表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/167

噂は馬車より速い

 噂は馬車より速い


 馬車というものが、これほど過酷な乗り物だとは知らなかった。


 出発して半日で、ヴァルゼンの胃は完全に降伏した。王都アルヴェスタへ向かう街道は整備されているとはいえ、石畳の継ぎ目を拾うたびに馬車の車体が跳ねる。その振動が胃を直撃する。内臓が上下左右に揺さぶられる感覚は、大型魔獣に追われた時の恐怖に匹敵した。


(死ぬ。馬車で死ぬ。魔王が馬車酔いで死んだら、歴史上最も情けない死因だ)


 顔面は蒼白を通り越して青紫になっていた。唇を固く引き結び、目を閉じ、微動だにしない。動いたら吐く。確実に吐く。だから動かない。動けない。


 向かいの座席で、グリゼルダが目を見張った。


「……ヴァルゼン様」


「…………」


「お顔の色が——いえ」


 グリゼルダは言葉を改めた。蒼灰色の瞳に、敬意の光が宿る。


「瞑想、ですか」


(瞑想じゃない。吐き気と戦ってるだけだ)


「王都に到着する前に精神を研ぎ澄ましておられるのですね。さすがです。この揺れの中で微動だにしないとは——常人には到底真似できません」


(動けないだけだ。動いたら胃の中身が出る。物理的に出る)


 フェリクスが手帳を開きながら頷いた。


「なるほど。馬車という密閉空間を利用して、集中状態に入る。外界の情報を遮断し、謁見に向けた戦略を練っている——合理的です。所要時間五日。五日間の瞑想めいそうで、国王との対話のあらゆるパターンを想定するつもりでしょう」


(一つもパターンを想定していない。胃の中身のことしか考えていない)


 ミラベルが心配そうにヴァルゼンの顔を覗き込んだ。


「ヴァルゼン様、お顔が青いです……。お辛くはないですか?」


 返事をしたかった。しかし口を開くと一緒に別のものも出そうだったので、小さく首を横に振ることしかできなかった。


「あ……お気遣いなく、という意味ですね。ヴァルゼン様はいつもご自分のことは後回しにされて……」


(後回しにしてるんじゃなくて、喋ると吐くから黙ってるだけです)


 ミラベルの翡翠色の瞳が潤んだ。予想通り泣き始めた。


 エルヴィンは御者台の隣に座って外の景色を眺めていたが、定期的に馬車の中を覗き込んでは「ヴァルゼン、すげえ集中力だな!」と親指を立てた。


(褒めないでくれ。放っておいてくれ。静かにしていてくれ)


 唯一、ザガンだけがヴァルゼンの隣で黙って座っていた。何も言わず、ただ時折、さりげなく水筒を差し出してくれた。


(この人だけだ。この人だけがまともだ)


 しかしザガンもザガンで、「陛下が五日間の瞑想に入られるのであれば、その間に王都での立ち回りを策定いたしましょう」と独自に作戦を練り始めていたので、まともではなかった。


 街道の最初の宿場町に到着したのは、出発から六時間後のことだった。


 馬車が停まった瞬間、ヴァルゼンは扉を開けて飛び出し、道端の茂みに突っ込んだ。


 数分後、何食わぬ顔で戻ってきたヴァルゼンを、宿場の人々が出迎えた。


「あ、あの方が——」


 最初の声は、宿場町の門番だった。


「噂の魔王様だ!」


(もう届いてるのか。噂が。僕たちより先に)


 宿場の通りに、人が集まり始めた。商人、職人、子供連れの母親、老人。小さな町とは思えないほどの人数が、瞬く間に沿道を埋めた。


「最凶の魔王が通る!」


「あの合同討伐を指揮した方だ!」


「聞いたぞ、二十八人を率いて大型魔獣を無傷で倒したって!」


(無傷じゃない。何人か怪我はしている。治したけど。ミラベルが)


「あっ、あの方だ! ほら見ろ、顔色が青い!」


「青い? ああ——瞑想か。移動中も精神を練り上げているのだな」


「さすが魔王。格が違う」


(馬車酔いです)


 エルヴィンが嬉しそうにヴァルゼンの肩を叩いた。


「見ろよヴァルゼン! お前の噂、もうここまで届いてるぞ!」


「……嬉しくないです」


「またまた! 照れるなって!」


(照れてない。本気で嬉しくない)


 宿場の宿屋に入ると、主人が最上の部屋を用意してくれた。代金を払おうとすると、「とんでもございません!」と断られた。


「魔王様からお金をいただくなんて——この町の恥です!」


(お金は払わせてほしい。むしろ払わせてくれないと心苦労で死ぬ)


 夕食の席で、宿の主人が興奮気味に語った。


「いやあ、噂はかねがね! この街道沿いでは、もう知らない者はおりませんよ。王都からの行商人が広めたんです。『最凶の魔王が勇者と共に旅をしている。その力は計り知れない』と!」


 ヴァルゼンのスプーンが止まった。


「計り知れない……」


「ええ! なにせ、合同討伐で二十八人を——いや、聞いた話では四十人以上を指揮して、被害ゼロで大型魔獣を仕留めたとか!」


(四十人以上に増えてる。被害ゼロにもなってる。噂というのはこうやって育つのか)


 フェリクスが手帳に書き込みながら、小声で呟いた。


「情報の伝播速度と変容率が想定以上ですね。街道沿いの商人ネットワークを経由して、噂が自己増殖している。……しかしこれは、魔王殿が意図的に情報を流した可能性も——」


(流してない。一滴も流してない)


 ザガンが、穏やかに茶を啜った。


「陛下。噂というものは、止めるよりも利用する方が賢明です」


「利用って——」


「王都に到着した時点で、すでに陛下の名声は確立されている。これは外交上、極めて有利な状況です」


(有利じゃなくて不利だ。期待値が上がれば上がるほど、本当の僕を知った時の落差が大きくなる。つまり、バレた時の被害が甚大になる)


 しかしそんなことは言えない。言えるわけがない。


 宿の窓から外を見ると、まだ通りに人が残っていた。ヴァルゼンの泊まっている部屋を見上げて、何やらひそひそ話をしている。


「明かりが灯ったぞ。魔王様、まだ起きていらっしゃる」


「きっと明日の行程を計算しておられるのだろう」


(歯を磨いてるだけです)


 ヴァルゼンは窓の灯りを消して、布団に潜り込んだ。


 暗闇の中で、天井を見つめた。


(あと四日。あと四日で王都に着く。王都に着いたら、国王に会わなければならない。国王の前で——何を言えばいいんだ。何をすればいいんだ)


 答えは出なかった。


 ただ、馬車酔いで空っぽになった胃だけが、きゅるると情けない音を立てた。


 明日もまた、馬車に揺られるのだ。


 五日間の「瞑想」は、まだ始まったばかりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ