勇者が語る「理想の魔王」、それ僕のことじゃないです
勇者が語る「理想の魔王」、それ僕のことじゃないです
その夜は、野営だった。
次の町まで半日以上の距離があり、街道から少し外れた森の中に天幕を張った。ザガンが加わってからは設営の手際が格段に上がっていた。役割分担が的確で、指示に無駄がない。さすが数百年の軍事経験を持つ参謀である。
夕食を終え、焚き火を囲む六人。
夜風が木々を揺らし、火の粉が暗い空に舞い上がっていく。
ヴァルゼンは焚き火から少し離れた位置に座り、膝を抱えていた。金ランク昇格から二日。噂の拡散は加速する一方で、行く先々で「一言の魔王」として扱われることに、まだ慣れない。慣れる日が来るとも思えなかった。
「なあ、ヴァルゼン」
エルヴィンが焚き火の向こうから声をかけた。
聖剣を膝に乗せ、炎を見つめている。珍しく、穏やかな表情だった。いつもの全力の笑顔ではなく、どこか遠くを見ているような——静かな顔。
「何ですか?」
「俺さ、ずっと考えてたんだ。魔王って何だろうって」
(いきなり哲学的な話が来た。この人にしては珍しい)
「大戦の時は単純だった。魔王は倒すべき敵。俺は勇者。剣を振って、戦って、勝つ。それだけだった」
「……」
「でも、お前と旅をするようになって——わからなくなった。いい意味でな」
エルヴィンが聖剣の刀身に視線を落とした。炎の光が金属の表面に揺れている。
「俺が思っていた魔王は、力で全てを支配する存在だった。圧倒的な武力で人々を恐怖に陥れ、世界を闇に染める——そういうものだと思っていた」
(それが普通の認識だと思います)
「でも、お前は違った」
碧眼が焚き火越しにヴァルゼンを捉えた。まっすぐな光を湛えている。
「お前は力で従えない。恐怖で支配しない。なのに——人が集まる。魔族も人間も、お前の前では等しく膝を折る」
(膝を折ったのは魔王の血統による無自覚な威圧であって、僕の人徳じゃないんです——と言いたいけれど、もう何を言っても無駄だ)
「俺が思うに——理想の魔王っていうのは、さ」
エルヴィンが夜空を見上げた。
星が散りばめられた暗い天蓋。焚き火の明かりが届かない、遠い場所。
「力で支配するんじゃなくて、ただそこにいるだけで人が安心できる存在だと思うんだ」
ヴァルゼンの心臓が、微かに跳ねた。
「弱い者の声が聞こえて、強い者を恐れさせるんじゃなくて寄り添わせる。人間も魔族も関係なく、ただ——『この人の傍にいたい』と思わせる王」
(それは——)
「剣を持たなくても、魔法を使わなくても、ただ『やめてください』と言うだけで軍隊を止められる。それって、最強の武力なんかよりずっとすごいことだと思わないか?」
(すごくない。偶然だ。全部偶然の産物だ)
「謙虚で、臆病で、自分のことを弱いと思っていて。でもいざという時には仲間の前に立つ。そういう——そういう矛盾を抱えた魔王こそが、本当の意味で《《強い》》んだと、俺は思う」
ヴァルゼンは口を開きかけて——閉じた。
エルヴィンの言葉は、ヴァルゼン自身を描写しているようで、まったくヴァルゼンを描写していなかった。少なくとも本人の認識では。
(それは僕のことじゃない。僕は謙虚なんじゃなくて本当に弱いだけだし、臆病なのは性格であって美徳じゃないし、仲間の前に立ったのはパニックで体が勝手に動いただけだ)
「エルヴィン……」
「ん?」
「それは——僕のことじゃ、ないと思います」
エルヴィンは、ゆっくりと微笑んだ。
「そう言うところだよ、ヴァルゼン。そう言うところが——お前が理想の魔王だって証拠だ」
(論破できない。この人の信念は城壁より硬い。いや、聖剣より硬いかもしれない)
焚き火がぱちりと爆ぜた。
沈黙が落ちた。心地よい沈黙だった。
「……いい話ですね」
ミラベルが目元を押さえていた。予想通り泣いている。
「エルヴィン殿。あなたの言葉は——きっとヴァルゼン様の胸に届いています。たとえご本人がお認めにならなくても……」
「だろ? 俺もそう思う」
(二人で勝手に完結しないでほしい)
「フム」
フェリクスが手帳にペンを走らせていた。
「勇者殿の『理想の魔王』像——興味深い。分析すれば、項目は五つに集約されます。第一に、非暴力的統率。第二に、種族間の架橋能力。第三に、自己過小評価。第四に、危機における無意識的リーダーシップ。第五に——」
「フェリクス」
グリゼルダが静かに遮った。
「今は分析の時間ではない」
「……失礼しました」
グリゼルダは焚き火を見つめたまま、短く言った。
「エルヴィン殿の言葉に、私も同意します。ヴァルゼン様は——私が仕えるに足る方です」
(仕えるに足る。グリゼルダにそう言われると、本当に重い。この人は嘘がつけない人だから)
「陛下」
ザガンの声が、穏やかに響いた。
焚き火の向こう、やや離れた位置に座っていたザガンは、琥珀色の瞳を細めていた。
「勇者殿の言葉——お聞きになりましたか」
「……聞きました」
「私は四百年、三代の魔王に仕えてまいりました。先代も先々代も強大でした。しかし——勇者殿が語ったような魔王は、あの方々の中にはおりませんでした」
(それは——つまり——)
「あのような魔王は、あなたが初めてです」
ザガンの口元に、微かな笑みが浮かんだ。皮肉ではない。本心からの、静かな笑み。
(……違う。皆が勝手に理想像を作り上げているだけだ。僕はその通りの人間じゃない)
でも——否定する言葉が、喉の奥で詰まった。
エルヴィンの真っ直ぐな眼差し。ミラベルの涙。グリゼルダの揺るぎない信頼。フェリクスの精緻な分析。ザガンの四百年越しの微笑み。
全部が、ヴァルゼンに向けられていた。
(僕のことじゃない。でも——僕のことだと、信じてくれている)
それが嬉しいのか、怖いのか、わからなかった。
たぶん、両方だった。
「……ありがとう、ございます」
いつもの、情けない声で言った。
エルヴィンが「おう」と笑い、ミラベルが鼻をすすり、グリゼルダが静かに頷き、フェリクスがペンを置き、ザガンが目を伏せた。
焚き火が揺れていた。
星空の下、六人の影が地面に伸びている。
ヴァルゼンは、その影を見つめていた。
(理想の魔王。謙虚で、臆病で、弱くて、それでも人が集まる王)
(——それは、僕じゃない)
そう思った。
そう、思いたかった。




