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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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——あれが、現代の魔王か

 ——あれが、現代の魔王か


 ルーゼンでの騒がしい日々が続いていた。


 ヴァルゼンたちは次の依頼の準備を進めながら、この交易都市でしばらく滞在を延ばすことになった。合同討伐の後始末——討伐報告書の作成、負傷した冒険者の見舞い、ギルド支部長との面談——やることは山のようにあった。もっとも、そのほとんどはザガンとフェリクスが処理し、ヴァルゼンは書類にサインをするだけだったが。


「陛下。こちらの報告書にご署名を」


「は、はい……」


「こちらも」


「はい……」


「それと、こちらにも」


「……ザガン、まだあるんですか」


「あと十二通です」


(十二通。僕は何の書類にサインしているんだろう。全部読む気力がない。いや、読んでも理解できる気がしない)


 ヴァルゼンが機械的にペンを走らせている間、エルヴィンとグリゼルダは宿の中庭で鍛錬をしていた。剣戟の音が窓の向こうから聞こえてくる。ミラベルは街の神殿に祈りに出かけている。フェリクスは図書館で調べ物をしていると言っていた。


 穏やかな昼下がり。


 何事もない、平和な日常——のはずだった。


 ヴァルゼンがふと窓の外に目をやったとき、視界の端に——何かが引っかかった。


(……?)


 街の屋根の向こう、遠くの丘の稜線の上に——何かがいた。


 いや、「いた」という表現は正確ではない。ヴァルゼンの目には何も見えなかった。丘の上には草と風と空しかない。


 しかし——肌が、粟立っていた。


(なんだ、この感じ。魔力の……流れが、あそこだけおかしい)


 ヴァルゼンの魔力感知が、微かな異常を捉えていた。普段は「なんとなく嫌な感じがする」程度でしか機能しないその感覚が、今は明確な方向と距離を持って——丘の上を指していた。


 遠い。街から数キロは離れている。


 通常の感知能力では絶対に拾えない距離だった。


(気のせいか。きっと気のせいだ。疲れてるんだ、きっと)


 ヴァルゼンは視線を書類に戻した。


 肌の粟立ちは——しばらく消えなかった。


  ◇  ◇  ◇


 丘の上に、一つの影が立っていた。


 白銀の髪が風に揺れている。金色の瞳が、遥か彼方の街を見下ろしていた。その瞳の虹彩には幾何学的な紋様が浮かび、ゆっくりと回転している。


 背中に展開された三対の半透明の翼が、陽光を受けて淡く明滅した。


 衣装の裾は地面に触れていない。数センチ、浮いている。


 神使セラフィオン。


 世界創生期より存在する観測者。地上世界の秩序を監視し、神々に報告する——それだけが、この存在に与えられた役目。


 セラフィオンの金色の瞳が、街の中の一点を射抜いていた。宿の窓辺で書類にサインをしている、小柄な魔族の青年。灰銀の髪、淡い紫の瞳、額の角は前髪に隠れて見えない。


 観測眼が、あらゆる情報を読み取る。


 魔力総量——微弱。魔族としての下位百分率に入る。

 戦闘適性——皆無に等しい。

 身体能力——一般的な人間の平均以下。

 脅威度——計測不能。


 計測不能。


 セラフィオンの瞳の紋様が、わずかに回転速度を上げた。


 脅威度が「ゼロ」ではなく「計測不能」。これは観測史上、前例のない評価だった。力がないのではない。力の種類が、既知のどの分類にも当てはまらないのだ。


 周囲の秩序場を解析する。


 あの青年を中心として、半径数十メートルの秩序が——安定している。驚くほど安定している。人間の勇者、騎士、賢者、僧侶、そして魔族の老臣。種族も立場も異なる六つの存在が、あの弱い魔王を軸にして均衡を保っている。


 力による支配ではない。

 恐怖による統率でもない。

 契約でも、呪縛でも、魔術的拘束でもない。


 では——何なのか。


 セラフィオンの金色の瞳が、静かに細められた。


「——あれが、現代の魔王か」


 声は風に溶けて消えた。人間には聞こえない。魔族にも聞こえない。


 しかし——あの窓辺の青年だけが、ほんの一瞬、こちらを向いた。


 距離は数キロ。通常の感知能力では絶対に届かない。それなのに、あの青年は——こちらの「視線」を感じ取った。


 セラフィオンの翼が、一瞬だけ強く明滅した。


 驚き——に近い感覚。神使には感情がない。ないはずだった。しかし今、確かに何かが揺れた。


「……興味深い」


 もう一度呟いて、セラフィオンは踵を返した。


 三対の翼が光を纏い、その姿が空気に溶けるように薄れていく。数秒後には、丘の上にはただの草原と風だけが残された。


  ◇  ◇  ◇


 ヴァルゼンは書類にサインをする手を止めて、もう一度窓の外を見た。


 丘の上には——何もなかった。


(……やっぱり気のせいだったか)


 しかし肌の粟立ちの記憶は残っていた。あの感覚は、これまでに感じたどの「嫌な感じ」とも違っていた。


 魔物の接近でもない。敵意でもない。殺意でもない。


 もっと——遠くて、大きくて、冷たいもの。


(何だったんだ、あれは)


「陛下? どうかされましたか」


 ザガンが怪訝そうに問いかけた。


「いえ……何でもないです。何でも」


 ヴァルゼンは首を振って、書類に視線を戻した。


 窓の外では、穏やかな風が丘の草を揺らしていた。何もない。何事もない。


 ——はずだった。


 しかしヴァルゼンは知らなかった。


 神々の観測者が、自分を「計測不能」と記録したことを。


 世界の秩序を司る存在が、最弱の魔王に——初めて関心を向けたことを。


 物語の天井が、静かに——高くなったことを。


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