何もしてないのに「別格」と敬意を表された。胃が痛い
何もしてないのに「別格」と敬意を表された。胃が痛い
大型魔物が崩れ落ちたとき、ヴァルゼンは後方の岩陰で膝を抱えていた。
(終わった……のか? 終わったんだよな? もう地面が揺れてない。咆哮も聞こえない。……多分、終わった)
恐る恐る顔を上げると、視界いっぱいに砂煙が広がっていた。その向こう側で、エルヴィンの聖剣が金色の残光を散らしている。グリゼルダの大剣が地面に突き立てられ、フェリクスの展開していた防御術式が静かに霧散していく。ミラベルが負傷者のもとに駆け寄り、回復魔法の淡い光が戦場を照らし始めた。
そしてザガンは、ヴァルゼンの三歩後ろに、最初から最後までそこにいたかのような顔で立っていた。
「陛下。終わりました」
「……お、お疲れ様です」
(僕は文字通り何もしていないんですが。ここに座っていただけなんですが)
合同討伐に参加していた他のパーティの冒険者たちが、徐々に集まってきた。
総勢二十八名の討伐隊。その全員が——いま、ヴァルゼンの方を見ていた。
(なんで。なんで僕を見る。見るな。お願いだから見ないでくれ)
最初に口を開いたのは、隣のパーティのリーダーを務めるAランク冒険者だった。四十代半ばの歴戦の戦士で、左腕に大きな戦傷を抱えている。彼がヴァルゼンの前に進み出て——片膝をついた。
「……お見事でした、ヴァルゼン殿」
(何が。何がお見事なの。僕は岩の後ろで震えていただけだ)
「あなたの指揮がなければ、この討伐は失敗していた。いや——死者が出ていたかもしれない」
周囲の冒険者たちが、深く頷いた。
「あの伏兵を見抜いた判断力。最小犠牲を追求する配置。そして何より——後方から全体を見通す、あの眼」
(伏兵を見抜いたんじゃなくて怖くて叫んだだけだし、最小犠牲じゃなくて僕が怪我したくなかっただけだし、後方にいたのは前線に出たら三秒で死ぬからだ)
反論したかった。全力で反論したかった。
しかし二十八人の視線が一斉に注がれている状況で、「実は何もしてません」と言う勇気は、ヴァルゼンには——ない。
「あ、あの、皆さんが頑張ってくれたおかげで——」
「謙遜はおやめください」
Aランク冒険者が、真剣な目で言った。
「俺は二十年この仕事をやっている。多くの指揮官の下で戦ってきた。だが——あんたほどの器は初めてだ」
(器。器って何。僕のどこに器があるんだ。空っぽだぞ中身は)
「あの魔王は、別格だ」
誰かがそう呟いた。
その一言が、さざ波のように広がっていく。
「ああ。別格だよ。マジで」
「俺たちが必死に戦ってる間、微動だにしなかった。あの胆力——」
「いや、それだけじゃない。俺の班が危なかった時、ザガンが的確に援護を飛ばしてきただろ? あれは間違いなく魔王の指示だ」
(指示してない。ザガンが勝手にやった。というか僕はザガンに何も指示したことがない。一度も)
ザガンが横で涼しい顔をしている。尾の先端が——ほんの僅かに揺れていた。楽しんでいるのだと、最近ようやくわかるようになった。
「陛下」
小声で、ザガンが囁いた。
「ここは一言、労いの言葉をかけるのがよろしいかと」
「ろ、労い……」
「『よくやった』程度で十分です」
ヴァルゼンは生唾を飲んだ。二十八人の冒険者が、固唾を呑んでこちらを見ている。
逃げ場はない。
「……皆さん、よく、頑張ってくれました。怪我をした方は、ミラベルのところに——」
それだけだった。それだけしか言えなかった。
しかし——冒険者たちの表情が、一斉に緩んだ。
「……っ」
Aランク冒険者が、目頭を押さえた。
「あの方は……功績を語らない。自分の武勲には一言も触れず、真っ先に負傷者を気遣われた」
(気遣ったというか、他に言うことが思いつかなかっただけなんですが)
「やはり、別格だ」
その言葉が、もう一度——今度はより深い確信を込めて、戦場に響いた。
エルヴィンが、誇らしげに胸を張っている。なぜか自分の手柄のような顔をしている。
「見たか。あれが、俺たちの魔王だ」
(あなたの魔王ではないし、そもそも僕は魔王というか——もういい。もう何を言っても無駄だ)
グリゼルダが深く頭を下げた。
「ヴァルゼン様。改めて——お見事でした」
フェリクスが手帳に猛然と書き込んでいる。
「興味深い。戦闘に一切関与せず、しかし結果として全軍を最適配置に誘導した——これは『不在の指揮』とでも名づけるべき概念だ。論文のテーマが一つ増えた」
(不在の指揮。すごい名前をつけるな。ただの不在なんだけど)
ミラベルが涙ぐみながら駆け寄ってきた。
「ヴァルゼン様……皆さんのことを一番に考えてくださって……ありがとうございます……っ」
「い、いえ、そんな——」
「ああ、やっぱりお優しい……!」
ヴァルゼンは空を仰いだ。
抜けるような青空だった。大型魔物を仕留めた勝利の空。全員が無事に生還した、祝福の空。
(胃が痛い。勝利なのに胃が痛い。この青空が眩しすぎて目が痛い)
討伐隊の冒険者たちが、次々とヴァルゼンの前に来ては敬意を示していく。握手を求める者、頭を下げる者、涙を浮かべる者もいた。
ヴァルゼンはその一人一人に、ぎこちない笑顔を返すことしかできなかった。
「ザガン」
小声で呼んだ。
「はい、陛下」
「……僕、何もしてないよね?」
「何もしておられません」
即答だった。
「しかし——結果として全員が無事です。あなたの存在がこの結果を生んだ。それは事実です」
(事実なのか。事実なんだろうか。僕にはさっぱりわからない)
ザガンの琥珀色の瞳が、どこか穏やかに笑っていた。
「陛下。一つだけ申し上げてもよろしいですか」
「……はい」
「あなたは『何もしていない』とおっしゃる。確かに剣は振るっていない。魔法も放っていない。しかし——あなたがここにいるだけで、エルヴィンは全力を出し切り、グリゼルダは背中を預け、フェリクスは最適な術式を組み、ミラベルは最後の一人まで癒し続けた」
「……」
「それを『何もしていない』と呼ぶのであれば、そうなのでしょう。ですが私は——そうは思いません」
ヴァルゼンは口を開きかけて、閉じた。
反論する言葉が見つからなかった。
(わからない。この人の言うことは、いつもわからない)
でも——胃は相変わらず痛かったが、心のどこかが、ほんの少しだけ温かかった。
それが何なのかは、まだわからないままでいい——そう思った。




