に隆起し、黒い巨影が浮上し始める。
「やべっ!?」
二人が同時に跳躍する。砂浜へ着地した直後、直径数十メートルの触手が襲いかかった。
「予想通りの事態ね」かぐやが冷静に分析する。「あの剣士の飛翔刃は空間干渉型。海洋生態系に歪みを生じさせたわ」
「どうすんだよ!?」
時雄が恐怖で硬直する。目の前には巨大なイカの化け物──否、古代種の海洋モンスターだ。
「貴方が呼んだ生物よ」かぐやが冷たく言い放つ。「責任持って退治しなさい」
「無茶言うなって!」
「できますよ。今の『天照』なら」
かぐやが時雄の背中を押す。
「さあ行け。本気の飛翔刃で!」
巨大イカの触手が鞭のように迫る。時雄は歯を食いしばり──
「うおおっ! ハイパー・飛翔刃!!!」
刀を振るう。しかし神力の制御が乱れ、荒れ狂う竜巻のようなエネルギー波が暴走する。
「ばか者!」
かぐやの手刀が時雄の首筋を打ち抜く。意識が遠のきながらも──
(羅夢ちゃんの笑顔が見える……)
「しっかりしなさい!」
かぐやが彼の肩を揺する。
「飛翔刃は指向性を持つよう神力を調整するの!」
朦朧としながらも時雄が頷く。かぐやの指導のもと、再び刀を構える。
「今度は……集中して!」
白銀の軌跡が描かれ──
一刀両断!
巨大イカの胴体が左右に裂ける。粘液の雨が降り注ぐ中、時雄が誇らしげに胸を張る。
「な? 出来たじゃん!」
「まだ終わっていません」
かぐやの警告通り、切断面から小型モンスターが大量に飛び出し始めた。
「おいおい!?」
「殲滅モード開始です。百本連続斬撃」
時雄の悲鳴が夕日に吸い込まれていく。
「よし……次は飛翔刃の改良型よ」
かぐやが手のひらで海水を掬う。時雄が安堵したのも束の間──
「射程距離二キロの貫通弾と拡散型爆撃を同時に使い分けられるようにするの」
「はあ!?」時雄が目を剥く。「いくらなんでもムチャすぎねえか? さっきのだけで精一杯だぞ!」
「甘いわね」かぐやが掌を強く握りしめた。「あなたは『天照』の真価をまだ全く引き出していない。ただの小僧の遊びに過ぎない」
「小僧て!」時雄が歯軋りする。「俺だって一生懸命やってるっつーの! そんな言い方するならもう協力しねえからな!」
「協力?」かぐやの目が鋭く光る。「どちらかといえば保護者に近い立場だと思うけれど? 貴方が暴走した場合のブレーキ役として、それに私の水着やコスプレ諦めるの?」




