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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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王都、魔王に染まる

 王都、魔王に染まる


 異変に気づいたのは、朝食の席だった。


 宿の食堂で、ヴァルゼンはいつものようにパンをちぎって食べていた。手づかみで。晩餐会での一件以来、「魔王食い」として知られるようになった食べ方だ。


 ふと顔を上げると——食堂にいる全員が、手づかみでパンを食べていた。


(……え?)


 いや、パンを手で食べること自体は珍しくない。問題は、明らかに「手づかみ」を意識して食べている点だ。普段ならナイフで切るであろう固いパンを、わざわざ手でちぎっている。そしてちぎるたびに、ちらちらとヴァルゼンを見ている。


(まさか)


「陛下。王都で『魔王食い』が正式な作法として定着しつつあるようですよ」


 ザガンが、朝刊に相当する情報紙を広げながら言った。


「王都時報の社交欄に、こうあります。『貴族の間で広まる魔王流食事法。手で食材に触れることで毒の有無を直感的に判じる、究極の危機管理術として注目を集めている』」


(ただの手づかみだ。毒とか危機管理とか関係ない。ナイフとフォークが使えなかっただけだ)


「さらに——」


 ザガンがページをめくった。


「『魔王流ワイン検毒法も貴族の晩餐で標準化されつつある。ワインを一滴こぼし、その色の変化を確認する所作は、今や上流階級の教養とされている』」


(教養。手が滑ってこぼしただけのことが教養)


 ヴァルゼンは、パンを持ったまま固まった。


 外に出ると、事態はさらに深刻だった。


 王都の目抜き通りを歩いていると、すれ違う貴族の若者たちの服装がおかしい。


 質素だった。


 やたらと質素だった。


 普段なら金糸の刺繍や宝石で飾り立てた衣装を好む王都の若い貴族たちが、なぜか落ち着いた色味の簡素な服を着ている。


「あれは——」


 グリゼルダが目を細めた。


「ヴァルゼン様のお召し物に似ていますな」


(僕の服? この何度も繕った安物のローブに?)


「『魔王様式』と呼ばれているそうです」


 フェリクスが、情報紙の別のページを指差した。


「華美を排し、機能性と質素さを追求する装い——魔王ヴァルゼン殿が体現する『真の強者は飾らない』という哲学に基づくファッション、だそうで」


(飾ってないんじゃない。飾れないんだ。金がないからだ)


 通りの向こうで、若い貴族の一団がヴァルゼンに気づき、興奮した様子で囁き合っている。


「見ろ、魔王殿だ」

「やはり質素だな。あの自然体が素晴らしい」

「俺ももっと地味にしよう」


(地味にするのはいいけど、理由が全部間違ってる)


 市場を通りかかった時、ヴァルゼンは足を止めた。


 露店の一つに、見覚えのある形のものが並んでいた。


 角だ。


 小さな角の髪飾り。


 額の左右につける装飾品で、形状は——間違いなく、ヴァルゼンの角を模していた。


「『魔王角まおうかく』でございますよ」


 店主が満面の笑みで駆け寄ってきた。


「魔王ヴァルゼン殿の角を模した装飾品です。身につけると判断力が研ぎ澄まされるという評判で、飛ぶように売れておりまして」


(僕の角は小指の先ほどしかないんだけど。それに判断力なんて研ぎ澄まされたことは一度もない)


「ヴァルゼン殿! よろしければ——」


「い、いえ、結構です。失礼します」


 逃げるように立ち去った。


 だが逃げた先でも、「魔王」の名は追いかけてきた。


 料理店の看板に「魔王風ロースト」。


 酒場の入口に「魔王推薦の銘酒」。


 仕立屋の店先に「魔王様式の新作ローブ」。


(推薦してない。食べてない。着てない。全部勝手に名前を使っている)


 ヴァルゼンは貴族たちに囲まれ始めていた。


「ヴァルゼン殿、今季の社交界の装いについてご意見を——」


「ヴァルゼン殿、この料理を一口お召し上がりいただければ——」


「ヴァルゼン殿——」


 囲みがどんどん厚くなる。


(まずい。逃げ道がない。助けて)


 ヴァルゼンの額に、じわりと汗が浮かんだ。


 トイレに行きたかった。


 朝からずっと我慢していた。だが貴族たちに囲まれてから、切り出すタイミングを完全に逸していた。


(言えない。「すみません、お手洗いに」とか——この状況で言えるわけがない)


 脂汗が止まらなくなってきた。


 表情が強張り、目が据わった。


 それを見た貴族たちが、息を呑んだ。


「ヴァルゼン殿の表情が変わった——」


「すべての者の思惑を同時に処理しておられるのだ」


「あの集中力……やはり常人ではない」


(集中してない。膀胱の限界と戦っているだけだ)


 エルヴィンが、群衆を掻き分けて現れた。


「みんな、ヴァルゼンは今、非常に重要な思考の最中だ。少し距離をとってやってくれ」


(ありがとうエルヴィン。理由は全然違うけどありがとう)


 群衆が一歩引いた隙に、ヴァルゼンは——走った。


 全力で走った。


 目的地は、通りの突き当たりにあった公衆の手洗い場だった。


 背後で歓声が上がった。


「見たか、あの速さ!」


「やはり魔王殿の身のこなしは尋常ではない——」


(トイレに走っただけだ)


 用を足して戻ると、フェリクスが待っていた。


「魔王殿。興味深い現象が起きています」


「……何」


「あなたが何をしても——あるいは何もしなくても——王都の流行に変換されるという構造が完成しています。食事、服装、所作、すべてが『魔王文化』として消費されている」


 フェリクスはモノクルを指で押し上げた。


「つまり、もはやあなたの行動の意味は、あなた自身ではなく社会が決定しているのです。あなたが意図していようがいまいが——」


「フェリクス。僕はただ——」


「ええ。わかっていますよ、魔王殿。あなたは何も意図していない。だからこそ恐ろしいのです」


 フェリクスの薄い笑みが、ヴァルゼンの背筋を凍らせた。


 宿に戻ると、ミラベルが心配そうに出迎えた。


「ヴァルゼン様、お疲れではありませんか。王都の皆さんに囲まれて……おつらかったでしょう」


「あ、うん。まあ——」


「ヴァルゼン様は、ご自分の影響力にお気づきでないのでしょうね。あの方は……どこまでもご謙虚で……」


 翡翠色の瞳がまた潤んでいた。


(気づいてない、というか影響を与えているつもりがないんだけど……)


 夜。


 ヴァルゼンはベッドの上で膝を抱えていた。


(王都が僕に染まっている。僕の意思とは無関係に。手づかみで食べただけで。ワインをこぼしただけで。安い服を着ていただけで。この街の常識が、勝手に書き換わっていく)


 恐ろしかった。


 自分の行動一つ一つが、何千何万という人間の生活に影響を与えているという事実が。


(僕はただの最弱の魔王だ。人の上に立つような器じゃない。なのに——)


 扉の向こうから、グリゼルダの声が聞こえた。


「ヴァルゼン様。明日、大神殿の大神官がお会いしたいとの書状が届きました」


 ヴァルゼンの胃が、きゅっと縮んだ。


(大神殿。宗教組織。また新しい戦場だ)


「お受けしますか」


 断れるわけがなかった。


「……はい」


 小さく答えて、枕に顔を埋めた。


 王都は今日も、魔王色に染まり続けている。


 当の魔王は、布団の中で震えていた。


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