宗教が爆誕した。僕を祀る宗教が
宗教が爆誕した。僕を祀る宗教が
聖炎事件から三日が経った。
状況は悪化の一途を辿っていた。いや、「悪化」という表現は正確ではないかもしれない。崇拝派の神官たちに言わせれば、これは「神聖なる発展」だそうだ。
ヴァルゼンに言わせれば、地獄の進行だった。
「陛下。本日の予定をお伝えします」
朝食の席で、ザガンが淡々と報告した。
「崇拝派の代表者テオバルドが、正式な会談を申し入れてきています。議題は——新たな教義の制定に関するご意見を賜りたい、とのことです」
「教義。教義って、宗教の教えのこと?」
「はい」
「僕に意見を求めるの? 宗教の教えについて?」
「はい」
「なんで?」
「あなたが御神体だからです」
ヴァルゼンのスプーンが皿に落ちた。
(御神体。御神体って言った。僕が。僕が御神体)
「ザガン」
「はい」
「今の、もう一回言って」
「あなたが御神体だからです」
「聞き間違いじゃなかった……」
エルヴィンが隣で豪快に笑った。
「はっはっは! ヴァルゼン殿、ついに神になったか!」
「なってない。なってないから」
「いや、だが考えてみれば道理だ。魔王でありながら聖炎に認められた。人間と魔族の架け橋——それは確かに、信仰の対象になり得る」
(ならない。なり得ない。どこの世界に、ゴブリンより弱い御神体がいるんだ)
会談の場は、王都の高級茶館の個室だった。
テオバルドは、三日前よりさらに目を輝かせていた。背後には書記官まで控えている。完全に公式の場として準備されていた。
「ヴァルゼン様。まず、我々の活動についてご報告申し上げます」
テオバルドが恭しく頭を下げた。
「聖炎の奇跡を目撃した神官を中心に、新たな信仰の道を歩む同志が急速に集まっています。三日で百名を超えました」
(百名。三日で百名。増えすぎだろ)
「我々は、この新たな信仰を——『聖魔教』と名づけました」
世界が一瞬、止まった気がした。
「……聖魔教」
「はい。聖と魔を超越した存在——すなわちヴァルゼン様を中心とした教えです。教義の骨子は以下の通り——」
テオバルドが羊皮紙を広げた。そこには美しい文字で、教義の草案がびっしりと書き込まれていた。
「第一条。聖と魔は本来一つの力であり、人為的に分断されたものである。第二条。聖炎に認められし魔王ヴァルゼンは、聖魔の統合を体現する超越的存在である。第三条——」
「あ、あの、待ってください」
ヴァルゼンが震える声で遮った。
「僕が超越的存在って——いや、僕は本当にただの——」
「第三条。ヴァルゼン様の謙虚さそのものが教えの根幹であり、信徒は虚飾を捨て、真の自己と向き合わねばならない」
(僕の謙虚さが教義になってる。謙虚じゃなくて、自己評価が正確なだけなんだけど)
「第四条。ヴァルゼン様は俗世の崇拝を求めない。ゆえに信徒もまた、崇拝を強要してはならない。ただし心の内で聖魔の調和を祈ることは、万人の権利である」
(崇拝を求めてないのは事実だけど、理由が違う。求めてないんじゃなくて、求められると困るんだ)
フェリクスが背後で手帳に書き込む音が聞こえた。
「見事な教義設計です。教祖が否定すればするほど教義が補強される自己完結構造——宗教学的に極めて洗練されている」
(それ褒めてるの? 助けを求めてるんだけど)
「ヴァルゼン様。何かご意見はございますか?」
テオバルドが期待に満ちた目で見つめてきた。
ヴァルゼンは口を開いた。ここではっきりと否定しなければならない。「僕は超越的存在なんかじゃない」「聖魔教なんてやめてくれ」「お願いだから普通にしてくれ」——言うべき言葉は山ほどあった。
「……皆さんが、幸せに暮らせるのであれば、それが一番いいと思います」
(違う。そうじゃない。なんで本音が言えないんだ僕は。テオバルドさんたちが真剣だから。あの目の輝きを打ち砕くのが、怖いから——)
テオバルドの目が、さらに輝いた。
「……お言葉を賜りました」
書記官が猛然と羊皮紙に書き込み始めた。
「『信仰とは、民の幸福のためにある』——なんという……なんという深淵な……」
(深淵じゃない。当たり障りのないことを言っただけだ)
会談が終わった後、宿に戻る道中でザガンが呟いた。
「陛下。ご自覚はおありですか」
「何の」
「あなたが何を言っても——いえ、何も言わなくても——状況が拡大していくことの」
「……薄々」
「聖魔教は遠からず、大神殿の一派閥ではなく独立した宗教組織になるでしょう。そしてその中心には——」
「やめて。言わないで」
「あなたがいます」
(言ったよこの人)
グリゼルダが横で静かに頷いた。
「ヴァルゼン様。お気持ちは察します。しかし——彼らの目は本物でした。あなたに救いを見出している」
「僕に救いなんて——」
「ある。私も——あなたに救われた一人です」
グリゼルダの声は、いつもの硬質なものとは少し違った。柔らかさが混じっていた。
(グリゼルダさん……)
嬉しかった。嬉しかったが、同時に胸が締めつけられた。
救った覚えはないのだ。何一つ。
ミラベルが隣に並んで歩きながら、小さく微笑んだ。
「ヴァルゼン様。きっと——今はわからなくても、いつかわかる日が来ます」
「何が、ですか」
「あなたが、どれだけの人を照らしているか」
(照らしてない。何も照らしてない。僕は——ただ怯えて、流されているだけだ)
でも——ミラベルの笑顔は温かかった。
その温かさに甘えている自分が、ヴァルゼンは少しだけ嫌いだった。
宿の部屋に戻り、一人になった。
天井を見上げる。
(聖魔教。僕を祀る宗教。百人の信者。教義四条。——何がどうしてこうなった)
答えは出ない。出るはずもない。
ただ一つ確かなのは——明日もまた、ヴァルゼンの意志とは無関係に、世界が回り続けるということだけだった。




