このメンバーでいられる時間が、大切だ——バレたら全部終わるけど
このメンバーでいられる時間が、大切だ——バレたら全部終わるけど
朝。
宿の一階で朝食を取る六人の姿は、もうすっかり馴染みの光景になっていた。
エルヴィンが「今日は何を食べようか」と大声で言い、グリゼルダが「静かにしろ」と窘め、フェリクスが手帳を広げて一日の行動計画を立て、ミラベルが全員の分の茶を注ぎ、ザガンが涼しい顔で新聞——というか、ギルドの情報紙を読んでいる。
ヴァルゼンは、その光景を眺めていた。
(いつからだろう。この席が、当たり前になったのは)
最初は二人だった。エルヴィンに半ば拉致されるように連れられて始まった旅。何もかもが怖くて、明日にはバレて殺されるんじゃないかと震えていた。
三人になり、四人になり、五人になり——今は六人。
そのたびに誤解が膨らみ、噂が広がり、事態は取り返しのつかない方向に進んでいった。「一言の魔王」なんて二つ名までついた。ギルドの上層部が動き始めた。冒険者たちが畏怖の目でこちらを見るようになった。
ぜんぶ、望んだことじゃなかった。
でも——
「ヴァルゼン。パンにバターを塗ってやろうか? お前、いつもバターをケチるからな」
「い、いえ、自分で——」
「遠慮するな。ほら」
エルヴィンが、山のようにバターを塗ったパンを差し出した。バターの量が常軌を逸している。こんなに塗ったら味がバターしかしない。
「陛下、こちらの果実もどうぞ。本日入荷したばかりの新鮮なものだそうです」
ザガンが、いつの間に手に入れたのか、瑞々《みずみず》しい果実を皿に載せた。参謀の情報収集能力が食材調達に遺憾なく発揮されている。
「ヴァルゼン様、蜂蜜もありますよ。パンに塗ると美味しいです」
ミラベルがにこにこしながら蜂蜜の瓶を差し出した。もうバターが山盛りなんですけど。
「フム。魔王殿の食事量はパーティ平均の六割程度です。一日の必要栄養素を満たすには、少なくともあと二切れのパンと——」
「フェリクス、朝から計算しないでください」
「……失礼しました」
「ヴァルゼン様」
グリゼルダが、ぶっきらぼうに牛乳のコップを差し出した。
「飲め。体が小さいのは摂取量が足りんからだ」
(小さくて悪かったですね)
六人の朝食。
バターだらけのパンと、新鮮な果実と、蜂蜜と、栄養計算と、牛乳。全てがヴァルゼンに向けられている。
(おかしいな。僕は一番弱いのに、一番世話を焼かれている)
ヴァルゼンは、バターだらけのパンを一口齧った。
案の定、バターしか味がしなかった。でも——不思議と、美味しいと思った。
朝食を終え、町を出発する。
今日の目的は、二つ先の町にあるギルド支部への報告だった。金ランクに昇格した以上、定期報告の義務が生じるとフェリクスが言っていた。面倒な話だが、仕方がない。
街道を六人で歩く。隊列はいつも同じだ。先頭にエルヴィンとグリゼルダ。中央にヴァルゼンとミラベル。後方にフェリクスとザガン。
(僕はいつも真ん中だ。一番安全な場所。一番守られている場所)
それが申し訳なくもあり、ありがたくもあった。
「ヴァルゼン」
エルヴィンが振り返った。朝の日差しを受けて、金髪が輝いている。相変わらず眩しい。
「今日はいい天気だな!」
「……そうですね」
「こういう日は歩いているだけで気持ちがいい。お前もそう思わないか?」
「……ええ、思います」
嘘じゃなかった。
春の風が街道を吹き抜けていく。道端に咲いた花がゆれて、ミラベルが小さく歓声を上げた。グリゼルダが警戒しながらも表情を微かに緩め、フェリクスが花の品種を手帳に記録し、ザガンが「穏やかな日ですな」と呟いた。
(この光景が——)
ヴァルゼンは、不意に胸が詰まった。
(この光景が、好きだ)
それは——初めて、はっきりと自覚した感情だった。
怖い。誤解が解けるのが怖い。最弱だとバレるのが怖い。追い出されるのが怖い。失望されるのが怖い。
ずっと、怖いことばかりだった。
でも——その恐怖の裏側に、いつの間にか別の感情が根を張っていた。
(エルヴィンの真っ直ぐさが、好きだ。グリゼルダの実直さが、好きだ。フェリクスの知的好奇心が、好きだ。ミラベルの優しさが、好きだ。ザガンの——あの、皮肉と忠誠が混じった微笑が、好きだ)
(このメンバーでいられる時間が——大切だ)
足が止まった。
「ヴァルゼン?」
エルヴィンがまた振り返った。
「また石につまずいたか?」
「い、いえ——ちょっと、考え事を」
「考え事か。深い考えなんだろうな。お前のことだ、俺たちには想像もつかないような——」
「違います。全然深くないです」
(深いとか浅いとかじゃない。ただ——今、自分の気持ちに気づいてしまっただけだ)
歩き出す。
隊列に戻る。真ん中の、一番守られた場所に。
——と。
(でも)
冷たい思考が、温かい感情の上に蓋をした。
(バレたら、全部終わる)
ヴァルゼンは知っている。この六人の関係は、巨大な誤解の上に建っている砂上の楼閣だ。エルヴィンが信じる「史上最凶の魔王」は存在しない。グリゼルダが仕える「王威の持ち主」も幻だ。フェリクスが分析する「深謀遠慮」も、ミラベルが感じ取る「孤独な優しさ」も——全部、誤解のフィルターを通した虚像だ。
ザガンだけは真実に近い場所にいる。でも彼でさえ、「最弱だからこそ仕える価値がある」という独自の解釈を持っている。
(本当の僕を知ったら——それでも、ここにいてくれるだろうか)
わからなかった。
エルヴィンなら「それでも信じる」と言うかもしれない。ザガンなら「承知の上だ」と言うかもしれない。でも、グリゼルダは? フェリクスは? ミラベルは?
(考えたくない。考えたら、怖くて歩けなくなる)
「ヴァルゼン様」
ミラベルが隣に並んだ。
「お顔色が——」
「大丈夫。大丈夫だよ」
二度目の嘘。いや——嘘じゃないかもしれない。大丈夫じゃないけれど、大丈夫でいたいという気持ちは本当だ。
(このメンバーでいられる時間が、大切だ)
(だからこそ——バレたら全部終わる)
(その恐怖が、今までで一番重い)
以前は、「バレたら殺される」が怖かった。追い出されて野垂れ死ぬのが怖かった。
でも今は——違う。
(失望されるのが怖い。この人たちの中にある「ヴァルゼン」が壊れるのが怖い。僕じゃない誰かを信じてくれている——その信頼を裏切ることが、何より怖い)
街道の先に、次の町の城壁が見えてきた。
「おっ、見えたぞ! 昼飯には間に合いそうだな!」
エルヴィンが嬉しそうに叫んだ。
「到着予定時刻より二十分の前倒しです。歩行ペースが昨日比で三パーセント向上していますね」
フェリクスが手帳を確認した。
「宿は私が手配しましょう。陛下のお部屋は角部屋がよろしいですか? 逃走——いえ、緊急時の退路が確保しやすいかと」
ザガンが微かに口元を緩めた。逃走って言いかけた。この人は僕の本質をわかっている。
「ヴァルゼン様、お昼は何がいいですか? 私、この地方のスープが美味しいと聞いて——」
ミラベルの声が弾んでいる。
「……何でもいいよ。皆で食べるなら、何でも美味しい」
口をついて出た言葉に、自分で驚いた。
エルヴィンが「お、いいこと言うな!」と笑い、グリゼルダが微かに目を細め、フェリクスが一瞬ペンを止め、ミラベルが頬を赤く染め、ザガンが深く頷いた。
(——しまった。また勝手に良い方に解釈されている)
でも——今回は、嫌じゃなかった。
嫌じゃないことが、一番怖いのに。
城門が近づいてくる。
六人の足音が、石畳の上で一つに重なる。
ヴァルゼンは歩きながら、空を見上げた。
青く、高く、どこまでも広い空。昨夜感じた魔力の減少は——まだ、意識の端に引っかかっていた。世界のどこかで、静かに何かが失われ続けている。
でもそれは、明日考えればいい。
今は——今だけは。
(このメンバーで、もう少しだけ歩いていたい)
それが嘘偽りのない、ヴァルゼンの本心だった。
最弱の魔王は、仲間と共に城門をくぐった。
振り返らなかった。
振り返ったら、この時間が終わってしまう気がしたから。




