各地で僕の噂に尾ひれがつきまくっている。原型がない
各地で僕の噂に尾ひれがつきまくっている。原型がない
合同討伐から一週間が経った。
パーティは次の依頼に向けて、街道沿いの交易都市ルーゼンに滞在していた。大きな街だ。商人が行き交い、情報が集まり、酒場では冒険者たちが日夜噂話に花を咲かせている。
ヴァルゼンが噂の変異に気づいたのは、宿の食堂で朝食を取っていたときだった。
「聞いたか? あの魔王——一睨みで城壁を砕いたらしいぞ」
(砕いてない。城壁を睨んだことすらない)
隣のテーブルから聞こえてきた会話に、ヴァルゼンのパンを持つ手が止まった。
「いやいや、俺が聞いたのは違うぞ。魔王が指を一本動かしたら、百体の魔物が膝をついたって話だ」
(動かしてない。指一本で魔物が倒れるなら僕はこんなに怯えていない)
「それどころじゃねえよ。東の街じゃ『魔王が歩いた道は花が咲く』って言われてるらしい」
(花は咲かない。僕が歩いた道は僕の冷や汗で濡れているだけだ)
ヴァルゼンはパンを噛む力もなくした。
「ザガン」
小声で、向かいに座る参謀に訴えた。
「あの噂——全部嘘ですよね」
「全部嘘です」
ザガンはスープをすすりながら即答した。
「しかし、真実か否かは問題ではありません。噂とは生き物です。一度放たれれば、語り手の数だけ変異する」
「変異しすぎじゃないですか」
「人の口に戸は立てられません。まして、あなたの名声は合同討伐を通じて広域に拡散しました。四十人以上の冒険者が、それぞれの町で、それぞれの解釈で語っている。そこに伝聞が三段階も挟まれば——」
「原型がなくなる、と」
「ご明察です」
(明察じゃない。ただの絶望だ)
その日、ヴァルゼンはルーゼンの街を歩き回り、自分の噂がどこまで変異しているかを確かめる羽目になった。
酒場その一。
「魔王ヴァルゼンは、大戦を影から終結させた真の黒幕だ。勇者エルヴィンすら、その駒に過ぎない」
(エルヴィンは駒じゃない。というか僕がエルヴィンの駒みたいなものなんだけど)
酒場その二。
「聞いた話じゃ、あの魔王——殺気を放つだけで魔物が死ぬらしいぜ」
(殺気を放ったことがない。放てない。放ち方を知らない)
市場にて。
「ああ、あの魔王ね。うちの商会にも噂は届いてるよ。なんでも、一言で軍勢を退けたとか。それだけじゃない——報酬も功績も部下に分け与え、自分は何も取らないんだそうだ」
(報酬の話だけは……まあ、半分くらい合ってる。でも理由が全然違う)
神殿の前にて。
「魔王ヴァルゼンは、魔族でありながら人間を慈しむ心を持つ。まさに神に愛されし存在だ」
(神殿でそれを言うのか。魔王が神に愛されてどうするんだ)
路地裏にて。
「あの魔王はヤバいぞ。マジでヤバい。怒らせたら世界が終わる」
(世界は終わらない。僕が怒っても蚊に刺されたほどの影響もない)
ヴァルゼンは疲弊しきって宿に戻った。
部屋に入ると、エルヴィンが興奮した様子で待っていた。
「ヴァルゼン! 聞いたか! この街でもお前の噂で持ちきりだぞ!」
「……聞きました」
「一睨みで城壁を砕くとか、殺気で魔物を殺すとか——いやあ、どれも納得だ! 俺は知ってるからな、お前の本当の力を!」
(知らない。あなたは何も知らない。でもこの人に真実を伝えるのは——もはや不可能な気がする)
「あ、あの、エルヴィン。あの噂、ちょっと大袈裟すぎるというか——」
「ああ、確かに大袈裟かもしれないな!」
(わかってくれるのか?)
「お前の本当の力は、噂なんかじゃ伝えきれないからな!」
(わかってなかった)
グリゼルダが部屋に入ってきた。
「ヴァルゼン様。街の鍛冶屋で聞きましたが、あなたが素手で魔鉄を曲げたという噂が流れているようです」
「曲げてません。鉄棒すら持ち上がりません」
「ご謙遜を。——しかし、素手で魔鉄を、か」
グリゼルダの蒼灰色の瞳が、敬意で輝いていた。
「いつか、その技をお見せいただきたいものです」
(ない。そんな技はない。見せようがない)
フェリクスがノックもせずに入ってきた。手帳を広げている。
「魔王殿。ルーゼン周辺で流通しているあなたの噂を十二件収集しました。分類すると、戦闘系が四件、カリスマ系が三件、神秘系が三件、荒唐無稽系が二件です」
「荒唐無稽系」
「ええ。『歩いた道に花が咲く』と『見つめると未来が見える』ですね。こちらは流石にフィクションでしょう」
(全部フィクションなんだけど)
「しかし興味深いのは、荒唐無稽系を除く十件について、全てに一定の論理的根拠が存在することです。噂は無から生まれるのではない——核となる事実が変形して伝播している」
「核となる事実って……」
「あなたの行動です、魔王殿。合同討伐での指揮、報酬の分配、日頃の言動——それらが冒険者を通じて各地に伝わり、語り手のフィルターを経て増幅された」
フェリクスが手帳を閉じ、薄く笑った。
「つまり、噂の原型はあなた自身です。尾ひれがついているのは確かですが——魚はちゃんといる」
(その魚はゴブリン以下の戦闘力しかない、痩せた雑魚なんですが)
ミラベルが廊下から顔を覗かせた。目がもう潤んでいる。
「ヴァルゼン様……街の人たちが、あなたのことをたくさん噂していて……」
「う、うん——」
「でも、本当のヴァルゼン様は噂よりもずっとお優しいです。私は知っています」
(ミラベル。あなたの言葉だけが唯一の癒しだ。でもあなたの理解も根本的にズレている)
ザガンが最後に部屋を訪れた。
「陛下。街の噂について、一点だけご報告を」
「……まだあるんですか」
「ルーゼンのギルド支部長が、あなたの名前を本部に報告したようです。『合同討伐で異例の成果を上げた指揮官』として」
「ギ、ギルド本部に?」
「本部は王都にあります」
ヴァルゼンの顔から血の気が引いた。
「お、王都……」
「はい。王都です」
ザガンの表情は穏やかだった。しかしその琥珀色の瞳の奥に、何かを見据えるような光があった。
「名声とは雪だるまのようなものです、陛下。一度転がり始めれば——止まりません」
(止まってほしい。今すぐ止まってほしい)
しかしヴァルゼンの願いとは裏腹に、彼の名は今この瞬間にも、各地の酒場で、市場で、ギルドで——形を変え、尾ひれを纏い、原型を失いながら拡散し続けていた。
「史上最凶の魔王」の伝説が、もはや訂正不能な段階に達しつつあった。
ヴァルゼンは宿のベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めた。
(どうしてこうなった。最初は勇者に拾われただけだったのに。ただ生き延びたかっただけなのに)
枕の中で、小さく呟いた。
「……帰りたい」
帰る場所が、もうどこにもないことには——気づかないふりをした。




