世界の魔力が減っている気がする——気のせいだろうか
世界の魔力が減っている気がする——気のせいだろうか
翌朝。
目覚めた瞬間、ヴァルゼンは違和感を覚えた。
天幕の中から空を仰ぐ。朝焼けの空は昨日と変わらない。鳥の声が聞こえる。風の匂いも同じ。何もかもが、いつも通りのはずだった。
なのに——何かが、薄い。
(……何だろう、この感じ)
立ち上がり、天幕の外に出た。焚き火の残り火をザガンが始末している。エルヴィンは素振りをしている。いつもの朝の光景だ。
だが、肌がざわついていた。
魔力感知——ヴァルゼンが魔王の血筋から受け継いだ、数少ない「本物の」能力。戦闘には何の役にも立たない。ただ、周囲の魔力の流れを「なんとなく感じる」だけの、地味な感覚。
その感覚が、今朝は——いつもと違っていた。
(空気の中の魔力が……少ない?)
ヴァルゼンは手のひらを空に翳した。
目を閉じる。意識を研ぎ澄ませる。
世界の魔力は大気に溶け込んでいる。水蒸気のように、普段は意識しなくても常にそこにあるもの。呼吸するように自然に感じ取れる——いつもは。
(薄い。ほんの少しだけど——確実に、薄くなっている)
目を開けた。
朝の森は平穏そのものだった。木漏れ日が地面に模様を描き、小動物が茂みの中を走っている。何も変わっていない。
(気のせいか? 昨日は曇りだったし、天候で魔力の感じ方が変わることもある。たぶん——気のせいだ)
「陛下。おはようございます」
ザガンが残り火を片づけながら声をかけた。
「おはよう、ザガン」
「何か、気になることでも?」
琥珀色の瞳が、静かにこちらを見ている。この人は本当に目が利く。表情の微細な変化すら見逃さない。
「いや……何でもない。ちょっと、寝起きでぼんやりしていただけ」
「左様ですか」
ザガンはそれ以上追及しなかった。しかしその視線は、わずかに長くヴァルゼンの上に留まっていた。
(何でもない。何でもないはずだ)
朝食を済ませ、パーティは出発した。
街道を歩きながら、ヴァルゼンは意識の片隅で魔力の流れを追い続けていた。普段はそんなことをしない。意識するまでもなく、世界の魔力は常にそこにあったから。
でも今日は——追いかけないと、見失いそうな気がした。
(やっぱり、薄い。昨日よりも。一昨日よりも)
足が止まった。
「ヴァルゼン? どうした?」
エルヴィンが振り返った。
「あ——何でもないです。石につまずいただけで」
「気をつけろよ。お前が転んだら大変だ」
(大変というか、ただ転ぶだけなんですけど。僕が転んでも世界は何も変わりません)
歩みを再開する。
だが、胸の奥のざわつきは消えなかった。
昼過ぎ。休憩のために立ち寄った泉のほとりで、ヴァルゼンは水面に手を浸した。
冷たい水が指の間を流れていく。その中にも魔力が含まれている——はずだった。
(水の中の魔力も、減っている気がする。土の中も。空気の中も。全部が——ほんの少しずつ、目減りしている)
気のせいだと思いたかった。
しかし魔力感知は、ヴァルゼンにとって唯一信頼できる感覚だった。戦闘力はない。知略もない。勇気もない。だけど、魔力の流れだけは——嘘をつかない。
(世界の魔力が、減っている)
その事実が、ヴァルゼンの胸に静かに沈んでいった。
「ヴァルゼン様?」
ミラベルが泉のそばにしゃがみ、心配そうに覗き込んだ。
「お水、冷たくありませんか? お手が真っ赤です……」
「あ、ああ。ちょっと長く浸けすぎた」
慌てて手を引き上げた。指先が赤くなっている。どれだけの時間、水に手を浸していたのだろう。
「ヴァルゼン様、最近お考え事が多いように見えます。何かお悩みでしたら——」
「大丈夫。大丈夫だよ、ミラベル」
嘘だった。大丈夫じゃないかもしれない。
でも——何が大丈夫じゃないのか、自分でもまだわからなかった。
魔力が減っている。それが何を意味するのか。世界にどんな影響があるのか。ヴァルゼンには知識がなかった。ただ「嫌な感じがする」という、漠然とした不安だけがあった。
(いつもの臆病だ。何でもないことを大袈裟に心配して、勝手に怯えているだけだ。きっとそうだ)
自分にそう言い聞かせた。
夕方、次の町に到着した。
宿を取り、夕食の席で——ヴァルゼンは何事もなかったかのように振る舞った。エルヴィンの冗談に笑い、ミラベルの料理を褒め、フェリクスの分析に相槌を打ち、グリゼルダの報告に頷き、ザガンの助言に耳を傾けた。
いつもの六人。いつもの食卓。
その温かさが、今日はどこか——脆く感じられた。
(気のせいだ。きっと、気のせいだ)
夜。
全員が寝静まった後、ヴァルゼンは宿の窓辺に立っていた。
月明かりに照らされた町並みの向こうに、暗い地平線が広がっている。星空はいつも通り美しかった。
手のひらを月に翳した。
目を閉じる。
(世界の魔力が、減っている)
それは確信だった。臆病の勘ではなく、魔力感知が告げる——静かな事実。
しかしヴァルゼンには、その事実をどうすることもできなかった。仲間に話すべきなのかもしれない。だが、何を話す? 「魔力が減っている気がする」? それだけだ。原因も、影響も、対策も——何もわからない。
(いつか、わかる日が来るのだろうか。この不安の正体が)
月が雲に隠れた。
世界が一瞬だけ、暗くなった。
ヴァルゼンは窓辺を離れ、寝台に戻った。
眠れない夜は久しぶりだった。ザガンが合流した夜以来かもしれない。あの時の不眠は恐怖からだったが、今夜のそれは——もっと漠然とした、掴みどころのない不安だった。
(——気のせいだろうか)
答えは出なかった。
だが、世界の魔力は——確かに、昨日より薄かった。




