各地から届く僕の「伝説」が全部間違っている件
各地から届く僕の「伝説」が全部間違っている件
ギルドの掲示板に、自分の名前があった。
正確に言うと、「名前らしきもの」があった。
『南方戦線の英雄・魔王ヴァルゼン、一睨みで魔物の群れを壊走させる——レムナス街道の目撃談より』
(一睨みで壊走って何だ。僕が睨んだのは一度もない。あの時は目が合っただけだ。目が合って、僕が先に逃げた。因果関係が完全に逆だ)
ヴァルゼンはギルドの受付ロビーで、掲示板に張り出された速報紙を凝視していた。
隣でエルヴィンが腕を組んで頷いている。
「ほう。レムナス街道の件か。あれは見事だったな」
「見事じゃなかったです。あの時エルヴィンさんが全部倒してくれたんですよね?」
「俺が倒したのは残りの雑魚だ。本隊はお前の一瞥で崩壊していたぞ」
(崩壊してない。僕の視界から消えたのは、僕が目を瞑ったからだ)
速報紙はそれだけではなかった。ギルドの各支部から届いた情報が、一枚の板にまとめて張り出されている。
『ギルド東部支部報告——虚淵事変において魔王ヴァルゼンが未来視を発動。住民三十余名を事前避難させ、被害ゼロを達成』
(未来視。いつの間に未来視になったんだ。「なんか嫌な感じがする」が未来視に昇格している)
『西方の商隊護衛記録——護衛中に一言も発さず、しかし山賊が接近した瞬間に「動くな」と一喝。山賊十二名が即座に投降』
(その「動くな」は山賊に言ったんじゃない。足がもつれて転びそうになった自分に言い聞かせただけだ。山賊が投降したのはエルヴィンさんが聖剣を抜いたからだ)
『北部ギルド支部からの伝聞——「殺気だけで魔物が逃げる」「視線を合わせた者は三日間眠れなくなる」との噂が冒険者の間で定着しつつある』
(三日間眠れなくなるのは僕の方だ。毎晩不安で眠れないのは僕の方だ)
「すごいですね、ヴァルゼン様!」
ミラベルが目を輝かせて掲示板を見上げている。
「各地でこんなにヴァルゼン様のご活躍が……!」
「活躍してないです。本当に何もしてないんです」
「またそうやってご謙遜を……。ヴァルゼン様がご自分の功績を語らないのは、もうみんな知っていますから」
(知られてしまっている。「謙遜する人」として知られてしまっている。つまり何を否定しても「また謙遜している」で片づけられる。完全な無限ループだ)
フェリクスが速報紙を一枚一枚丁寧に書き写している。
「実に興味深いデータです。誤情報の伝播速度と変異パターンを分析すれば——」
「フェリクス、それ僕の噂の分析ですよね。やめてくれませんか」
「研究対象としてこれほど面白い事例はそうありません。断ります」
(断るんだ。はっきり断られた)
グリゼルダが掲示板の前に立ち、速報紙を上から下まで読み終えると、深く頷いた。
「どの報告も、事実を矮小化していますな」
「え?」
「ヴァルゼン様の実力は、この程度の言葉では語り切れません。一睨みで魔物を壊走、などという表現は——失礼ながら、あなたの力の片鱗を伝えるにも足りない」
(足りないんじゃなくて、全部嘘なんですけど)
「グリゼルダの言う通りだ」
エルヴィンが真顔で同意した。
「この速報紙を書いた者は、ヴァルゼンの真の力を知らない。だから表面的な目撃談しか書けないのだ。真実を知る俺たちだけが——」
「いやいやいや。真実を一番知らないのがあなたたちだと思うんですけど」
「ふっ。そう言えるところが、お前のすごいところだ」
(会話が成立していない。いつものことだけど。いつものことだけど慣れない)
ザガンが受付カウンターから戻ってきた。手には数枚の書類を持っている。
「陛下。ギルド本部から正式な通達が届いております」
「通達……?」
「はい。虚淵事変における功績が認められ——Aランク冒険者への特別昇格推薦が出ています」
ヴァルゼンの顔から血の気が引いた。
「Aランクって——あの、国家規模の依頼を受けられる——」
「ええ。王国騎士団と同格の扱いを受ける、最上位の冒険者ランクです」
(無理無理無理。Aランクの仕事なんかしたら三秒で死ぬ。今だってBランクの依頼で毎回死にかけてるのに)
「当然の評価です」
グリゼルダが即座に言った。
「むしろ遅すぎるくらいだ」
「おお! Aランクか! やったなヴァルゼン!」
エルヴィンが背中を叩いた。勢いが強すぎて、ヴァルゼンは三歩よろめいた。
「あ、あの、僕としてはBランクで十分というか——」
「謙遜はおやめください、ヴァルゼン様」
ミラベルの目には涙が浮かんでいた。
「ヴァルゼン様のご功績が、ようやく世に認められたんです……! 私、嬉しくて……っ」
(泣かないで。お願いだから泣かないで。泣かれると断れなくなる)
フェリクスが手帳に何かを書きつけた。
「ランク昇格の推薦理由書を確認しましたが、『虚淵事変における被害の未然防止』と『合同討伐における卓越した指揮能力』が主な根拠ですね。——実に論理的な評価です」
(論理的。論理的に考えたら僕がAランクになるのはおかしい。絶対におかしい。でもフェリクスが論理的と言っている時点で、もう僕の負けだ)
ザガンが書類をヴァルゼンに差し出した。
「受諾の署名をお願いいたします、陛下」
「……」
ヴァルゼンはペンを受け取った。手が震えている。
署名欄に自分の名前を書いた。生まれてこのかた、こんなに重い署名をしたことはなかった。
(僕の伝説が、全部間違っている。なのにその間違いが、正式な記録として定着していく。もう訂正は——不可能だ)
掲示板の速報紙が、風に揺れていた。
そこに書かれた「魔王ヴァルゼン」は、ヴァルゼン自身が知るどの自分とも違う、とてつもなく立派な人物だった。
(誰なんだろう、この人。僕の名前がついた、僕じゃない誰か。……でも、みんなが信じているのは、この人の方なんだよな)
ギルドのロビーを出る時、すれ違った若い冒険者が、目を丸くしてヴァルゼンを見つめていた。
「あれが……未来を見通す魔王……」
ヴァルゼンは聞こえないふりをした。
聞こえないふりが、最近とても上手くなった。




