最凶の魔王、招待される
最凶の魔王、招待される
それは、宿屋の朝食時に届いた。
ヴァルゼンがぬるいスープを啜っていると、宿の扉が勢いよく開いた。甲冑姿の騎士が二人、息を切らして飛び込んでくる。宿の主人が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、他の客たちが一斉に振り返った。
「王宮付き伝令騎士団です! 勇者エルヴィン殿のパーティに、国王陛下より親書を預かっております!」
騎士の一人が、金箔の押された封筒を高々と掲げた。
(王宮。国王。親書)
三つの単語が頭の中で転がった。どれも自分とは縁のない言葉だった。そうであってほしかった。
エルヴィンが目を輝かせて封筒を受け取り、封蝋を割った。
「——おお! 読むぞ! 『勇者エルヴィン並びにその一行の功績を讃え、王都アルヴェスタへの謁見を正式に招待する。特に、魔王ヴァルゼン殿の来訪を心より——』」
スープが気管に入った。
盛大にむせた。
「ヴァ、ヴァルゼン! 大丈夫か!?」
「げほっ、ごほっ——だ、大丈夫、です——げほっ」
(大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。国王が僕を名指しで呼んでいる。なんで。なんでそうなる)
ミラベルが慌てて背中をさすってくれた。温かい手のひらが、しかし今のヴァルゼンの恐怖を癒すには全く足りなかった。
「ヴァルゼン様、お水をどうぞ……っ」
「あ、ありがとう、ございます……」
水を一口含んで、ようやく呼吸が戻った。その間にエルヴィンは招待状を最後まで読み終え、拳を天に突き上げていた。
「やったぞ! ついに国王陛下がヴァルゼンの真価を認めたんだ! 王都だ! 王宮だ! 謁見だ!」
(認めないでほしかった。知らないままでいてほしかった。僕のことは放っておいてほしかった)
グリゼルダが招待状を手に取り、文面を確認した。蒼灰色の瞳が鋭くなる。
「正式な王命による招待ですね。これは——断れません」
「だ、断れない……?」
「はい。王命に準ずる招待です。辞退は国王陛下への不敬と見なされます」
最後の退路が、音を立てて崩壊した。
(逃げられない。完全に逃げられない。死んだ。社会的に死んだ)
フェリクスがモノクルを光らせながら、招待状を覗き込んだ。
「ふむ。文面を見る限り、これは単なる表敬訪問ではありませんね。『功績を讃え』と明記されている。つまり——何らかの褒賞、あるいは公的な地位の授与が想定されている可能性がある」
「こ、公的な地位……?」
「ええ。国家が一介の冒険者パーティを名指しで招くのは異例です。しかもヴァルゼン殿——元魔王を。政治的な意図がないはずがない」
(政治的な意図。僕にそんなものを向けないでくれ。理解できる頭がないんだ)
ザガンが、いつものように三歩後ろに控えていた。琥珀色の瞳が、ほんの僅かに——笑っていた。
「さすがは陛下。ついに一国の王がお呼びになりましたか。遅すぎたくらいですな」
「ザガン、遅すぎたっていうか、来なくてよかったんだけど——」
「恐れながら陛下。王宮への謁見は、今後の活動を円滑にする絶好の機会です。ここで国王との関係を構築しておけば——」
「関係を構築って、僕はただ——」
「お任せください。外交上の作法は私が全て補佐いたします。陛下は——」
一拍の間。
「——いつも通りにしていただければ結構です」
(いつも通り。いつも通りって何だ。怯えて震えて何もできないのがいつも通りなんだけど、それでいいのか。いいわけないだろ)
エルヴィンが、ヴァルゼンの両肩をがしりと掴んだ。碧眼が至近距離で輝いている。眩しい。物理的に眩しい。
「ヴァルゼン! 国王の前で、お前の本当の凄さを見せてやろうぜ!」
「見せる凄さがないんです——」
「謙遜するなって! 俺は知ってるぞ、お前がどれだけ——」
「い、いや、本当に——」
「安心しろ。俺がついてる」
それだけは——少しだけ、心強かった。的外れだけど。
ミラベルが、そっとヴァルゼンの手に自分の手を重ねた。
「ヴァルゼン様。きっと、大丈夫です。皆さんがいますから」
翡翠色の瞳が、静かに潤んでいた。
「……ありがとう、ございます」
大丈夫なわけがない。だけど、この人たちの前で「嫌だ」と叫ぶことも——できなかった。
フェリクスが手帳に猛然と書き込んでいる。
「招待状を読んだ瞬間、動揺を一切見せず——いや、あのむせ方すら計算だったとしたら恐ろしい。『スープでむせる』という日常的な反応を装うことで、伝令騎士に『この人物は王命を当然のこととして受け止めた』という印象を与える。……天才的だ」
(スープが気管に入っただけだ)
伝令騎士の一人が、ヴァルゼンに向き直った。
「ヴァルゼン殿。招待状をお受け取りいただけますか」
「あ、は、はい——」
震える手で招待状を受け取った。金箔の紋章が、ずしりと重かった。
伝令騎士が、その様子をじっと見つめていた。
「——噂に違わぬお方だ」
小声で、しかし確かにそう呟いた。
「あれほどの親書を前にして、微動だにしない。いや——震えておられるのは、覚悟を固めておられるのだろう。戦場に赴く将のように」
(震えてるのは怖いからです。覚悟なんて一ミリも固まってません)
伝令騎士たちが去った後、宿の食堂には沈黙が残った。
ヴァルゼンは招待状を見つめたまま、動けなかった。
金箔の文字が、死刑宣告に見えた。
「さて」
ザガンが静かに口を開いた。
「王都アルヴェスタまで、馬車でおよそ五日。準備を含めれば、明日の出立が望ましいかと」
「五日……」
「ええ。五日です。陛下にとっては——充分すぎる準備期間でしょう」
(五日で何を準備しろと。逃亡の準備なら三十分で終わるけど)
エルヴィンが、力強く宣言した。
「よし! 明日出発だ! 王都アルヴェスタ、待ってろよ!」
誰も、ヴァルゼンの意見は聞かなかった。
こうして——最弱の魔王は、一国の王に招かれた。
断る権利すら、最初からなかった。




