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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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賢者が僕について論文を書き始めた。参謀が「半分は見当違い」と苦笑している

 賢者が僕について論文を書き始めた。参謀が「半分は見当違い」と苦笑している


 ある朝、ヴァルゼンは宿の共有スペースで異様な光景を目にした。


 フェリクスが机の上に紙を山のように積み上げ、モノクルを光らせながら猛然と何かを書いている。その集中力は異常で、周囲に漂う空気が明らかに学術的な何かを帯びていた。


「……フェリクスさん、何をしてるんですか?」


 恐る恐る声をかけると、フェリクスが顔を上げた。その目は——輝いていた。普段の薄い笑みではなく、知的興奮に満ちた、子供のような目だった。


「ああ、魔王殿。ちょうどよかった。少しお時間をいただけますか」


「え……はい」


「実は——あなたについての論文を書いています」


(は?)


「論文」


「ええ。正式な題目は『偽装された無能——"最弱"を装う指導者の行動分析と、その戦略的合理性に関する考察』です」


(偽装された無能。偽装してない。本当に無能だ。本物の無能だ)


 ヴァルゼンは椅子に座ったまま、ゆっくりと意識が遠のいていくのを感じた。


「第一章は『沈黙の指揮——不言実行型リーダーシップの極致』。合同討伐での行動記録を中心に分析しました。あなたが一切の指示を出さず、しかし結果として全軍が最適行動を取った事例です」


(指示を出さなかったんじゃなくて、出せなかったんだよ。怖くて)


「第二章は『恐怖の偽装——殺気制御による対人交渉術』。あなたが怯えるたびに相手が萎縮する現象を、魔力放出パターンと照合して分析しています」


(怯えを偽装なんかしてない。ガチで怯えている。毎回ガチだ)


「第三章は『逃走の美学——戦術的撤退における最適経路選択の無意識的実行』。あなたの逃走経路が、事後分析すると常に最適解であることの証明です」


(最適解じゃなくて、出口に向かって全力で走ってるだけだ。出口が一つしかないから経路が一つなだけだ)


 フェリクスの目がきらきらと輝いている。この人がここまで楽しそうにしているのを見たのは初めてかもしれない。


「そして第四章が核心です。『完全偽装仮説——なぜ魔王殿は"最弱"を演じ続けるのか』」


(演じてない)


「僕の結論はこうです。あなたは意図的に最弱を装うことで、周囲の油断を誘い、同時に仲間の自主性を最大限に引き出している。これは一種の『弱さのリーダーシップ』であり、従来の指導者論を根底から覆す革新的概念です」


(革新的概念。すごい言葉が出てきた。ただの弱さなんだけどな)


 ヴァルゼンが頭を抱えていると、背後からザガンの声がした。


「おや。論文ですか」


 ザガンが長衣の裾を翻しながら近づいてきた。フェリクスの積み上げた紙束を一枚取り上げ、琥珀色の瞳で流し読みしている。


「ふむ……」


 しばらくの沈黙の後、ザガンが口元に笑みを浮かべた。


「半分は見当違いですな」


 フェリクスが眉を上げた。


「半分? どの半分です」


「さて。それを教えてしまっては、陛下の深謀が台無しになる」


(深謀はない。何度でも言うが、深謀は一切ない)


「つまり、半分は合っていると?」


 フェリクスが身を乗り出した。


「さあ。私が言えるのは——陛下は、あなたが思っているよりもずっと単純であり、同時にあなたが想像するよりもずっと深い、ということです」


(何を言っているんだこの人は。単純と深いは矛盾してるだろう。それとも僕のことを的確に表現しているのか。いや、やっぱりわからない)


 フェリクスが手帳を取り出し、ザガンの言葉を一字一句書き留め始めた。


「興味深い。参謀殿の評価は常に示唆に富んでいる。『半分は見当違い』——つまり僕の分析の精度は現時点で約五十パーセントということだ。これは悔しいが、同時に研究の余地があるという意味で——」


「フェリクスさん」


 ヴァルゼンは意を決して口を開いた。


「はい、魔王殿」


「その論文……誰かに見せたりしませんよね?」


「もちろん見せますよ。完成したら王立魔術学院に提出するつもりです。僕の恩師がこの手の研究に強い関心を持っていましてね」


(王立魔術学院。国の最高学府。そこに『魔王ヴァルゼンの偽装された無能に関する論文』が提出される。終わった。完全に終わった)


「あ、あの、それはちょっと——」


「ご安心ください。軍事機密に該当する箇所は伏せます。あなたの戦術の詳細が敵に渡るようなことは——」


「いえ、そういう問題では——」


「陛下」


 ザガンが静かに遮った。


「フェリクス殿の研究意欲を止めるのは、嵐を手で押し返すようなものです。放っておくのが吉かと」


(放っておいていいのか。学術論文として世に出るんだぞ。僕の名前で。『偽装された無能』という題で)


 エルヴィンが通りかかり、机の上の紙を覗き込んだ。


「おっ、ヴァルゼンの論文か! すごいな、学問になるのか!」


「ああ。この人物の行動原理は、既存の指導者論の枠組みでは説明できない。新たな理論体系が必要だ」


「さすがヴァルゼンだ! 学問の枠を超えるとは!」


(超えてない。枠の中にすら入ってない。僕は普通の——いや、普通以下の——)


 グリゼルダが背後から紙を一枚取り上げた。


「『逃走の美学』……ふむ。確かに、ヴァルゼン様の身のこなしは常人の理解を超えている。私でさえ追いきれぬことがある」


(それは単に必死だからだ。死にたくないという一心で走ると、人間——いや魔族は思った以上に速く走れるんだ)


 ミラベルが涙ぐみながら紙束を見つめていた。


「ヴァルゼン様のことが、こうして記録に残るんですね……。後の世の人たちも、あの方の偉大さを知ることができる……」


(後の世に残る偽りの記録。歴史の改竄がリアルタイムで行われている。目の前で)


 ヴァルゼンは机に突っ伏した。


 フェリクスの羽根ペンが紙の上を走る音だけが、静かに響いていた。


「陛下」


 ザガンが、ほんの僅かに——本当に僅かに——楽しそうな声で言った。


「半分は見当違いですが、半分は……まあ、そう的外れでもありません」


「……どっちの半分なんですか」


「さて。それは——陛下ご自身が一番よくご存じでしょう」


(知らない。本当に知らない。僕は自分のことが一番わからない)


 窓の外では、穏やかな午後の陽射しが宿場町を照らしていた。


 平和だった。致命的に平和だった。


 ——ただし、ヴァルゼンの胃だけは平和ではなかった。


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